2025年03月21日
東京駒場公園(旧前田家本邸、日本近代文学館)と日本民藝館
東京駒場公園(旧前田家本邸、日本近代文学館)と日本民藝館の見学
東京大学駒場キャンパスのそばにある公園です。
昨秋テレ東の番組、『出没!アド街ック天国』で紹介されていました。
建物は、加賀百万石16代当主だった前田家の前田利為(まえだ・としなり。1942年(昭和17年)57歳ボルネオで戦死)侯爵の居宅跡で、洋館と和館(わかん)が立っていました。
あいにく、洋館は休館日でしたが、和館は見学可能でした。
『出没!アド街ック天国』では、出演者の山田五郎さんが、昔よくこちらの洋館に来ていたが、たいてい見学者は自分ひとりだけで、自分の家みたいな感覚があったとお話をされていました。
パンフレットの写真を見ていると、内部は、わたしが昨年秋に訪れた福岡市にある、『旧福岡県公会堂貴賓館』みたいな感じだと思いました。
ちょっとびっくりしたのは、以前鎌倉市にある、『鎌倉文学館』を見学したことがありますが、そちらは、前田家の別荘だったそうです。パンフレットにそう書いてありました。



次の写真は、洋館のお隣の敷地に建っている和館(わかん)です。
館内は静かでした。数人の見学者がおられました。年配の方たちでした。

部屋に入ると、なんとなく、武家屋敷の中にいるような雰囲気でした。

『欄間(らんま。部屋と部屋の間にある。天井の下。彫刻板になっている。採光と通風のためのもの)』がきれいでした。直線的な模様が珍しい。

和館のお庭には、石川県金沢兼六園にあるような、『雪づり』があり、いい雰囲気でした。
また、お庭には、青森の奥入瀬渓流を思わせるような、渓流部分がありました。福岡市にある東公園にも似たようなつくりの清流部分があります。

次の写真は、『日本近代文学館』です。
こちらの施設については、次の本で知りました。
『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつはしゃ)』
210ページに、『「日本近代文学館」の地下室にて』という項目があります。
64ページあたり、146ページ、170ページにも日本近代文学館の記事があります。
1966年(昭和41年)開館です。
わたしが訪れたときには、2階にある展示室で、東日本大震災にちなんだ、『海、山、人、黙す(もだす。沈黙という意味)-震災と言葉』展という展示をしてありました。
1階にある閲覧室は、図書館みたいに事前登録が必要と聞いたので、観光客であるわたしたちは時間もそれほどなかったので見学はやめておきました。

駒場公園の南にある出口を出てしばらく西方向へ歩くと、『日本民藝館』がありました。
こちらの施設は次の本を読んで知りました。
『板上に咲く 原田マハ 幻冬舎』159ページに、日本民藝館の最初の収蔵品として、棟方志功氏の作品<大和し美し>を購入したいという話が出てきます。
木版画家棟方志功さんの作品を見たくて訪問しました。
棟方志功さんの妻チヤコさんの絵とか、ゴッホが描いたような棟方志功さん自身の自画像の絵、鯉・狐・カワウソの絵がありました。あと、眼鏡があったような気がするのですが、ちょっと記憶に自信がありません。
棟方志功さんの自画像の絵を観ていて、『ワぁ、ゴッホになる!』という棟方志功さんが17歳のときの言葉を思い出しました。ゴッホみたいなお顔をされた絵でした。
民藝館は、思想家の柳宗悦(やなぎ・むねよし)氏(1961年(昭和36年)72歳没)の企画で1936年(昭和11年)に開設されたとパンフレットにあります。
本では、民藝とは:日本全国に存在する無名の職人たちの手による日常の生活道具全般の総称と書いてあります。
鑑賞者には、外国人の方も多かった。日本文化に興味がある人たちなのでしょう。

東京大学駒場キャンパスのそばにある公園です。
昨秋テレ東の番組、『出没!アド街ック天国』で紹介されていました。
建物は、加賀百万石16代当主だった前田家の前田利為(まえだ・としなり。1942年(昭和17年)57歳ボルネオで戦死)侯爵の居宅跡で、洋館と和館(わかん)が立っていました。
あいにく、洋館は休館日でしたが、和館は見学可能でした。
『出没!アド街ック天国』では、出演者の山田五郎さんが、昔よくこちらの洋館に来ていたが、たいてい見学者は自分ひとりだけで、自分の家みたいな感覚があったとお話をされていました。
パンフレットの写真を見ていると、内部は、わたしが昨年秋に訪れた福岡市にある、『旧福岡県公会堂貴賓館』みたいな感じだと思いました。
ちょっとびっくりしたのは、以前鎌倉市にある、『鎌倉文学館』を見学したことがありますが、そちらは、前田家の別荘だったそうです。パンフレットにそう書いてありました。



次の写真は、洋館のお隣の敷地に建っている和館(わかん)です。
館内は静かでした。数人の見学者がおられました。年配の方たちでした。

部屋に入ると、なんとなく、武家屋敷の中にいるような雰囲気でした。

『欄間(らんま。部屋と部屋の間にある。天井の下。彫刻板になっている。採光と通風のためのもの)』がきれいでした。直線的な模様が珍しい。

和館のお庭には、石川県金沢兼六園にあるような、『雪づり』があり、いい雰囲気でした。
また、お庭には、青森の奥入瀬渓流を思わせるような、渓流部分がありました。福岡市にある東公園にも似たようなつくりの清流部分があります。

次の写真は、『日本近代文学館』です。
こちらの施設については、次の本で知りました。
『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつはしゃ)』
210ページに、『「日本近代文学館」の地下室にて』という項目があります。
64ページあたり、146ページ、170ページにも日本近代文学館の記事があります。
1966年(昭和41年)開館です。
わたしが訪れたときには、2階にある展示室で、東日本大震災にちなんだ、『海、山、人、黙す(もだす。沈黙という意味)-震災と言葉』展という展示をしてありました。
1階にある閲覧室は、図書館みたいに事前登録が必要と聞いたので、観光客であるわたしたちは時間もそれほどなかったので見学はやめておきました。

駒場公園の南にある出口を出てしばらく西方向へ歩くと、『日本民藝館』がありました。
こちらの施設は次の本を読んで知りました。
『板上に咲く 原田マハ 幻冬舎』159ページに、日本民藝館の最初の収蔵品として、棟方志功氏の作品<大和し美し>を購入したいという話が出てきます。
木版画家棟方志功さんの作品を見たくて訪問しました。
棟方志功さんの妻チヤコさんの絵とか、ゴッホが描いたような棟方志功さん自身の自画像の絵、鯉・狐・カワウソの絵がありました。あと、眼鏡があったような気がするのですが、ちょっと記憶に自信がありません。
棟方志功さんの自画像の絵を観ていて、『ワぁ、ゴッホになる!』という棟方志功さんが17歳のときの言葉を思い出しました。ゴッホみたいなお顔をされた絵でした。
民藝館は、思想家の柳宗悦(やなぎ・むねよし)氏(1961年(昭和36年)72歳没)の企画で1936年(昭和11年)に開設されたとパンフレットにあります。
本では、民藝とは:日本全国に存在する無名の職人たちの手による日常の生活道具全般の総称と書いてあります。
鑑賞者には、外国人の方も多かった。日本文化に興味がある人たちなのでしょう。

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