2024年05月13日
宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新
宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋
本の帯を読むとどうも定時制高校のお話らしい。
まだ、自分が二十歳前後の頃、定時制高校に通っていた親族がいて、一度見学に行ったことがあります。また、大学の夜間部も見たことがあります。
なんというか、年齢がさまざまでした。昼間の学校のように、学年に応じた年齢の生徒・学生のかたまりではありません。年齢層の幅がとても広い。夜間の大学では、60代の男性もいました。彼は、片道2時間半ぐらいかけて、遠方にある港町のご自宅から電車で休まず通学されているということでした。それだけ、学習意欲が強い人たちが集う(つどう)学校でした。
定時制高校にしても大学の夜間部にしても、勤め先の企業や組織が、通学する社員のためにいろいろ配慮をしてくれていました。仕事の終業時刻が午後4時半ぐらいに設定されていました。企業や組織にとって、優秀な人材を確保して働いてもらって、企業や組織の寿命を継続していくという目的がありました。お金も大切ですが、人材はお金以上に大切な財産でした。昭和時代は、終身雇用の時代でした。
さて、この小説の出だしでは、柳田岳人(やなぎだ・たけと)という若い人が、定時制高校の授業をサボっているような記述から始まります。タバコも吸っています。
現実の学生が柳田岳人のようないいかげんな人間ばかりだと誤解を生むような内容ではないことを願って文章を読み始めます。勉強ができないから夜学に行っているのではないのです。経済的に通うことが無理だから夜学に行っているのです。夜学には、昼間の学生に負けない学力をもっている人もおられました。
第一章から始まって、第七章まであります。全体で282ページの小説です。
仮想の高校でしょう。都立東新宿高校です。昼間は昼間部の生徒、夜は、夜間定時制の生徒がいます。1学年に1クラスある。クラスの定員が30人。定員割れになっている。5時45分開始、9時に4時限が終了する。一日4時限で、4年間で卒業する。
『第一章 夜八時の青空教室』
柳田岳人(やなぎだ・たけと):21歳。2年生。喫煙者。授業に途中から出席する。愛称、『ガッくん』。麻薬の売買に関与しそうになっている。大麻はやらない。酒はほとんど飲まない。常にシラフ(飲酒せず通常の状態)でいたい。柳田岳人が在籍する2年生のクラスは、在籍者数が18人。本人いわく、自分はごみ収集の仕事をしている。リサイクル作業所。定時制高校を辞めたいという気持ちがある。計算式を解く能力が高いが、文章題問題を解けない。なにか障害があって文章を読めないようすです。
藤竹:柳田岳人のクラスの担任教師。34歳男性。見た目は頼りない。なでがた。なまっちろい(顔色が白い)。態度はでかい。理科、数学担当。口癖として、『自動的にはわからない』。つかみどころのない人間。頭脳明晰(ずのうめいせき)、冷静沈着。怒らない(おこらない)。論理的な思考で行動する。
佐藤:藤竹の前の担任教師。メンタルの不調で休職中。
三浦:定時制高校の退学者。一年で中退。原付、ノーヘル(ヘルメット)で校内を走る。麻薬の売人をしている。
朴(パク):退学者。一年で中退。三浦と同じく原付、ノーヘル。坊主頭を赤く染めている。麻薬の売人をしている。
長老:柳田のクラスメート。70代男性。やせこけている。最前列に座っている。だれよりも勉強熱心。
麻衣:新宿歌舞伎町のキャバクラ嬢。授業中に男性客からスマホに電話が入ると教室を出て廊下に出て行く。
クラスメート:40代~50代の女性がふたり。ひとりはいつもノートをとっている。もうひとりは東南アジア系小太りでよくしゃべる。ニックネームは、『ママ(フィリピンパブのママのイメージ)』。外国にルーツをもつ生徒が複数いる。かれらは、日本語が不自由である。ほかに、素行不良で全日制の高校をつまみだされた生徒たち。それぞれ、カラフルな髪色にごついアクセサリーを付けている者。授業中は寝ている者。それから、中学校での元不登校組、小中学校でいじめにあった者。集団生活になじめなかった者。アニメオタクが多い。クラスとしてのまとまりはない。
場所は、東京新宿駅近くの牛丼屋から始まります。
20ページまで読んで、心配していたとおり、おちこぼれの人間たちが定時制高校に通っているような書き方で不快です。
『こんなとこに(定時制高校)、まともに勉強してるやつなんているかよ』(こんなセリフは書かないでほしい。勉強したくて来ている人間がちゃんといます)
関係者が読んだら、世間に誤解が広がると怒るでしょう。
昔、『同情するなら金をくれ』という決めゼリフで大ヒットした、『家なき子』というドラマがありました。その後、似たようなドラマを放映したところ、関係先から猛攻撃を受けて(事実とは違うという理由で)、スポンサーが全部降りて、途中で放送がたちいかなくなったことがあったと思います。
大麻の価格表として、ヤサイ7500:(乾燥大麻の隠語1グラムの単価(円)7500円)そして、リキッド18000:(大麻リキッド(大麻から抽出された液体)単位は本。1本の単価(円)18000円)
三浦と朴(パク)は、やくざや不良外国人とのつきあいあり。
柳田岳人が廃棄物処理工場の職場で暴力を振るいます。定時制高校に通っていることを馬鹿にされたからです。
柳田岳人は、もともと、周囲の同僚と仲良くしようという気持ちがありません。だからまわりから嫌われます。『金さえもらえりゃそれでいいんだ』(そんな気持ちで働いてほしくありません。仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいいと思っているだけの人間は不祥事を起こします。会社のお金を自分のポケットに入れたりします。まずは、世のため人のために働くという動機付けが必要です)
柳田岳人が暴力をふるった相手は、暴力を振るわれる前に、定時制高校の生徒を馬鹿にするセリフが出てきます。また、柳田岳人の人格を否定するような発言があります。一般的に、人格を否定された人間は、一生そのことを忘れず、相手を憎み続けます。
まあ、意図的につくってある物語です。つまらなくなりました。流し読みに入ります。
主人公の柳田岳人に学習障害があるようです。文章を読めない。ディスなんとか。(読み進めていたら31ページに『ディスレクシア』という言葉が出てきました。文字の読み書きが困難。俳優のトム・クルーズ、アメリカ大統領だったブッシュ、映画監督のスティーブン・スピルバーグがディスレクシアという記事を読んだことがあります)だからこれまで、家庭や学校で苦労をしてきた。柳田岳人は、大手電機メーカーの社員である父親に突き放されています。
柳田岳人は、運転手の仕事に就きたい。ひとりでする仕事がいい。他人とはできるだけ関わり合いになりたくない。
でも、文章を読めない。運転免許を取得するための教本の文章を読めない。運転実技は合格できても学科試験に合格できない。文章を読めるようになるために、定時制高校に入学した。彼が定時制高校で学ぶ動機です。
藤竹教諭が柳田岳人を導きます。
文字のフォント(デザイン)で、ディスレクシアの人でも文字や文章を読めることがある。
まあ、たばこの話が多いです。
ヒムネ:韓国のことばで、がんばれ。
柳田岳人は、科学的なことに興味が強い。理科教師の藤竹が、柳田岳人をいい方向へと誘導していきます。
話が飛びますが、毎週日曜日の午前10時過ぎから、NHKのラジオ番組で、こども科学電話相談が流れています。そのラジオ番組でこどもたちがする質問と柳田岳人の考える質問が重なります。
自分の長い人生をふりかえってみると、自分がとても世話になった人が何人かいます。逆に、自分が一生懸命世話をして立ち直ってくれた人も何人かいます。人は、やってもらうと、お返しをしようという気持ちになります。
お世話になった人たちはもう他界されました。世話をした人からは年賀状が届きます。
歳をとって、今は、特段世話になることも、世話をすることもなくなりました。
今どきの日本人は、なんだか、人の性質が変わってしまいました。自分が悪いとは定義せずに、うまくいかないのは、自分ではなく、相手のせいだと主張する人が出てきました。
他者への依存では、いつまでたっても、自活や自立はできません。
柳田岳人は、普通の昼間の高校に行きたかった。
『空がなぜ青いのか』を知りたかった。宇宙とか地球のことを知りたかった。雲はどうして白いのか、虹はどうして七色なのか、知りたかった。
教師である藤竹は柳田岳人と、科学部をつくりたい。
『第二章 雲と火山のレシピ』
以下、定時制高校の生徒として、
越川アンジェラ:40歳。日本とフィリピンのハーフ。フィリピン料理店、『ジャスミン』を夫婦で営んでいる。店の営業は今年で12年目である。夫は商業高校を出ている。娘が、栄養専門学校に通っている。母が定時制高校に通学している時間帯は、娘が店を手伝っている。夫も娘も、アンジェラの通学に協力している。アンジェラは、『高校』にあこがれて入学した。クラスメートからは、『ママ』と呼ばれている。フィリピンパブのママの印象がある。若い頃は、ホステスをしていたことがある。越川アンジェラは、ほんとうは、小学校の先生になりたかった。
池本マリ:16歳。愛嬌(あいきょう。人と接するとき、相手に好感を与える雰囲気)がある。中学を卒業して定時制高校に入学してきた。昼間は、清掃業の会社で働いている。ホテルや病院の清掃をしている。父親は日本人、母親はフィリピン人のハーフである。両親はマリが幼いころに離婚した。以降、母親と妹と三人で暮らしている。母親は体調がすぐれない。マリが家族の生活を支えている。大学に行って教師になりたいという希望がある。
長嶺(ながみね):70代の男性。陰で、『長老』と呼ばれている。
昼間の女子生徒が教室に入って来て、夜、定時制で自分の机を使っている池本マリが、机の中に入れてあった自分のペンケースを盗んだんじゃないかと言い出す。
池本マリが知らないと返答する。
そんなことがあった。
昼間の生徒は、ブレザーの制服姿ですが、夜の生徒は私服です。柳田岳人は、清掃会社の作業服姿です。
物理準備室:物理担当藤竹教師の部屋。ここが、なにかの本拠地になるようです。
みそ汁で、積乱雲をつくる実験をする。柳田岳人と越川アンジェラがいます。
『対流(たいりゅう)』の実験です。
カラマンシージュース:カラマンシーは、フィリピン方面東南アジアの柑橘系(かんきつけい)果実。さわやかな酸味がある。別名「フィリピンレモン」
2年2組の黒田玲奈(くろだ・れな):昼間の生徒。黒髪ロング。定時制の生徒をばかにする。定時制の生徒を泥棒扱いする。生活保護者をばかにする。
べっこう飴を使って、地震発生モデル実験を行う。逆断層、正断層。
物語に出てくる中学校というところは、いじめがあって、教師たちは知らん顔をしてひどいところです。
わたしは、中学校は、父親が中1の6月に、いきなり病死したことで、どたばたがあって、3校通いました。最初の中学校にいじめはありませんでした。転校した次の中学校もいじめはありませんでした。さらに転校した3校目もいじめはありませんでした。だけど、先生の体罰がありました。けっこうきつい体罰でした。体罰があったから生徒がおとなしくしていたということはありました。まあ、そんな時代でした。親も教師の体罰を容認していました。思うに、第二次世界大戦中の軍国教育が、終戦後30年間ぐらいは尾を引いていたのだと思います。
キムワイプ:アメリカ製のふきんみたいな布。油をふきとる。藤竹の物理準備室に置いてある。
『じゃぱゆきさん』という言葉が出てきます。フィリピン生まれの女性が、日本に渡って風俗の仕事をするのです。
わたしは逆に、『からゆきさん』という言葉を知っています。九州の西海岸地方で生まれた女性が、東南アジアの国へ行って風俗の仕事をするのです。小説作品があります。『サンダカン八番娼館 山崎朋子 文春文庫』、映画にもなりました。
どこもかしこも、女性は、売られる扱いです。
倉橋先生:小学校の先生。越川アンジェラがこどもの頃に世話になった。
火山の噴火実験をする。重曹(じゅうそう)と酢を使う。
短い推理小説にも似た書き方です。
『第三章 オポチュニティの轍(わだち)』
オポチュニティ:チャンス、良い機会、タイミング
名取佳純(なとり・かすみ):定時制高校1年生。三人家族。母と姉。父親は、佳純が7歳のときに出て行った。母がおかしい。姉と妹を比較して、妹を差別する。佳純は中学時代不登校になった。中学3年生からリストカット(カミソリで手首を切る。自殺企図だが死ねない)を始める。定時制高校は、5月23日から保健室登校になり、3週間が経過している。教室は1A。
佐久間:定時制高校保健室の先生。養護教諭。読んでいて最初保健師かと思いましたが、元看護師でした。いろいろわけありです。髪を真っ赤に染めている。30歳より上ぐらい。
松谷真耶(まつたに・まや):定時制高校一年生。この子もわけありです。リストカットの常習者。なお、名取佳純も同様の常習者です。年齢は、名取佳純より1歳上ですから、17歳ぐらいか。全身黒づくめで、肩までの黒髪にピンクのメッシュ(髪全体に薄いピンク色をつけてある。立体感が出る)。起立性調節障害(自律神経の異常)がある。全身がだるい。立ちくらみと頭痛がする。松谷摩耶のバイト代を、母親が、パチンコと酒に使う。(とんでもない母親です)
<来室ノート>:保健室に置いてあったノート。4年間ぐらいだれも書き込みをしていなかった。保健室登校をしている名取佳純が書き込んでいる。(定時制高校にも保健室登校というものがあるのかと驚きました)
火星の話です。
ソル:火星における一日のこと。約24時間40分
ハブ:火星での居住施設
星を継ぐもの:イギリスのSF(サイエンス・フィクション)作家ジェームス・P・ホーガン(1941年(日本だと昭和16年)-2010年(平成22年)69歳没)のSF小説。
EVA:宇宙服を着ての船外活動(施設外活動)
火星の人:アメリカ合衆国のSF作家アンディ・ウィアー(1972年生まれ(昭和47年)51歳)の作品。アメリカの小説家。火星の人は、2011年発表(平成23年)
定時制高校を火星とし、ハブを保健室とする。名取佳純は、ハブでしか、呼吸ができない。
名取佳純は、EVAを着て、教室に行く。決死の覚悟がいる。
過換気:発作的に息苦しくなって、呼吸が早くなる。
過呼吸:緊張、ストレスで、呼吸の深さが増加する。
熊太郎は長いこと生きてきて、一度だけ、リストカットというものを見たことがあります。手首に無数の細い切り傷がある人でした。わたしには、理解できない行動です。心の病気です。よっぽどひどい目にあったのでしょう。自殺するために切ったというよりも、自分を傷つけるという軽い傷の付き方でした。自傷行為で心が満たされる。異常です。
この物語では、リストカット常習者の松谷摩耶が、名取佳純に、『(自分たちは)同類だね』と声をかけます。
夏への扉:1956年(昭和31年)発表のSF作品。アメリカ合衆国SF作家ロバート・A・ハインライン(1907年(明治40年)-1988年(昭和63年)80歳没)。タイムトラベルもの。1970年(昭和45年)と2000年(平成12年)を行き来する。3月に放送が終わったドラマ、『不適切に問ほどがある!』みたいです。
アイザック・アシモフ:アメリカ合衆国の生化学者(生物化学)、作家。1992年(平成4年)72歳没。
アーサー・C・クラーク:イギリスのSF作家。2008年(平成20年)91歳没。作品として、『2001年宇宙の旅』
いろいろむずかしい言葉が多い。
アムカ:アームカット。腕を傷つけること。
ふと気づいたのですが、『リストカットの痕(あと)』と、この章のタイトル、『オポチュニティの轍(火星探査車のわだち)』が、重ねてあるのです。痕(あと)も轍(わだち)もどちらも、『これまで生きてきた証(あかし。軌跡)』なのです。
物理準備室で、科学クラブの実験です。
『火星の夕焼けを再現する』という実験です。
透過光(とうかこう):透明な物体を通した光。
オデッセイ:『火星の人』を原作としたハリウッド映画。2015年(平成27年)のアメリカ合衆国のSF映画。(この本を読んだあと、動画配信サービスで観ました。アメリカらしい豪快な映画でした)
100ページで、この第三章の部分のタイトル、『オポチュニティの轍(わだち)』の意味が解き明かされます。味わいがあります。
オポチュニティ:火星で活動する無人探査船の名称。オポチュニティの轍(わだち。左右に3つずつの車輪の2本の跡(あと))が、人生の軌跡と重なります。
火星探査船オポチュニティを擬人化してあります。オポチュニティは、遠く離れた火星で、ひとりぼっちでがんばったのです。火星の写真をたくさん撮って、地球に送ってくれたのです。
オポチュニティは、2003年(平成15年)7月に打ち上げられ、2004年(平成16年)に火星に到着した。運用期間3か月の予定だったが、気がつけば、14年間火星での旅を続けてくれた。
2018年(平成30年)、オポチュニティは、大規模な砂嵐に襲われて、太陽電池がダウンして、機能が停止した。
2019年(平成31年)2月、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、ミッション終了を宣言した。
オポチュニティは、調査中に、前輪を一つ失ったり、砂だまりにはまりこんだり、原因不明の電力低下に見舞われたり、数々の困難に直面したが、克服し続けた。
『この子(オポチュニティにたとえて)は、自分の後ろに続く轍(わだち)を見て、ただ孤独を感じたわけではないのだ。きっと、もう少しだけ前へ進もうと思ったに違いない……』オポチュニティの背後には、地球に応援してくれる仲間がいた(NASAのスタッフメンバー)。この子にも、仲間が必要だ(定時制高校科学部の生徒)。
108ページにいいことが書いてあります。共感します。
『……わたしの第一の仕事は、学校の中で子どもたちを死なせないこと……』
小学生や中学生をもつ親が教師に望むことは、『生きて卒業させてください』ということです。勉強も運動もできなくてもかまいません。いじめや体罰や事故でこどもが死んだら、親は教師や学校を許しません。
トリアージ:おおぜいの負傷者が出たとき、患者の状態に応じて、治療や搬送の順位を決めること。
レイリー散乱(さんらん):地球の空は青い。夕焼けは赤いという理由の説明があります。昼間は、波長の長い青色の光が散乱する。日没時は、太陽光が大気を通る距離が長くなり、散乱されにくい赤い光が生き残って夕焼けになる。火星ではその逆になるそうです。火星の昼間は赤色の空で、日没のころは青い夕焼けだそうです。空気が薄い、塵(ちり)が多いことが理由だそうです。
『第四章 金の卵の衝突実験』
長嶺省造:定時制高校二年生。昭和23年生まれ。74歳。金属加工の会社を自営で経営していたが、70歳で会社経営を閉じた。子どもはふたりで、孫がいる。福島の常磐炭田(じょうばんたんでん)の炭鉱町で育った。炭鉱が斜陽化したためもあり、中卒で、集団就職で東京に来て町工場でがんばった。37歳で独立した。父親は10歳のときに炭鉱事故で亡くなった。
長嶺江美子:長嶺省造の妻。『じん肺(仕事中に大量の粉塵(ふんじん。ほこり、金属の粒(つぶ)などを長期間吸い込んで肺の組織が壊れた)』で現在は入院中。退院はいつになるのかわからない。学歴は中学卒業。青森から集団就職で上京して、タイル工場で10年間粉まみれで働いた。高校に行きたかった。
木内:50代。英語教師
正司麻衣(しょうじ・まい):定時制高校二年生。いつもスマホをさわっている。
昭和三十年代から四十年代、日本の高度経済成長期にあった、地方に生まれた中学卒業者男女を列車に乗せて都市部へ就職させるという『金の卵』という歴史を振り返ります。長嶺省造夫婦が紹介されます。
現在の六十代以上で体験者がいると思います。こちらの本では、青森、福島の東北地方ですが、九州の鹿児島あたりからでもありました。電車に乗せられて延々と都会まで義務教育卒業の男女のこどもたちが運ばれていくのです。当時、新幹線はなかったか、あっても東京・大阪間で、今ほど普及していませんでした。みなさんたいへんな思いをされました。
いっぽう、もともと都会暮らしをしていた人たちは、景気がいい時期で、生まれてから歳をとるまでずっと貧困暮らしを体験したことがないという人もいます。人は、生まれる場所で人生の過ごし方が大きく変わります。
物語の中の学校では、世代間の対立が、くっきりと出てきて、荒っぽい言動も出てくる表現になってきます。世代間衝突です。
老齢者は、いまどきの若いもんはと定時制高校に来ても勉強しない若い人たちを𠮟りつけ、若い人は、自分たちのことを何も知らないくせにうっとおしいと高齢者の世代を攻めます。
気づくのは、貧困という苦労はあったけれど、昭和時代の若い人には未来への夢があった。地方から出て来てがんばって、じっさいに経済的に豊かになった人が多い。ところが、今の若い人には、未来への夢がないということです。
社会制度とか社会秩序が変わりました。人口構成も大きく変化しました。
この部分を読んでいて思ったのは、昔は、たいてい、まわりにいるみんなが、同じように貧乏だった。
今は、貧富の差とか、学歴・学力の差が、極端に分かれてしまった。格差というのでしょう。
わたしが高校生の頃、大学進学にあたって、家が経済的に苦しい母子家庭だったので、日本育英会の奨学金を申請しました。審査のために面接があったのですが、今はどうか知りませんが、当時は集団面接で、面接会場に行ってみたら、同じ高校に通っている顔見知りの生徒がたくさんいて、なんだおまえもかという雰囲気になり、みんな貧乏なんだなあとお互いにお互いを思った次第です。あんな、頭が良くてかっこいい奴でも、家は貧乏なんだなあです。いいとこのボンボンなんていない田舎でした。
クレーター実験。砂地に鉄球を落とす。
食えん:ずるがしこくて油断ができない。
『第五章 コンピューター室の火星』
昼間部の高校生が出てきます。2年2組です。定時制の柳田岳人と同じ机を共用しています。
丹羽要(にわ・かなめ):高校2年生17歳ぐらい。この子もわけありです。学力が高かったのに、いろいろあって低レベルの高校にしか入学できなかったと嘆いています。家庭が壊れています。両親はケンカして父親が家を出て行き、弟は素直ないい子だったのですが、荒れて、家庭内暴力で暴れています。丹羽要は、自宅に帰りたくない。昼間の高校のコンピュータークラブの部員です。部員とはいえ、まあ、ひとりぼっちです。陰キャらのパソコンオタクだと書いてとあります。
第五章を読み終えたときに思ったことです。(読みながら感想をつぎ足しています)
社会に出ると、学校で何があったかはまったく問題になりません。
学校であったことは、社会では、関係ないのです。
社会では、年齢層の幅が広い、人が多い、広い空間で自分の居場所を探します。
学校で何があったかなんて気にすることはありません。
社会に出ると、一日一日、日にちがたつごとに、学校のことは、日常生活から遠ざかっていきます。そのうち学校に通っていたことも忘れてしまいます。
山崎:丹羽要の前の席に座っている。
河本(こうもと):コンピュータークラブの部員一年生。一年生部員3人のうちのひとり。丹羽要を入れて、実質4人しかコンピュータークラブの部員はいない。
津久井:昼間の高校の数学教師。コンピューター部顧問。
コンピューター室:別棟の校舎にある。4階にある。以前は、地学実験室で使用されていた部屋である。室内には、白いパソコンがずらりと並んでいる。隣に、コンピューター準備室がある。
藤竹教師が、コンピューター準備室の天井パネルをはずして、実験の下準備をしている。
定時制のメンバーが利用している物理準備室は同じ建物の2階にある。
エンカウント:ゲーム用語で、「敵との遭遇(そうぐう)」のこと。
アルゴリズム:手順、計算方法、問題解決の手法
筐体(きょうたい):機器の箱
日本情報オリンピック:丹羽要がチャレンジしている。プログラミング能力を競う。数学・物理の大会、『科学オリンピック』の種目のひとつ。『国際情報オリンピック』日本代表の選考を兼ねている。
定時制の科学部が、コンピューター準備室を実験で利用したい。数か月間毎日利用したい。
拒否反応を示すコンピュータークラブの丹羽要です。
定時制の科学部は、実験成果を、学会で発表したい。(毎年5月に開催される日本地球惑星科学連合の大会にある高校生セッションで発表したい。セッション:期間、時間
実験では、『火星を作る』作業を行う。
最小二乗法(さいしょうじじょほう):わたしには説明できる能力がありません。ご自分で調べてくださいな。データをとって、グラフ化するようです。もっとも確からしい結果を表現するようです。
リム:クレーター作成実験で、鉄の玉を砂地に落とすと、砂がはじかれて、円形に穴があき、その穴のふちが盛り上がるのですが、その盛り上がった部分をリムと呼ぶようです。
ランパート・クレーター:リムのまわりに、エジェクタ堆積物が花びらみたいに広がった状態をいうようです。
エジェクタ:排出。エジェクタ堆積物を研究者は、『ローブ』と呼ぶ。
火星のランパート・クレーターを実験室で再現する。
丹羽要と定時制科学部との間で、コンピューター準備室の利用について衝突があります。
丹羽要は、パソコンがあればしたいことができるのですが、自宅にある彼のパソコンは、弟の家庭内暴力で破壊されてしまったそうです。だから、学校のパソコンをどうしても神経を集中できる静かな環境下で使いたい。
丹羽要の弟は、母親は殴らない。自分を守るために、親を殴るかわりに、物をぶっこわしている。(おそろしいけれど、かわいそうでもあります。暴力ではなにも解決しません)
弟の名前は、『衛(まもる)』。兄の要が高一のとき、衛は中一だった。半年ほどで不登校になり、家の中の物を破壊する家庭内暴力が始まった。
丹羽要は、小学三年生の時に、システムエンジニアだった父親が、中古のノートパソコンを要にくれたことがきっかけでプログラミングを始めた。
丹羽要の両親の性格:ふたりとも、自分の考えが常に正しいと思っているタイプの人間。
藤竹:大学研究者。席はまだ大学にある。(無給)。なにやら事情があって、定時制高校で教師をしている。
秘密兵器:滑車のこと。
タワー・オブ・テラー:ディズニーシーにあるアトラクション
重力可変装置:重力の力を変えることができる装置と理解しました。火星の重力をつくる。
加速度計:部費の予算1万円で買ったそうです。
食えん:ずるがしこくて、油断できない奴。
第五章まで読んで、第三章まで戻ることにしました。
実験装置のことが文章で書かれています。
絵本なら実験装置の絵が描いてあるでしょうから、すんなりわかりますが、文章ではわかりにくいというか、わかりません。
第三章から流し読みをしながら、自分で、いらなくなった紙の裏に実験装置の絵を描いてみます。
トロ舟:一般的には、セメントをこねる容器に使用するようです。長さ1m四方ぐらいのプレスチック容器のようです。長方形かもしれない。
乾燥珪砂(かんそうけいしゃ):石英の粒(つぶ)。陶磁器、ガラスの原料。
クレーターの形成実験:鉄球をトロ舟に落とす。鉄球が隕石(いんせき)のつもり。鉄球は、直径4cm、3cm、2cmがあるが、藤竹は、4cm以上のものがほしいらしい。
高さ2mから直径4cmの鉄球を珪砂に落とすと、鉄球がくぼみに沈んで頭を出す。頭のまわりに、輪ができる。砂が持ち上げられて、放出された砂がたまる。たまった砂が盛り上がった部分を、『リム』という。くぼみは直径が10cmぐらい。
鉄球の運動エネルギーとクレーターの直径には、比例関係がある。そこからスクーリング則(そく)という話になるのですが、わたしには理解できません。規則的なものがあるのでしょう。
科学部のメンバーはさらに、砂の固まりを加工して(お湯で溶かした寒天を流し込んである)、色付けをした砂を地層のように扱います。下から、緑色、青色、赤色、茶色とし、火星の地面を表現します。そこへ鉄球を落とします。同心円状に飛び散った4色の砂の飛び散り方の規則性を調べます。
次は、鉄球の発射装置の図面です。溶接やネジやバネをつくる製造業をしていた長嶺省造のアイデアが登場します。上等なパチンコ、下に向けて撃つとあります。
科学部のメンバーで研究して、全国的な学会で発表して、栄誉をもらうという人生の思い出づくりをするのです。学会は年に一度千葉市にある幕張メッセで開催されるそうです。(幕張メッセには行ったことがあるので、身近に感じます)
鉄球発射装置は、台のような形で、トロ船の上に設置する。アルミの4本足の上に木の板の台がある。代のまんなかに穴が開いている。穴の中に直径20cmの塩ビ管が通してある。
塩ビ管の上に、幅広ゴムが十文字に設置してある。このゴム紐(ひも)の弾力で、鉄球を飛ばす。
塩ビ管の下に、速度測定装置(光センサー使用)が取り付けてある。
3m50cmの高さが必要になるから、コンピューター準備室の天井のパネル板をはずして、実験装置をつくる。滑車を利用する。数か月間、同室を利用する。
この装置のことを、『重力可変装置』と呼ぶ。火星の重力を再現する。
直径50cm~60cmのプラスチック製たらいに、粒(つぶ)が非常に細かい砂が入れてある。砂は、火山灰のつもりである。砂は、水気(みずけ)を含んでいる。砂の火山灰が100gに水が56gでつくってある。越川アンジェラがなんどもチャレンジして適度な火山灰をつくった。
櫓(やぐら)のようなもの:メンバーいわく、『秘密兵器』。てっぺんに自転車のホイールがはめてある。
ホイールには、金属の細いワイヤーがかけてある。ワイヤーの両端に金具で木製の箱が取り付けてある。片方は長辺が40cmほどの箱で、もう片方は、一片15cmの箱で、小さい箱のほうが軽い。これを、『重力可変装置』と呼ぶ。大きいほうの木箱を、『実験ボックス』と呼ぶ。大きいほうの木箱を落下させる。底に4cm角ほどの加速度計が取り付けてある。小さいほうの箱は、おもりの役割を果たす。火星の重力が発生するように砂を入れてある。(地球の0.38倍)
火星は意外に小さい。半径が地球の半分ぐらいしかない。大気は二酸化炭素で、地表の気圧は地球の0.6%しかない。休眠状態の微生物とか、地中で生きている生命体がいる可能性はある。寒い。赤っぽい地面ばかりしかない。質量は地球の10分1。
加速度計:物体の加速度を測定する装置。1万円ぐらい。
『第六章 恐竜少年の仮説』
相澤(あいざわ):藤竹の友人。准教授。ふたりは、東都大学の同期生。オフィスの主人。ずんぐりした体と短い指をしている。藤竹は、東都大学大学院理学研究科で無給の学術研究員の立場にある。藤竹の研究テーマは、『天体衝突と惑星の進化』
奥多摩の雪景色が見えるオフィスには、探査機『はやぶさ2』、金星探査機『あかつき』、月周回衛星『かぐや』のプラモデルなどが飾ってある。時は、2月である。
JAXA(ジャクサ):宇宙航空研究開発機構。
宇宙科学研究所:所在地は、神奈川県相模原市(さがみはらし)。
アカデミア:大学や公的機関で働く研究者。教授、准教授など。
日本地球惑星科学連合大会:千葉市幕張メッセで5月に開催される。
藤竹の実験:定時制高校に科学部をつくるということ。定時制高校に科学部をつくり、どんなことが起きるのかを観察する。
首肯(しゅこう):うなずくこと。
メンバーの多様性:メンバーが同じような能力だと伸びない。
逡巡(しゅんじゅん):決心がつかずためらう。
(ちょっと横道にそれます)
たまたま先日の夜、BSフジのプライム・ニュースという番組を見ていたら、JAXA(ジャクサ)の人たちが出ていて、今年月面に着陸したSLIM(スリム。小型月着陸実証機)についてお話をされていました。ちょうどこの本に出ていた組織なので興味をもって見ました。
AI(エーアイ)みたいなもので、着陸20分前に相模原市のJAXAから指示を出すと、あとはSLIM(スリム)が自分自身で判断して月面に着陸していくそうです。
横流れしながら着陸して転倒した状態で静止した。計画していたとおりの姿勢での着陸ではなかったが、太陽光発電は利用できる状態だった。
月面の温度は昼100℃以上、夜は、-170℃前後だそうです。
地上では、事前にいろいろなパターンを考えてあって、実際の状況があてはまるパターンで淡々と処理を進めていくというようなお話でした。冷静沈着、機械的でもありますが、落ち着いて実行していくのです。
宇宙開発は基本的には、『ものづくりです』という言葉を聞いて、この物語に出てくる74歳の定時制高校生長嶺省造さんを思い浮かべたのです。
(では、もとに戻ります)
文章を読みながら装置のイメージ図を紙に書いているのですが、だんだんわからなくなってきました。
実験ボックス(大きいほうの木箱→透明のアクリル容器に変更した。側面が扉のように開く。長辺40cmの箱である)にデジタルカメラをつける。
コンピューター準備室の角(すみ)に、角材で組まれた櫓(やぐら)がある。
天井パネルが2枚はずされている。
その穴に、櫓の頭が少しつっこんでいる。
天井の穴から、自転車のホイールが下半分だけ見える。
櫓の高さは3mである。
滑車にワイヤーが釣り下がっている。ワイヤーの片方に実験ボックス、もう片方におもりの役目の小箱が付いている。
火星の重力は、0.38Gである。
その持続時間は、0.6秒である。
実験ボックスの中に、標的の砂(これがなにかわかりません→その砂を、火星の地表として、0.38Gの環境をつくって、隕石にたとえた金属球を撃ち込むのだろうか)を入れたプラスチック容器を入れる。
実験ボックスが滑車で落下する間に、上から金属球の弾(たま)を打ち込んで、クレーターをつくる。
実験ボックスの上に、金属球の発射装置を付ける。実験ボックスと金属球の発車装置は、一体である。両者は一体となって落下する。
発射装置は、スプリング式空気銃の仕組みを応用したものとする。
発射装置はアルミ製の筒で、長さは20cmぐらい、内部に、強力なばねとピストンが仕込まれている。(こどものころ、竹でつくった水鉄砲みたいです)
押しつぶしたばねが、元に戻る力で(伸びる)ピストンを押し出し、圧縮された空気が弾を撃ち出す。
この発射装置が、実験ボックスの上ぶたに金具で取り付けられている。
アクリル製実験ボックスの箱の上に、アルミの筒が立っている。アクリル箱の上ぶたには、筒から弾を通すための丸い穴が開いている。
引き金にばねを取り付ける。収縮したばねが動かないように小さな金属の留め金でとめる。留め具と櫓の最上部とを紐(ひも)でつなぐ。実験ボックスが、紐の長さまで落下したときに、留め具がはずれて、ばねが引き金を引いて隕石にたとえた球が、火星の地表にたとえた砂に向かって発射される。
紐は、細くてがんじょうなチェーンにした。チェーンの長さで、引き金を引くタイミングを調整する。誤射を防ぐ安全装置も装着した。製造業を職としていた長嶺省造さんのアイデアと技術です。
ストッパーである留め具はアルミ製にした。
ランパート・クレーター:この意味がなかなかしっくり頭に入ってきません。花びら状のクレーター。
二重ローブのクレーター:円形が二重になっているクレーター。まずひとつ円形があって、さらにひとまわり大きな円形が囲む状態でしょう。
名取佳純の性質・資質・性格として:記録魔です。いつどこでだれがなにをどうしてそうしてどうなったのかをていねいに記録します。たぶん、こういう人って、古代大和朝廷の時代からいたと思います。そういう人たちが文書を残してくれたおかげで、昔の歴史をふりかえることができます。
ドライアイス:火星の二酸化炭素の氷とする。
間隙率(かんげきりつ):すきま。火山灰の粒子の間のすきま。ちょっとむずかしくて、わたしにはわかりません。
昇華量:ドライアイスが蒸発することだと受け取りました。
マハブランカ:フィリピンの伝統的なスイーツ。ココナッツミルクでつくる。お豆腐みたいに見えます。
220ページまで読んできて、話がうまくいきすぎている感じがします。(このあと、波乱が訪れて、研究が中断します。冒頭の定時制高校退学者ふたりがコンピューター準備室に乗り込んできて、実験装置を破壊します。バカヤローたちです)
224ページ、読んでいて、脳の中で登場人物たちが生きている感覚があります。
実験装置を壊されて、メンバー同士の諍い(いさかい)があります。
おもりの小箱を手動で操作するのをやめて、電磁石を導入した。
藤竹の思考と苦悩が明かされます。
以前ノーベル賞を受賞したアメリカ合衆国在住日本人のお話と共通します。日本では、しがらみがあって、研究に専念できないのです。
読んでいて共感します。今年になって政治家の派閥が大きな問題になりましたが、それは、国会だけのことではなくて、日本中いたるところにある組織で行われていることです。
基本的に、大学ごとという学閥で、グループで集まって、師匠と弟子の関係ができて、自分たちの利益のために物事を決めていきます。師匠のポストを弟子が引き継いでいく手法です。派閥に入れない者は、能力があっても排除されます。自由度が低い。また、上司にあたる人のいうことに従わないと上司がもつ人事権で排除されます。
税金とか保険料とか、そんなお金という、『砂糖の山』に、みんなでアリのように群(むら)がって、権利を得て、関係者でお金を分け合うのです。そこに正義はありません。不合理、不条理、理不尽な世界が広がっています。
生き残るためには、パワハラやセクハラになどに耐えて、気持ちに折り合いをつけていくことが必要です。忍耐と順応です。それが現実です。
エリート:優秀とされる人。指導者の立場になる人。人口1臆2300万人の日本人から選ばれた人。
233ページに重い言葉があります。『エリートという連中は、真っ当なレールの上を歩んでこなかった人間が自分たちの足もとまでのし上がってきた途端、手のひらを返して蹴落としにかかるものだ……』
人の足をひっぱって、快感を味わいたいとう類(たぐい)の人間がいます。心の中に、鬼が住んでいる人がいます。
夜、9時15分に教室に集合して、みんなで話し合って、困難を克服します。心を割っての、本音での話し合いはだいじです。
藤竹はこどものころ、恐竜少年だった。科学に興味があった。
裕福な家のおぼっちゃまだった。
東京世田谷区の一戸建てに生まれて住み、中高一貫の私立高に通い、大学に入った。(本では東都大学ですが、現実では東京大学でしょう)。
父は大手ゼネコンの研究職、母は小学校教師をしていた。
そんな話から、学歴差別の話へとつながれていきます。藤竹さんが推す(おす)人物は、高等専門学校卒であったために、研究の実績をなきがものとされて不利益をこうむります。藤竹さんに推(お)された人物と柳田岳人のキャラクター(個性)が重なります。
教師という人たちは、人に点数をつけることが仕事の人たちです。
成績の点数結果で人間に上下のランクをつけます。
勉強ができる頭がいい人たちがつくる世界です。
大きな組織では、『本流(主流派)』とか、『支流(非主流派)』などと表現することもあります。
学歴とか成績で人間を色分けします。思いやりなどというものは、あるようでありません。利害関係でつながります。そういう世界があります。
ツーソン:メキシコとの国境に近い。藤竹のアメリカ合衆国での就労先。アリゾナ大学の研究員。藤竹は、上司にさからったので、日本の学術派閥から排除された。
ポスドク:期限付きの研究者
なんというか、想像力とか発明とかいう能力は、学歴とは関係ない時があるのです。そのことひとつについて、生まれながらのずば抜けた能力がある。だけどそのこと以外のほかのことは何もできないという人はいます。
ひととおり、なんでも平均点のことはできるけれど、ずばぬけた能力はないという人もいますが、それはそれで、会社や組織にとっては使い勝手がいい人であり、わたしは、すばらしい能力をもった人だと判断しています。
柳田岳人の言葉には説得力があります。
なにかをやるときに、具体的な理由とか理屈なんてないのです。
『やりたいからやる』のです。
アスペクト比:モニターなどの画像において、縦横の比率。1対2とか、3対とか。
解析(かいせき):細かく調べる。
実験では、想定外の結果が出ることがあるそうです。(なるほど)
深い意味合いがあります。
藤竹にとっては、定時制高校のメンバーを科学部に集めて研究をしたら、集まった人間たちによってどのような効果が生まれるかという実験をしているのです。目の前の火星をつくるという実験はそのための素材に過ぎないのです。
252ページに藤竹さんの言葉があります。『人間は、その気にさせられてこそ、遠くまで行ける』
『第七章 教室は宇宙をわたる』
最後の章まできました。ずいぶん長い文章になってしまいました。疲れました。
根気よく最後まで読んでいただいた方には感謝します。なにかの役(やく)に立てたら幸いです。
さあラストスパートです。(最後のがんばり)
小説の舞台は、JR京葉線海浜幕張駅南口から幕張メッセ国際会議場へと移ります。
自分も何度か訪れたことがある場所と地域です。
車を運転して、海浜幕張駅まで人を送ったこともあります。読んでいて、親しみを感じます。
初めて行ったのは、息子がまだ小学生のときで、4年生ぐらいだった記憶です。
ふたりで、大恐竜博展を観たあと、プロ野球の球場を横目に歩き、海岸辺りをぶらぶらしました。
その時は、もう二度とここへ来ることはないだろうと思いましたが、縁があって、その後何度も訪れました。
物語の中では、定時制高校のメンバーが発表会に参加します。『日本地球惑星科学連合大会』です。
この章では、柳田岳人(やなぎだ・たけと)が語り手です。彼のひとり語りが続きます。彼の気持ちが表現されます。
『火星重力下でランパート・クレーターを再現する』
研究メンバーは、東京都立東新宿高校定時制課程、柳田岳人、名取佳純、越川アンジェラ、長嶺省造です。発表者は、柳田岳人と名取佳純です。
真空チャンパー:内部を真空にするための容器。
標的:攻撃目標。ただ、こちらのお話の場合は、仮定した火星の地表とか地中のことをさすようです。
読んでいて思うのは、『オタクの世界』です。
オタク:こだわりがある対象をもち、対象物に時間やお金を集中する人。まあ、だれしもそういうところはあるでしょう。
物語ですので、当然ですが、メンバーたちの研究成果は表彰対象となります。
お笑いコンビティモンディ高岸宏行さんの決めゼリフ、『やればできる!』を思い出しました。
『見えるか、先生。獲ったぞ。(とったぞ)』
あの日あの時あの場所で、あの人に会わなければ、今の私はなかったということがあるし、会ったがために、ひどい目にあったということもあります。幸運な人に出会うことは良縁です。不運な人に出会わないためには工夫が必要です。
自分が人を見るときのものさしがあります。その行動を見て近づかいないように気をつけている人がいます。たばこを吸う人にいい人はいない。ながらスマホをする人にいい人はいない。ありがとうを言わない人にいい人はいない。お酒飲みも避けたほうがいい。長い間生きてきての教訓です。
奇人でもいいから善人と付き合う。悪人と思われる人とは距離を開ける。不利益に巻き込まれないようにする。
物語にある、『部屋』の文章の部分を読みながらそう思いました。部屋=人との出会いの空間です。
282ページ、夢のような(実現性のない)話ではあるという感想で読み終わりました。
『作者あとがき』
さきほど、実現性のない夢と書きましたが、実話のモデルがあるそうです。びっくりしました。
2017年の日本地球惑星科学連合で実際にあったお話をモデルにしてこの小説ができあがっているそうです。
大阪にある定時制高校がチャレンジして成功をおさめています。『重力可変装置で火星表層の水の流れを解析する』がタイトルでした。すごいなあ。立派です。
(その後 98ページに記事がある映画、『オデッセイ』を動画配信サービスで観ました)
物語は、火星にひとり残された男性植物学者宇宙飛行士をみんなで救出する物語になっています。
地球の科学者たちみんなが、国籍を問わずに協力し合って火星に取り残された男性を救い出します。
感動的です。
現実社会では、アメリカ合衆国と中国は仲が悪いようですが、映画の中では仲良しです。
最終的には、アメリカ合衆国が一番という映画です。かまいません。それがアメリカ合衆国の人の誇りであり心の支えなのでしょう。アメリカ合衆国らしい娯楽映画です。
オデッセイ:意味は、『長い冒険旅行』だそうです。映画の原題は、『The Martian(火星人)』です。
小説は、『火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫SF 1巻・2巻各上・下』です。
こちらの本の登場人物の名取佳純(なとりかすみ 16歳 中学不登校 リストカット女子)が、『火星の人』を読んで、へこんだ気持ちが助けられるわけですが、小説とかマンガを読むことで、励まされたり、心が救われたりすることってあります。音楽や映画でも同様です。ですから、人間にとって、芸術や娯楽は大事です。お笑いも大事です。
本の帯を読むとどうも定時制高校のお話らしい。
まだ、自分が二十歳前後の頃、定時制高校に通っていた親族がいて、一度見学に行ったことがあります。また、大学の夜間部も見たことがあります。
なんというか、年齢がさまざまでした。昼間の学校のように、学年に応じた年齢の生徒・学生のかたまりではありません。年齢層の幅がとても広い。夜間の大学では、60代の男性もいました。彼は、片道2時間半ぐらいかけて、遠方にある港町のご自宅から電車で休まず通学されているということでした。それだけ、学習意欲が強い人たちが集う(つどう)学校でした。
定時制高校にしても大学の夜間部にしても、勤め先の企業や組織が、通学する社員のためにいろいろ配慮をしてくれていました。仕事の終業時刻が午後4時半ぐらいに設定されていました。企業や組織にとって、優秀な人材を確保して働いてもらって、企業や組織の寿命を継続していくという目的がありました。お金も大切ですが、人材はお金以上に大切な財産でした。昭和時代は、終身雇用の時代でした。
さて、この小説の出だしでは、柳田岳人(やなぎだ・たけと)という若い人が、定時制高校の授業をサボっているような記述から始まります。タバコも吸っています。
現実の学生が柳田岳人のようないいかげんな人間ばかりだと誤解を生むような内容ではないことを願って文章を読み始めます。勉強ができないから夜学に行っているのではないのです。経済的に通うことが無理だから夜学に行っているのです。夜学には、昼間の学生に負けない学力をもっている人もおられました。
第一章から始まって、第七章まであります。全体で282ページの小説です。
仮想の高校でしょう。都立東新宿高校です。昼間は昼間部の生徒、夜は、夜間定時制の生徒がいます。1学年に1クラスある。クラスの定員が30人。定員割れになっている。5時45分開始、9時に4時限が終了する。一日4時限で、4年間で卒業する。
『第一章 夜八時の青空教室』
柳田岳人(やなぎだ・たけと):21歳。2年生。喫煙者。授業に途中から出席する。愛称、『ガッくん』。麻薬の売買に関与しそうになっている。大麻はやらない。酒はほとんど飲まない。常にシラフ(飲酒せず通常の状態)でいたい。柳田岳人が在籍する2年生のクラスは、在籍者数が18人。本人いわく、自分はごみ収集の仕事をしている。リサイクル作業所。定時制高校を辞めたいという気持ちがある。計算式を解く能力が高いが、文章題問題を解けない。なにか障害があって文章を読めないようすです。
藤竹:柳田岳人のクラスの担任教師。34歳男性。見た目は頼りない。なでがた。なまっちろい(顔色が白い)。態度はでかい。理科、数学担当。口癖として、『自動的にはわからない』。つかみどころのない人間。頭脳明晰(ずのうめいせき)、冷静沈着。怒らない(おこらない)。論理的な思考で行動する。
佐藤:藤竹の前の担任教師。メンタルの不調で休職中。
三浦:定時制高校の退学者。一年で中退。原付、ノーヘル(ヘルメット)で校内を走る。麻薬の売人をしている。
朴(パク):退学者。一年で中退。三浦と同じく原付、ノーヘル。坊主頭を赤く染めている。麻薬の売人をしている。
長老:柳田のクラスメート。70代男性。やせこけている。最前列に座っている。だれよりも勉強熱心。
麻衣:新宿歌舞伎町のキャバクラ嬢。授業中に男性客からスマホに電話が入ると教室を出て廊下に出て行く。
クラスメート:40代~50代の女性がふたり。ひとりはいつもノートをとっている。もうひとりは東南アジア系小太りでよくしゃべる。ニックネームは、『ママ(フィリピンパブのママのイメージ)』。外国にルーツをもつ生徒が複数いる。かれらは、日本語が不自由である。ほかに、素行不良で全日制の高校をつまみだされた生徒たち。それぞれ、カラフルな髪色にごついアクセサリーを付けている者。授業中は寝ている者。それから、中学校での元不登校組、小中学校でいじめにあった者。集団生活になじめなかった者。アニメオタクが多い。クラスとしてのまとまりはない。
場所は、東京新宿駅近くの牛丼屋から始まります。
20ページまで読んで、心配していたとおり、おちこぼれの人間たちが定時制高校に通っているような書き方で不快です。
『こんなとこに(定時制高校)、まともに勉強してるやつなんているかよ』(こんなセリフは書かないでほしい。勉強したくて来ている人間がちゃんといます)
関係者が読んだら、世間に誤解が広がると怒るでしょう。
昔、『同情するなら金をくれ』という決めゼリフで大ヒットした、『家なき子』というドラマがありました。その後、似たようなドラマを放映したところ、関係先から猛攻撃を受けて(事実とは違うという理由で)、スポンサーが全部降りて、途中で放送がたちいかなくなったことがあったと思います。
大麻の価格表として、ヤサイ7500:(乾燥大麻の隠語1グラムの単価(円)7500円)そして、リキッド18000:(大麻リキッド(大麻から抽出された液体)単位は本。1本の単価(円)18000円)
三浦と朴(パク)は、やくざや不良外国人とのつきあいあり。
柳田岳人が廃棄物処理工場の職場で暴力を振るいます。定時制高校に通っていることを馬鹿にされたからです。
柳田岳人は、もともと、周囲の同僚と仲良くしようという気持ちがありません。だからまわりから嫌われます。『金さえもらえりゃそれでいいんだ』(そんな気持ちで働いてほしくありません。仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいいと思っているだけの人間は不祥事を起こします。会社のお金を自分のポケットに入れたりします。まずは、世のため人のために働くという動機付けが必要です)
柳田岳人が暴力をふるった相手は、暴力を振るわれる前に、定時制高校の生徒を馬鹿にするセリフが出てきます。また、柳田岳人の人格を否定するような発言があります。一般的に、人格を否定された人間は、一生そのことを忘れず、相手を憎み続けます。
まあ、意図的につくってある物語です。つまらなくなりました。流し読みに入ります。
主人公の柳田岳人に学習障害があるようです。文章を読めない。ディスなんとか。(読み進めていたら31ページに『ディスレクシア』という言葉が出てきました。文字の読み書きが困難。俳優のトム・クルーズ、アメリカ大統領だったブッシュ、映画監督のスティーブン・スピルバーグがディスレクシアという記事を読んだことがあります)だからこれまで、家庭や学校で苦労をしてきた。柳田岳人は、大手電機メーカーの社員である父親に突き放されています。
柳田岳人は、運転手の仕事に就きたい。ひとりでする仕事がいい。他人とはできるだけ関わり合いになりたくない。
でも、文章を読めない。運転免許を取得するための教本の文章を読めない。運転実技は合格できても学科試験に合格できない。文章を読めるようになるために、定時制高校に入学した。彼が定時制高校で学ぶ動機です。
藤竹教諭が柳田岳人を導きます。
文字のフォント(デザイン)で、ディスレクシアの人でも文字や文章を読めることがある。
まあ、たばこの話が多いです。
ヒムネ:韓国のことばで、がんばれ。
柳田岳人は、科学的なことに興味が強い。理科教師の藤竹が、柳田岳人をいい方向へと誘導していきます。
話が飛びますが、毎週日曜日の午前10時過ぎから、NHKのラジオ番組で、こども科学電話相談が流れています。そのラジオ番組でこどもたちがする質問と柳田岳人の考える質問が重なります。
自分の長い人生をふりかえってみると、自分がとても世話になった人が何人かいます。逆に、自分が一生懸命世話をして立ち直ってくれた人も何人かいます。人は、やってもらうと、お返しをしようという気持ちになります。
お世話になった人たちはもう他界されました。世話をした人からは年賀状が届きます。
歳をとって、今は、特段世話になることも、世話をすることもなくなりました。
今どきの日本人は、なんだか、人の性質が変わってしまいました。自分が悪いとは定義せずに、うまくいかないのは、自分ではなく、相手のせいだと主張する人が出てきました。
他者への依存では、いつまでたっても、自活や自立はできません。
柳田岳人は、普通の昼間の高校に行きたかった。
『空がなぜ青いのか』を知りたかった。宇宙とか地球のことを知りたかった。雲はどうして白いのか、虹はどうして七色なのか、知りたかった。
教師である藤竹は柳田岳人と、科学部をつくりたい。
『第二章 雲と火山のレシピ』
以下、定時制高校の生徒として、
越川アンジェラ:40歳。日本とフィリピンのハーフ。フィリピン料理店、『ジャスミン』を夫婦で営んでいる。店の営業は今年で12年目である。夫は商業高校を出ている。娘が、栄養専門学校に通っている。母が定時制高校に通学している時間帯は、娘が店を手伝っている。夫も娘も、アンジェラの通学に協力している。アンジェラは、『高校』にあこがれて入学した。クラスメートからは、『ママ』と呼ばれている。フィリピンパブのママの印象がある。若い頃は、ホステスをしていたことがある。越川アンジェラは、ほんとうは、小学校の先生になりたかった。
池本マリ:16歳。愛嬌(あいきょう。人と接するとき、相手に好感を与える雰囲気)がある。中学を卒業して定時制高校に入学してきた。昼間は、清掃業の会社で働いている。ホテルや病院の清掃をしている。父親は日本人、母親はフィリピン人のハーフである。両親はマリが幼いころに離婚した。以降、母親と妹と三人で暮らしている。母親は体調がすぐれない。マリが家族の生活を支えている。大学に行って教師になりたいという希望がある。
長嶺(ながみね):70代の男性。陰で、『長老』と呼ばれている。
昼間の女子生徒が教室に入って来て、夜、定時制で自分の机を使っている池本マリが、机の中に入れてあった自分のペンケースを盗んだんじゃないかと言い出す。
池本マリが知らないと返答する。
そんなことがあった。
昼間の生徒は、ブレザーの制服姿ですが、夜の生徒は私服です。柳田岳人は、清掃会社の作業服姿です。
物理準備室:物理担当藤竹教師の部屋。ここが、なにかの本拠地になるようです。
みそ汁で、積乱雲をつくる実験をする。柳田岳人と越川アンジェラがいます。
『対流(たいりゅう)』の実験です。
カラマンシージュース:カラマンシーは、フィリピン方面東南アジアの柑橘系(かんきつけい)果実。さわやかな酸味がある。別名「フィリピンレモン」
2年2組の黒田玲奈(くろだ・れな):昼間の生徒。黒髪ロング。定時制の生徒をばかにする。定時制の生徒を泥棒扱いする。生活保護者をばかにする。
べっこう飴を使って、地震発生モデル実験を行う。逆断層、正断層。
物語に出てくる中学校というところは、いじめがあって、教師たちは知らん顔をしてひどいところです。
わたしは、中学校は、父親が中1の6月に、いきなり病死したことで、どたばたがあって、3校通いました。最初の中学校にいじめはありませんでした。転校した次の中学校もいじめはありませんでした。さらに転校した3校目もいじめはありませんでした。だけど、先生の体罰がありました。けっこうきつい体罰でした。体罰があったから生徒がおとなしくしていたということはありました。まあ、そんな時代でした。親も教師の体罰を容認していました。思うに、第二次世界大戦中の軍国教育が、終戦後30年間ぐらいは尾を引いていたのだと思います。
キムワイプ:アメリカ製のふきんみたいな布。油をふきとる。藤竹の物理準備室に置いてある。
『じゃぱゆきさん』という言葉が出てきます。フィリピン生まれの女性が、日本に渡って風俗の仕事をするのです。
わたしは逆に、『からゆきさん』という言葉を知っています。九州の西海岸地方で生まれた女性が、東南アジアの国へ行って風俗の仕事をするのです。小説作品があります。『サンダカン八番娼館 山崎朋子 文春文庫』、映画にもなりました。
どこもかしこも、女性は、売られる扱いです。
倉橋先生:小学校の先生。越川アンジェラがこどもの頃に世話になった。
火山の噴火実験をする。重曹(じゅうそう)と酢を使う。
短い推理小説にも似た書き方です。
『第三章 オポチュニティの轍(わだち)』
オポチュニティ:チャンス、良い機会、タイミング
名取佳純(なとり・かすみ):定時制高校1年生。三人家族。母と姉。父親は、佳純が7歳のときに出て行った。母がおかしい。姉と妹を比較して、妹を差別する。佳純は中学時代不登校になった。中学3年生からリストカット(カミソリで手首を切る。自殺企図だが死ねない)を始める。定時制高校は、5月23日から保健室登校になり、3週間が経過している。教室は1A。
佐久間:定時制高校保健室の先生。養護教諭。読んでいて最初保健師かと思いましたが、元看護師でした。いろいろわけありです。髪を真っ赤に染めている。30歳より上ぐらい。
松谷真耶(まつたに・まや):定時制高校一年生。この子もわけありです。リストカットの常習者。なお、名取佳純も同様の常習者です。年齢は、名取佳純より1歳上ですから、17歳ぐらいか。全身黒づくめで、肩までの黒髪にピンクのメッシュ(髪全体に薄いピンク色をつけてある。立体感が出る)。起立性調節障害(自律神経の異常)がある。全身がだるい。立ちくらみと頭痛がする。松谷摩耶のバイト代を、母親が、パチンコと酒に使う。(とんでもない母親です)
<来室ノート>:保健室に置いてあったノート。4年間ぐらいだれも書き込みをしていなかった。保健室登校をしている名取佳純が書き込んでいる。(定時制高校にも保健室登校というものがあるのかと驚きました)
火星の話です。
ソル:火星における一日のこと。約24時間40分
ハブ:火星での居住施設
星を継ぐもの:イギリスのSF(サイエンス・フィクション)作家ジェームス・P・ホーガン(1941年(日本だと昭和16年)-2010年(平成22年)69歳没)のSF小説。
EVA:宇宙服を着ての船外活動(施設外活動)
火星の人:アメリカ合衆国のSF作家アンディ・ウィアー(1972年生まれ(昭和47年)51歳)の作品。アメリカの小説家。火星の人は、2011年発表(平成23年)
定時制高校を火星とし、ハブを保健室とする。名取佳純は、ハブでしか、呼吸ができない。
名取佳純は、EVAを着て、教室に行く。決死の覚悟がいる。
過換気:発作的に息苦しくなって、呼吸が早くなる。
過呼吸:緊張、ストレスで、呼吸の深さが増加する。
熊太郎は長いこと生きてきて、一度だけ、リストカットというものを見たことがあります。手首に無数の細い切り傷がある人でした。わたしには、理解できない行動です。心の病気です。よっぽどひどい目にあったのでしょう。自殺するために切ったというよりも、自分を傷つけるという軽い傷の付き方でした。自傷行為で心が満たされる。異常です。
この物語では、リストカット常習者の松谷摩耶が、名取佳純に、『(自分たちは)同類だね』と声をかけます。
夏への扉:1956年(昭和31年)発表のSF作品。アメリカ合衆国SF作家ロバート・A・ハインライン(1907年(明治40年)-1988年(昭和63年)80歳没)。タイムトラベルもの。1970年(昭和45年)と2000年(平成12年)を行き来する。3月に放送が終わったドラマ、『不適切に問ほどがある!』みたいです。
アイザック・アシモフ:アメリカ合衆国の生化学者(生物化学)、作家。1992年(平成4年)72歳没。
アーサー・C・クラーク:イギリスのSF作家。2008年(平成20年)91歳没。作品として、『2001年宇宙の旅』
いろいろむずかしい言葉が多い。
アムカ:アームカット。腕を傷つけること。
ふと気づいたのですが、『リストカットの痕(あと)』と、この章のタイトル、『オポチュニティの轍(火星探査車のわだち)』が、重ねてあるのです。痕(あと)も轍(わだち)もどちらも、『これまで生きてきた証(あかし。軌跡)』なのです。
物理準備室で、科学クラブの実験です。
『火星の夕焼けを再現する』という実験です。
透過光(とうかこう):透明な物体を通した光。
オデッセイ:『火星の人』を原作としたハリウッド映画。2015年(平成27年)のアメリカ合衆国のSF映画。(この本を読んだあと、動画配信サービスで観ました。アメリカらしい豪快な映画でした)
100ページで、この第三章の部分のタイトル、『オポチュニティの轍(わだち)』の意味が解き明かされます。味わいがあります。
オポチュニティ:火星で活動する無人探査船の名称。オポチュニティの轍(わだち。左右に3つずつの車輪の2本の跡(あと))が、人生の軌跡と重なります。
火星探査船オポチュニティを擬人化してあります。オポチュニティは、遠く離れた火星で、ひとりぼっちでがんばったのです。火星の写真をたくさん撮って、地球に送ってくれたのです。
オポチュニティは、2003年(平成15年)7月に打ち上げられ、2004年(平成16年)に火星に到着した。運用期間3か月の予定だったが、気がつけば、14年間火星での旅を続けてくれた。
2018年(平成30年)、オポチュニティは、大規模な砂嵐に襲われて、太陽電池がダウンして、機能が停止した。
2019年(平成31年)2月、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、ミッション終了を宣言した。
オポチュニティは、調査中に、前輪を一つ失ったり、砂だまりにはまりこんだり、原因不明の電力低下に見舞われたり、数々の困難に直面したが、克服し続けた。
『この子(オポチュニティにたとえて)は、自分の後ろに続く轍(わだち)を見て、ただ孤独を感じたわけではないのだ。きっと、もう少しだけ前へ進もうと思ったに違いない……』オポチュニティの背後には、地球に応援してくれる仲間がいた(NASAのスタッフメンバー)。この子にも、仲間が必要だ(定時制高校科学部の生徒)。
108ページにいいことが書いてあります。共感します。
『……わたしの第一の仕事は、学校の中で子どもたちを死なせないこと……』
小学生や中学生をもつ親が教師に望むことは、『生きて卒業させてください』ということです。勉強も運動もできなくてもかまいません。いじめや体罰や事故でこどもが死んだら、親は教師や学校を許しません。
トリアージ:おおぜいの負傷者が出たとき、患者の状態に応じて、治療や搬送の順位を決めること。
レイリー散乱(さんらん):地球の空は青い。夕焼けは赤いという理由の説明があります。昼間は、波長の長い青色の光が散乱する。日没時は、太陽光が大気を通る距離が長くなり、散乱されにくい赤い光が生き残って夕焼けになる。火星ではその逆になるそうです。火星の昼間は赤色の空で、日没のころは青い夕焼けだそうです。空気が薄い、塵(ちり)が多いことが理由だそうです。
『第四章 金の卵の衝突実験』
長嶺省造:定時制高校二年生。昭和23年生まれ。74歳。金属加工の会社を自営で経営していたが、70歳で会社経営を閉じた。子どもはふたりで、孫がいる。福島の常磐炭田(じょうばんたんでん)の炭鉱町で育った。炭鉱が斜陽化したためもあり、中卒で、集団就職で東京に来て町工場でがんばった。37歳で独立した。父親は10歳のときに炭鉱事故で亡くなった。
長嶺江美子:長嶺省造の妻。『じん肺(仕事中に大量の粉塵(ふんじん。ほこり、金属の粒(つぶ)などを長期間吸い込んで肺の組織が壊れた)』で現在は入院中。退院はいつになるのかわからない。学歴は中学卒業。青森から集団就職で上京して、タイル工場で10年間粉まみれで働いた。高校に行きたかった。
木内:50代。英語教師
正司麻衣(しょうじ・まい):定時制高校二年生。いつもスマホをさわっている。
昭和三十年代から四十年代、日本の高度経済成長期にあった、地方に生まれた中学卒業者男女を列車に乗せて都市部へ就職させるという『金の卵』という歴史を振り返ります。長嶺省造夫婦が紹介されます。
現在の六十代以上で体験者がいると思います。こちらの本では、青森、福島の東北地方ですが、九州の鹿児島あたりからでもありました。電車に乗せられて延々と都会まで義務教育卒業の男女のこどもたちが運ばれていくのです。当時、新幹線はなかったか、あっても東京・大阪間で、今ほど普及していませんでした。みなさんたいへんな思いをされました。
いっぽう、もともと都会暮らしをしていた人たちは、景気がいい時期で、生まれてから歳をとるまでずっと貧困暮らしを体験したことがないという人もいます。人は、生まれる場所で人生の過ごし方が大きく変わります。
物語の中の学校では、世代間の対立が、くっきりと出てきて、荒っぽい言動も出てくる表現になってきます。世代間衝突です。
老齢者は、いまどきの若いもんはと定時制高校に来ても勉強しない若い人たちを𠮟りつけ、若い人は、自分たちのことを何も知らないくせにうっとおしいと高齢者の世代を攻めます。
気づくのは、貧困という苦労はあったけれど、昭和時代の若い人には未来への夢があった。地方から出て来てがんばって、じっさいに経済的に豊かになった人が多い。ところが、今の若い人には、未来への夢がないということです。
社会制度とか社会秩序が変わりました。人口構成も大きく変化しました。
この部分を読んでいて思ったのは、昔は、たいてい、まわりにいるみんなが、同じように貧乏だった。
今は、貧富の差とか、学歴・学力の差が、極端に分かれてしまった。格差というのでしょう。
わたしが高校生の頃、大学進学にあたって、家が経済的に苦しい母子家庭だったので、日本育英会の奨学金を申請しました。審査のために面接があったのですが、今はどうか知りませんが、当時は集団面接で、面接会場に行ってみたら、同じ高校に通っている顔見知りの生徒がたくさんいて、なんだおまえもかという雰囲気になり、みんな貧乏なんだなあとお互いにお互いを思った次第です。あんな、頭が良くてかっこいい奴でも、家は貧乏なんだなあです。いいとこのボンボンなんていない田舎でした。
クレーター実験。砂地に鉄球を落とす。
食えん:ずるがしこくて油断ができない。
『第五章 コンピューター室の火星』
昼間部の高校生が出てきます。2年2組です。定時制の柳田岳人と同じ机を共用しています。
丹羽要(にわ・かなめ):高校2年生17歳ぐらい。この子もわけありです。学力が高かったのに、いろいろあって低レベルの高校にしか入学できなかったと嘆いています。家庭が壊れています。両親はケンカして父親が家を出て行き、弟は素直ないい子だったのですが、荒れて、家庭内暴力で暴れています。丹羽要は、自宅に帰りたくない。昼間の高校のコンピュータークラブの部員です。部員とはいえ、まあ、ひとりぼっちです。陰キャらのパソコンオタクだと書いてとあります。
第五章を読み終えたときに思ったことです。(読みながら感想をつぎ足しています)
社会に出ると、学校で何があったかはまったく問題になりません。
学校であったことは、社会では、関係ないのです。
社会では、年齢層の幅が広い、人が多い、広い空間で自分の居場所を探します。
学校で何があったかなんて気にすることはありません。
社会に出ると、一日一日、日にちがたつごとに、学校のことは、日常生活から遠ざかっていきます。そのうち学校に通っていたことも忘れてしまいます。
山崎:丹羽要の前の席に座っている。
河本(こうもと):コンピュータークラブの部員一年生。一年生部員3人のうちのひとり。丹羽要を入れて、実質4人しかコンピュータークラブの部員はいない。
津久井:昼間の高校の数学教師。コンピューター部顧問。
コンピューター室:別棟の校舎にある。4階にある。以前は、地学実験室で使用されていた部屋である。室内には、白いパソコンがずらりと並んでいる。隣に、コンピューター準備室がある。
藤竹教師が、コンピューター準備室の天井パネルをはずして、実験の下準備をしている。
定時制のメンバーが利用している物理準備室は同じ建物の2階にある。
エンカウント:ゲーム用語で、「敵との遭遇(そうぐう)」のこと。
アルゴリズム:手順、計算方法、問題解決の手法
筐体(きょうたい):機器の箱
日本情報オリンピック:丹羽要がチャレンジしている。プログラミング能力を競う。数学・物理の大会、『科学オリンピック』の種目のひとつ。『国際情報オリンピック』日本代表の選考を兼ねている。
定時制の科学部が、コンピューター準備室を実験で利用したい。数か月間毎日利用したい。
拒否反応を示すコンピュータークラブの丹羽要です。
定時制の科学部は、実験成果を、学会で発表したい。(毎年5月に開催される日本地球惑星科学連合の大会にある高校生セッションで発表したい。セッション:期間、時間
実験では、『火星を作る』作業を行う。
最小二乗法(さいしょうじじょほう):わたしには説明できる能力がありません。ご自分で調べてくださいな。データをとって、グラフ化するようです。もっとも確からしい結果を表現するようです。
リム:クレーター作成実験で、鉄の玉を砂地に落とすと、砂がはじかれて、円形に穴があき、その穴のふちが盛り上がるのですが、その盛り上がった部分をリムと呼ぶようです。
ランパート・クレーター:リムのまわりに、エジェクタ堆積物が花びらみたいに広がった状態をいうようです。
エジェクタ:排出。エジェクタ堆積物を研究者は、『ローブ』と呼ぶ。
火星のランパート・クレーターを実験室で再現する。
丹羽要と定時制科学部との間で、コンピューター準備室の利用について衝突があります。
丹羽要は、パソコンがあればしたいことができるのですが、自宅にある彼のパソコンは、弟の家庭内暴力で破壊されてしまったそうです。だから、学校のパソコンをどうしても神経を集中できる静かな環境下で使いたい。
丹羽要の弟は、母親は殴らない。自分を守るために、親を殴るかわりに、物をぶっこわしている。(おそろしいけれど、かわいそうでもあります。暴力ではなにも解決しません)
弟の名前は、『衛(まもる)』。兄の要が高一のとき、衛は中一だった。半年ほどで不登校になり、家の中の物を破壊する家庭内暴力が始まった。
丹羽要は、小学三年生の時に、システムエンジニアだった父親が、中古のノートパソコンを要にくれたことがきっかけでプログラミングを始めた。
丹羽要の両親の性格:ふたりとも、自分の考えが常に正しいと思っているタイプの人間。
藤竹:大学研究者。席はまだ大学にある。(無給)。なにやら事情があって、定時制高校で教師をしている。
秘密兵器:滑車のこと。
タワー・オブ・テラー:ディズニーシーにあるアトラクション
重力可変装置:重力の力を変えることができる装置と理解しました。火星の重力をつくる。
加速度計:部費の予算1万円で買ったそうです。
食えん:ずるがしこくて、油断できない奴。
第五章まで読んで、第三章まで戻ることにしました。
実験装置のことが文章で書かれています。
絵本なら実験装置の絵が描いてあるでしょうから、すんなりわかりますが、文章ではわかりにくいというか、わかりません。
第三章から流し読みをしながら、自分で、いらなくなった紙の裏に実験装置の絵を描いてみます。
トロ舟:一般的には、セメントをこねる容器に使用するようです。長さ1m四方ぐらいのプレスチック容器のようです。長方形かもしれない。
乾燥珪砂(かんそうけいしゃ):石英の粒(つぶ)。陶磁器、ガラスの原料。
クレーターの形成実験:鉄球をトロ舟に落とす。鉄球が隕石(いんせき)のつもり。鉄球は、直径4cm、3cm、2cmがあるが、藤竹は、4cm以上のものがほしいらしい。
高さ2mから直径4cmの鉄球を珪砂に落とすと、鉄球がくぼみに沈んで頭を出す。頭のまわりに、輪ができる。砂が持ち上げられて、放出された砂がたまる。たまった砂が盛り上がった部分を、『リム』という。くぼみは直径が10cmぐらい。
鉄球の運動エネルギーとクレーターの直径には、比例関係がある。そこからスクーリング則(そく)という話になるのですが、わたしには理解できません。規則的なものがあるのでしょう。
科学部のメンバーはさらに、砂の固まりを加工して(お湯で溶かした寒天を流し込んである)、色付けをした砂を地層のように扱います。下から、緑色、青色、赤色、茶色とし、火星の地面を表現します。そこへ鉄球を落とします。同心円状に飛び散った4色の砂の飛び散り方の規則性を調べます。
次は、鉄球の発射装置の図面です。溶接やネジやバネをつくる製造業をしていた長嶺省造のアイデアが登場します。上等なパチンコ、下に向けて撃つとあります。
科学部のメンバーで研究して、全国的な学会で発表して、栄誉をもらうという人生の思い出づくりをするのです。学会は年に一度千葉市にある幕張メッセで開催されるそうです。(幕張メッセには行ったことがあるので、身近に感じます)
鉄球発射装置は、台のような形で、トロ船の上に設置する。アルミの4本足の上に木の板の台がある。代のまんなかに穴が開いている。穴の中に直径20cmの塩ビ管が通してある。
塩ビ管の上に、幅広ゴムが十文字に設置してある。このゴム紐(ひも)の弾力で、鉄球を飛ばす。
塩ビ管の下に、速度測定装置(光センサー使用)が取り付けてある。
3m50cmの高さが必要になるから、コンピューター準備室の天井のパネル板をはずして、実験装置をつくる。滑車を利用する。数か月間、同室を利用する。
この装置のことを、『重力可変装置』と呼ぶ。火星の重力を再現する。
直径50cm~60cmのプラスチック製たらいに、粒(つぶ)が非常に細かい砂が入れてある。砂は、火山灰のつもりである。砂は、水気(みずけ)を含んでいる。砂の火山灰が100gに水が56gでつくってある。越川アンジェラがなんどもチャレンジして適度な火山灰をつくった。
櫓(やぐら)のようなもの:メンバーいわく、『秘密兵器』。てっぺんに自転車のホイールがはめてある。
ホイールには、金属の細いワイヤーがかけてある。ワイヤーの両端に金具で木製の箱が取り付けてある。片方は長辺が40cmほどの箱で、もう片方は、一片15cmの箱で、小さい箱のほうが軽い。これを、『重力可変装置』と呼ぶ。大きいほうの木箱を、『実験ボックス』と呼ぶ。大きいほうの木箱を落下させる。底に4cm角ほどの加速度計が取り付けてある。小さいほうの箱は、おもりの役割を果たす。火星の重力が発生するように砂を入れてある。(地球の0.38倍)
火星は意外に小さい。半径が地球の半分ぐらいしかない。大気は二酸化炭素で、地表の気圧は地球の0.6%しかない。休眠状態の微生物とか、地中で生きている生命体がいる可能性はある。寒い。赤っぽい地面ばかりしかない。質量は地球の10分1。
加速度計:物体の加速度を測定する装置。1万円ぐらい。
『第六章 恐竜少年の仮説』
相澤(あいざわ):藤竹の友人。准教授。ふたりは、東都大学の同期生。オフィスの主人。ずんぐりした体と短い指をしている。藤竹は、東都大学大学院理学研究科で無給の学術研究員の立場にある。藤竹の研究テーマは、『天体衝突と惑星の進化』
奥多摩の雪景色が見えるオフィスには、探査機『はやぶさ2』、金星探査機『あかつき』、月周回衛星『かぐや』のプラモデルなどが飾ってある。時は、2月である。
JAXA(ジャクサ):宇宙航空研究開発機構。
宇宙科学研究所:所在地は、神奈川県相模原市(さがみはらし)。
アカデミア:大学や公的機関で働く研究者。教授、准教授など。
日本地球惑星科学連合大会:千葉市幕張メッセで5月に開催される。
藤竹の実験:定時制高校に科学部をつくるということ。定時制高校に科学部をつくり、どんなことが起きるのかを観察する。
首肯(しゅこう):うなずくこと。
メンバーの多様性:メンバーが同じような能力だと伸びない。
逡巡(しゅんじゅん):決心がつかずためらう。
(ちょっと横道にそれます)
たまたま先日の夜、BSフジのプライム・ニュースという番組を見ていたら、JAXA(ジャクサ)の人たちが出ていて、今年月面に着陸したSLIM(スリム。小型月着陸実証機)についてお話をされていました。ちょうどこの本に出ていた組織なので興味をもって見ました。
AI(エーアイ)みたいなもので、着陸20分前に相模原市のJAXAから指示を出すと、あとはSLIM(スリム)が自分自身で判断して月面に着陸していくそうです。
横流れしながら着陸して転倒した状態で静止した。計画していたとおりの姿勢での着陸ではなかったが、太陽光発電は利用できる状態だった。
月面の温度は昼100℃以上、夜は、-170℃前後だそうです。
地上では、事前にいろいろなパターンを考えてあって、実際の状況があてはまるパターンで淡々と処理を進めていくというようなお話でした。冷静沈着、機械的でもありますが、落ち着いて実行していくのです。
宇宙開発は基本的には、『ものづくりです』という言葉を聞いて、この物語に出てくる74歳の定時制高校生長嶺省造さんを思い浮かべたのです。
(では、もとに戻ります)
文章を読みながら装置のイメージ図を紙に書いているのですが、だんだんわからなくなってきました。
実験ボックス(大きいほうの木箱→透明のアクリル容器に変更した。側面が扉のように開く。長辺40cmの箱である)にデジタルカメラをつける。
コンピューター準備室の角(すみ)に、角材で組まれた櫓(やぐら)がある。
天井パネルが2枚はずされている。
その穴に、櫓の頭が少しつっこんでいる。
天井の穴から、自転車のホイールが下半分だけ見える。
櫓の高さは3mである。
滑車にワイヤーが釣り下がっている。ワイヤーの片方に実験ボックス、もう片方におもりの役目の小箱が付いている。
火星の重力は、0.38Gである。
その持続時間は、0.6秒である。
実験ボックスの中に、標的の砂(これがなにかわかりません→その砂を、火星の地表として、0.38Gの環境をつくって、隕石にたとえた金属球を撃ち込むのだろうか)を入れたプラスチック容器を入れる。
実験ボックスが滑車で落下する間に、上から金属球の弾(たま)を打ち込んで、クレーターをつくる。
実験ボックスの上に、金属球の発射装置を付ける。実験ボックスと金属球の発車装置は、一体である。両者は一体となって落下する。
発射装置は、スプリング式空気銃の仕組みを応用したものとする。
発射装置はアルミ製の筒で、長さは20cmぐらい、内部に、強力なばねとピストンが仕込まれている。(こどものころ、竹でつくった水鉄砲みたいです)
押しつぶしたばねが、元に戻る力で(伸びる)ピストンを押し出し、圧縮された空気が弾を撃ち出す。
この発射装置が、実験ボックスの上ぶたに金具で取り付けられている。
アクリル製実験ボックスの箱の上に、アルミの筒が立っている。アクリル箱の上ぶたには、筒から弾を通すための丸い穴が開いている。
引き金にばねを取り付ける。収縮したばねが動かないように小さな金属の留め金でとめる。留め具と櫓の最上部とを紐(ひも)でつなぐ。実験ボックスが、紐の長さまで落下したときに、留め具がはずれて、ばねが引き金を引いて隕石にたとえた球が、火星の地表にたとえた砂に向かって発射される。
紐は、細くてがんじょうなチェーンにした。チェーンの長さで、引き金を引くタイミングを調整する。誤射を防ぐ安全装置も装着した。製造業を職としていた長嶺省造さんのアイデアと技術です。
ストッパーである留め具はアルミ製にした。
ランパート・クレーター:この意味がなかなかしっくり頭に入ってきません。花びら状のクレーター。
二重ローブのクレーター:円形が二重になっているクレーター。まずひとつ円形があって、さらにひとまわり大きな円形が囲む状態でしょう。
名取佳純の性質・資質・性格として:記録魔です。いつどこでだれがなにをどうしてそうしてどうなったのかをていねいに記録します。たぶん、こういう人って、古代大和朝廷の時代からいたと思います。そういう人たちが文書を残してくれたおかげで、昔の歴史をふりかえることができます。
ドライアイス:火星の二酸化炭素の氷とする。
間隙率(かんげきりつ):すきま。火山灰の粒子の間のすきま。ちょっとむずかしくて、わたしにはわかりません。
昇華量:ドライアイスが蒸発することだと受け取りました。
マハブランカ:フィリピンの伝統的なスイーツ。ココナッツミルクでつくる。お豆腐みたいに見えます。
220ページまで読んできて、話がうまくいきすぎている感じがします。(このあと、波乱が訪れて、研究が中断します。冒頭の定時制高校退学者ふたりがコンピューター準備室に乗り込んできて、実験装置を破壊します。バカヤローたちです)
224ページ、読んでいて、脳の中で登場人物たちが生きている感覚があります。
実験装置を壊されて、メンバー同士の諍い(いさかい)があります。
おもりの小箱を手動で操作するのをやめて、電磁石を導入した。
藤竹の思考と苦悩が明かされます。
以前ノーベル賞を受賞したアメリカ合衆国在住日本人のお話と共通します。日本では、しがらみがあって、研究に専念できないのです。
読んでいて共感します。今年になって政治家の派閥が大きな問題になりましたが、それは、国会だけのことではなくて、日本中いたるところにある組織で行われていることです。
基本的に、大学ごとという学閥で、グループで集まって、師匠と弟子の関係ができて、自分たちの利益のために物事を決めていきます。師匠のポストを弟子が引き継いでいく手法です。派閥に入れない者は、能力があっても排除されます。自由度が低い。また、上司にあたる人のいうことに従わないと上司がもつ人事権で排除されます。
税金とか保険料とか、そんなお金という、『砂糖の山』に、みんなでアリのように群(むら)がって、権利を得て、関係者でお金を分け合うのです。そこに正義はありません。不合理、不条理、理不尽な世界が広がっています。
生き残るためには、パワハラやセクハラになどに耐えて、気持ちに折り合いをつけていくことが必要です。忍耐と順応です。それが現実です。
エリート:優秀とされる人。指導者の立場になる人。人口1臆2300万人の日本人から選ばれた人。
233ページに重い言葉があります。『エリートという連中は、真っ当なレールの上を歩んでこなかった人間が自分たちの足もとまでのし上がってきた途端、手のひらを返して蹴落としにかかるものだ……』
人の足をひっぱって、快感を味わいたいとう類(たぐい)の人間がいます。心の中に、鬼が住んでいる人がいます。
夜、9時15分に教室に集合して、みんなで話し合って、困難を克服します。心を割っての、本音での話し合いはだいじです。
藤竹はこどものころ、恐竜少年だった。科学に興味があった。
裕福な家のおぼっちゃまだった。
東京世田谷区の一戸建てに生まれて住み、中高一貫の私立高に通い、大学に入った。(本では東都大学ですが、現実では東京大学でしょう)。
父は大手ゼネコンの研究職、母は小学校教師をしていた。
そんな話から、学歴差別の話へとつながれていきます。藤竹さんが推す(おす)人物は、高等専門学校卒であったために、研究の実績をなきがものとされて不利益をこうむります。藤竹さんに推(お)された人物と柳田岳人のキャラクター(個性)が重なります。
教師という人たちは、人に点数をつけることが仕事の人たちです。
成績の点数結果で人間に上下のランクをつけます。
勉強ができる頭がいい人たちがつくる世界です。
大きな組織では、『本流(主流派)』とか、『支流(非主流派)』などと表現することもあります。
学歴とか成績で人間を色分けします。思いやりなどというものは、あるようでありません。利害関係でつながります。そういう世界があります。
ツーソン:メキシコとの国境に近い。藤竹のアメリカ合衆国での就労先。アリゾナ大学の研究員。藤竹は、上司にさからったので、日本の学術派閥から排除された。
ポスドク:期限付きの研究者
なんというか、想像力とか発明とかいう能力は、学歴とは関係ない時があるのです。そのことひとつについて、生まれながらのずば抜けた能力がある。だけどそのこと以外のほかのことは何もできないという人はいます。
ひととおり、なんでも平均点のことはできるけれど、ずばぬけた能力はないという人もいますが、それはそれで、会社や組織にとっては使い勝手がいい人であり、わたしは、すばらしい能力をもった人だと判断しています。
柳田岳人の言葉には説得力があります。
なにかをやるときに、具体的な理由とか理屈なんてないのです。
『やりたいからやる』のです。
アスペクト比:モニターなどの画像において、縦横の比率。1対2とか、3対とか。
解析(かいせき):細かく調べる。
実験では、想定外の結果が出ることがあるそうです。(なるほど)
深い意味合いがあります。
藤竹にとっては、定時制高校のメンバーを科学部に集めて研究をしたら、集まった人間たちによってどのような効果が生まれるかという実験をしているのです。目の前の火星をつくるという実験はそのための素材に過ぎないのです。
252ページに藤竹さんの言葉があります。『人間は、その気にさせられてこそ、遠くまで行ける』
『第七章 教室は宇宙をわたる』
最後の章まできました。ずいぶん長い文章になってしまいました。疲れました。
根気よく最後まで読んでいただいた方には感謝します。なにかの役(やく)に立てたら幸いです。
さあラストスパートです。(最後のがんばり)
小説の舞台は、JR京葉線海浜幕張駅南口から幕張メッセ国際会議場へと移ります。
自分も何度か訪れたことがある場所と地域です。
車を運転して、海浜幕張駅まで人を送ったこともあります。読んでいて、親しみを感じます。
初めて行ったのは、息子がまだ小学生のときで、4年生ぐらいだった記憶です。
ふたりで、大恐竜博展を観たあと、プロ野球の球場を横目に歩き、海岸辺りをぶらぶらしました。
その時は、もう二度とここへ来ることはないだろうと思いましたが、縁があって、その後何度も訪れました。
物語の中では、定時制高校のメンバーが発表会に参加します。『日本地球惑星科学連合大会』です。
この章では、柳田岳人(やなぎだ・たけと)が語り手です。彼のひとり語りが続きます。彼の気持ちが表現されます。
『火星重力下でランパート・クレーターを再現する』
研究メンバーは、東京都立東新宿高校定時制課程、柳田岳人、名取佳純、越川アンジェラ、長嶺省造です。発表者は、柳田岳人と名取佳純です。
真空チャンパー:内部を真空にするための容器。
標的:攻撃目標。ただ、こちらのお話の場合は、仮定した火星の地表とか地中のことをさすようです。
読んでいて思うのは、『オタクの世界』です。
オタク:こだわりがある対象をもち、対象物に時間やお金を集中する人。まあ、だれしもそういうところはあるでしょう。
物語ですので、当然ですが、メンバーたちの研究成果は表彰対象となります。
お笑いコンビティモンディ高岸宏行さんの決めゼリフ、『やればできる!』を思い出しました。
『見えるか、先生。獲ったぞ。(とったぞ)』
あの日あの時あの場所で、あの人に会わなければ、今の私はなかったということがあるし、会ったがために、ひどい目にあったということもあります。幸運な人に出会うことは良縁です。不運な人に出会わないためには工夫が必要です。
自分が人を見るときのものさしがあります。その行動を見て近づかいないように気をつけている人がいます。たばこを吸う人にいい人はいない。ながらスマホをする人にいい人はいない。ありがとうを言わない人にいい人はいない。お酒飲みも避けたほうがいい。長い間生きてきての教訓です。
奇人でもいいから善人と付き合う。悪人と思われる人とは距離を開ける。不利益に巻き込まれないようにする。
物語にある、『部屋』の文章の部分を読みながらそう思いました。部屋=人との出会いの空間です。
282ページ、夢のような(実現性のない)話ではあるという感想で読み終わりました。
『作者あとがき』
さきほど、実現性のない夢と書きましたが、実話のモデルがあるそうです。びっくりしました。
2017年の日本地球惑星科学連合で実際にあったお話をモデルにしてこの小説ができあがっているそうです。
大阪にある定時制高校がチャレンジして成功をおさめています。『重力可変装置で火星表層の水の流れを解析する』がタイトルでした。すごいなあ。立派です。
(その後 98ページに記事がある映画、『オデッセイ』を動画配信サービスで観ました)
物語は、火星にひとり残された男性植物学者宇宙飛行士をみんなで救出する物語になっています。
地球の科学者たちみんなが、国籍を問わずに協力し合って火星に取り残された男性を救い出します。
感動的です。
現実社会では、アメリカ合衆国と中国は仲が悪いようですが、映画の中では仲良しです。
最終的には、アメリカ合衆国が一番という映画です。かまいません。それがアメリカ合衆国の人の誇りであり心の支えなのでしょう。アメリカ合衆国らしい娯楽映画です。
オデッセイ:意味は、『長い冒険旅行』だそうです。映画の原題は、『The Martian(火星人)』です。
小説は、『火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫SF 1巻・2巻各上・下』です。
こちらの本の登場人物の名取佳純(なとりかすみ 16歳 中学不登校 リストカット女子)が、『火星の人』を読んで、へこんだ気持ちが助けられるわけですが、小説とかマンガを読むことで、励まされたり、心が救われたりすることってあります。音楽や映画でも同様です。ですから、人間にとって、芸術や娯楽は大事です。お笑いも大事です。
2024年05月10日
私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界
私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界 クリスティーン・ボーデン著 桧垣陽子(ひがき・ようこ)訳 クリエイツかもがわ
本の帯に、『世界でも数少ない認知症の人が書いた本』とあります。
介護するほうの人の本や映画を観たことはありますが、認知症である人が書いた自身の病気を紹介する本は1冊しか読んだことがありません。『ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA』でした。そちらの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれていました。
さて、これから読む本には、どんなことが書いてあるのだろう?
読み始めます。(読みながら感想を書き足していきます)
筆者は、オーストラリア人です。
自分はオーストラリアには2回行ったことがあります。もうずいぶん前のことになりました。
死ぬまでにもう一度シドニーのオペラハウスを見たいねと夫婦で話をしたことがありますが、歳をとってきて体も若い頃のようにびゅんびゅんとは動かなくなったのであきらめもようです。
自分は認知症にはならないとは思っていません。歳をとってきて物忘れが多くなってきました。早期発見、早期治療です。ニュースの報道番組などで、初期のアルツハイマー型認知症には、エーザイのレカネマブ(商品名:レケンビ)という薬が効く人もいるという知識はもっています。完治はしないそうですが、完治しなくても、効果がある数年間の間だけでも正気(しょうき)でいて、こどもたちに迷惑をかけたくないという気持ちはあります。
『日本の読者のみなさまへ』
ご自身は、今日が何曜日なのか、お昼に何を食べたのか、きのう何をしたのかなどを覚えていないそうです。わたしも多少、そういうことはあります。定年退職後は毎日が日曜日です。何を食べたのかを思い出す必要もありません。働いていたころは、サービス残業の長時間労働で、夜間や休日の呼び出しもあったし、一年ぐらい先の仕事に関するプランを一日中ずーっと考えて仕事の準備に専念していました。そういうことから解放されたら、気が抜けて、記憶力がどんどん落ちていきました。体もあちこちが痛みだしました。
自分は認知症だけれど、堂々としていたいというような強い意思表示の文章があります。
アルツハイマー型認知症の有効な治療法ができることを期待されています。
認知症をもつ人たちが、希望をもって生きられることを願っておられます。
その部分の文章を書かれた日付はかなり古い。2003年2月オーストラリア・ブリスベーンにてとあります。2003年は、平成15年で、今からもう21年ぐらい前のことになりました。
231ページにある著者略歴を見ると、著者は、7回来日されています。2003年(平成15年 岡山、松江(島根県))、2004年(平成16年 京都)、2006年(平成18年 京都)、2007年(平成19年 札幌)、2012年(平成24年 場所は書いてありません)、2017年(平成29年 場所は書いてありません)、2023年(令和5年 場所は書いてありません)
1949年(昭和29年生まれ)今年75歳ぐらいの女性です。アルツハイマー型認知症の発病が、1995年46歳のときとあります。そのときの職業が、オーストラリア首相内閣省の職員です。日本でいうところの高級官僚でしょう。翌年、おそらく認知症が原因で退職されています。
4ページに、マイク・マンロというジャーナリストの『はしがき』があり、この本の著者は、自分の電話番号が覚えられなくなり、『やかん(英語でケトル)』という単語を思い出せなくなったとあります。著者は、介護者の苦労を理解したとあります。娘さんが三人おられます。著者は、シングルマザーだそうです。著者は、見知らぬ世界にいる人になっているとあります。
『はじめに』
ご自身の経歴に自負あり。(じふ:才能と仕事を誇りに思う)。オーストラリア国の上級行政官だった。
しかし、退職して、余命わずかな認知症の年金生活者になってしまった。
1995年(平成7年阪神淡路大震災の年です)46歳で、アルツハイマー病の初期と診断された。(いまだと、エーザイのレカネマブという初期の認知症に効果があるという薬があります)その後、奇跡的な改善があったそうです。
途中でクリスチャンになられたらしい。本の内容は宗教の話が多くなりそうなので、興味がない人は読み飛ばしてほしいそうです。(わたしは、神さまというものは自分の心の中にいるから自分を信じて生きています。祈りだけでは課題は解決しません。できもしないことをできるように思わせるという暗示をかけるような特定の宗教とはかかわりをもちません。だからこの本の宗教の部分は読み飛ばします)
アルツハイマー病は、オーストラリアでは、4番目に多い死因だそうです。
発病したころとして、娘が3人いる。イアンシー23歳、リアノン17歳、ミシェリン12歳
自分にひんぱんな偏頭痛(へんずつう。血管の拡張でズキズキという痛み)があった。
マーガレット・フリッシェ:首相・内閣省で著者の個人秘書官だった。
祖母:103歳。
『はじめに』の部分を書いた日付は、1998年4月(平成8年)になっています。
『目次』
8つのパート(部分)に分かれています。第1章から第23章まであります。最後に、【付録】があります。
『診断』
まだ若いのにアルツハイマー病の診断がくだります。若くても診断は出るし、外交官や、弁護士、判事でも診断を下したことがあると医師が言います。(著者は、自分が優秀な人間であることに誇りをもっておられます)
脳の前頭葉全体に神経の脱落が見られるそうです。CTスキャンとかMRIの検査を受けておられます。
著者は不安な世界に突き落とされました。娘三人がいるシングルマザーです。住宅ローンもあります。
しばらく読んでいて、気づいたことがあります。外国人はこういう書き方をするのだろうか。去年読んだ本で、乳がんを克服された西加奈子さんの、『くもをさがす』がありました。読みにくい本でした。だらだらと友人や医療関係者とのやりとりが、牛のよだれのように延々と続くのです。夏目漱石作品、『吾輩は猫である』のパターンでもあります。
今読んでいるこの本もそのような書き方です。
時系列に従って、病気の経過が書いてあります。
仕事のストレスは大きかったようすです。それでも著者は、仕事が好きな仕事人間でした。
理由はわかりませんが、長女のイアンシーが自殺企図をしています。
著者が1993年5月(日本だと平成5年)に離婚した夫は、DVの加害者でした。家庭内暴力。
自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、イスを蹴ったり(けったり)する男性がいます。学力的には優秀な人だったりもします。
著者はひどい偏頭痛に苦しんでいた。
1995年、出勤途中に、職場への道がわからなくなる。自分で車を運転中です。怖い(こわい)。
同年9月15日に、専門医から退職勧告を受けた。
『私は誰になっていくの?』
『アルツハイマー病で死ぬはずがない』から始まります。
アルツハイマー病が原因で、退職しなければならないので、老齢退職年金会社に年金の申請をしますが受け付けてもらえません。年金査定委員会にはねられます。仮病扱いです。16年間以上保険料を納めてきたのに。(オーストラリアの年金制度は日本とは異なるようです)
長女は大学を一年間休学することになりました。(休学中は学費を払わなくていいようです)
1996年2月(平成8年)の専門医の判断として、著者は、約一年後に身の回りの世話の解除が必要になる。数年後には、全介護が必要になる。
この部分を読んでいて、先日自分が整形外科クリニックを受診した時のことを思い出しました。見るからに認知症であろう小柄な70代ぐらいの女性が、年老いた夫と看護師に両腕をかかえられてよろよろと、ほんとうにゆっくり歩いているというか、前に進んでおられました。夫がかける声にはかすかな反応があるのですが、看護師がかける声には無感心なようすでした。喜怒哀楽のない無表情の女性でした。その方は、声を発することはありませんでした。
安心はできません。明日は我が身かもしれません。気をつけていても認知症になってしまいます。
高齢のアルツハイマー病患者の生存予想年数:15年~20年と書いてあります。
65歳以下のアルツハイマー病患者は、全体の2%。若いと病気の進行が早い。生存予想年数:5年~10年と書いてあります。
状態として、脳の細胞が侵され(おかされ)、もつれて混乱し、もはや機能できなくなると書いてあります。人格、行動、思考、記憶をつかさどる細胞が働かなくなる。
『アルツハイマー病になると、どんな感じなのか?』
病状について書いてあります。
まわりに人がいるときは、元気だが、人がいなくなると、疲れ切ってぐったりしてしまうそうです。
人とにぎやかに談笑したあとは疲れ果てて2・3時間、横になるそうです。
1995年10月のこととして、『タクリン』という薬を飲まれています。今なら、エーザイの『レカネマブ』という薬のような位置づけなのでしょう。認知症の薬です。(その後、タクリンは全般的に効果がなかったようです)
以前のご自身の能力(脳の力ともいえる)について語っておられます。
生まれつき、記憶力が抜群に良かった。(天才です。関係先のたくさんの電話番号とか、10ケタもある各種カード番号とかを瞬時に口にすることができたそうです)
あらゆるものを短時間で記憶できた。すばやかった。相手が遅いことにイライラした。
しかし、認知症になった今、その並外れた、『記憶力(記憶する力)』は、もうない。
今日が何曜日なのかわからないそうです。西暦もわからない。
今、午前なのか、午後なのかもわからない。
頭の中全体にぼんやり霧がかかっていて、何をするのにも、大変な努力とコントロールがいるそうです。
いつも間違ってしまう。
遠い過去の記憶はあるけれど、最近のことが思い出せない。
同時に複数のことができない。火事を出しそうになるそうです。料理をしながら、洗濯をして、アイロンをかけて、そういうことをしているうちに、お鍋やアイロンのことを忘れて放置する。
用事があって電話をかけているうち(番号を押す)に、用事の内容を忘れて、相手が電話に出て、相手がだれなのかを忘れて、相手にあやまる。(つらいことです)
にぎやかなところが苦痛です。おおぜいが参加するパーティとか、ショッピングセンターとか、音や人の声で、とても疲れるそうです。
どこから音が聞こえてくるのかがわからないそうです。
『その時、何歳だった?』と質問されて、『4時半だったわ』と返答してしまいます。
『郵便受け』という単語を思い出せなくて、『切手を貼った手紙を入れるあの箱』と表現します。
読んでいて、ふと思ったのです。
こうやって、きちんと文章が書かれていることが不思議です。
認知症の状態からして、このようなしっかりした文章は書けないような気がするのです。
93ページにそのことについて書かれてあります。
コンピューター(パソコン)なら、(文章などを)打てる。手書きはほとんどできないそうです。コンピューターで字を書くのは自分にとってはやさしいこととあります。
著者の脳みそは、ロボットのようです。
娘さんから、『ママの声は、ロボットのようだわ……』と言われます。
アラーム付き薬入れ:そういうものがあることを初めて知りました。飲み忘れ防止対策です。
物の置忘れが多い。
『見知らぬ世界への旅立ち』
自分で自分の脳を、『腐れ脳(くされのう)』と呼ぶ。
計算能力がなくなる。銀行口座の管理・運用はできない。
長女のイアンシーに代理人の権限を設定する手続きをした。
手書きで文字や数値を書くことがむずかしくなった。
車の運転席で、どのペダルがなにかわからなくなった。(すぐに思い出すので、しばらく運転をされていました。恐ろしいことです(おそろしいことです))。車のバックがむずかしくなる。
階段ののぼりおりが、気持ちを集中させないとできない。自分の足につまずく。
娘や孫たちと過ごす時間を大切にしたい。いっしょに過ごしたい。
宗教の話が多くなってきました。(わたしは興味がないので流し読みします)
『これからどこへ』
1996年(平成8年)、新聞の記事になる。テレビ番組に出る。アルツハイマー病について説明がなされた。
神さまの話が続きます。
『後記 驚きにみちた神!』
1997年7月から数か月間のことです。(平成9年)
(病状が)よくなっている感じがする。
また、車の運転をしたい。
1998年2月。車の運転をしています。頭がはっきりしているそうです。
イギリスにいる父親が亡くなって、葬儀に出席されているようです。
(このあたり、文章が興奮していて、時系列がよくわかりませんでした。ご自身はわかっているのでしょうが、読み手にはわかりにくい)
『神が担って(になって)くださる!』
だいじょうぶだろうか。思いこみで心をコントロールされているような雰囲気があります。マインドコントロール。この場合、宗教。聖書とか、クリスチャンとかの単語が出てきます。
6年後から8年後には、死ぬだろう。3年後から5年後には、ホームで全介護が必要になるだろう。
『付録』アルツハイマー病とはどのような病か?
著者の言葉です。
脳室が拡大する。脳回(脳のしわの隆起した部分)が縮む(ちぢむ)。脳溝(のうこう。脳のしわのくぼんだ部分)は開く。大脳皮質(脳を覆う(おおう)しわしわの部分)が減少する。大脳皮質ほかに老人斑(ろうじんはん。たんぱく質の沈着(アミロイドという核をもっている))が見られる。
以下、本に書いてあることは、説明がとても細かいので、ここに書くのは疲れるからやめておきます。
アミロイドβ(アミロイドベータ)というたんぱく質(「ごみ」らしい)が、アルツハイマー型認知症の原因になっていて、アミロイドβを退治する薬が、エーザイの『レカネマブ』という薬のことだろうと、自分は理解しています。(株式投資をしていての知識です。自分は、エーザイの株を保有しています)
全人格がゆっくりと崩れていく。知性、想像力、コミュニケーション、感情、判断、動機づけ、行動、自制心に影響が及ぶ。
最終的には、脳が減少して、身体機能が維持できなくなり死に至る。排泄のコントロールができなくなり、言葉を話したり、歩いたり、立ち上がったり、ほほえむことができなくなる。
最後に、動けなくなり、寝たきりになり、意識がなくなり、死を迎える。
『クリスティーンさん訪問の記録 石倉康次 立命館大学産業社会学部教授』
有志5人で、オーストラリア・ブリスベーン郊外にある著者のご自宅を訪問された時の記録です。
著者は、再婚されています。1998年(平成10年)に結婚紹介所で知り合われたそうです。
宗教とか信仰の話があります。
著者の一日の過ごし方について、お話されています。
著者は、作家のような生活を送られています。
『認知症を生きるということ 小澤勲 精神科医 2008年(平成20年)70歳没』
読んでいて自分が思ったことと同じことが書いてあります。『これが認知症を病む人が書いた文章だろうか』、誤診ではなかろうかということです。
でも、脳の画像は異常なのです。MRIの画像では、脳に激しい萎縮があるそうです。
『認知症になってしまえば、本人は何もわからないのだから……』→ということはないそうです。認知症になっても、心の動きはあるのです。
全体を読み終えて思ったことです。
人間は、最後はだれでも死んでしまう。
だから、どう生きて、どう死ぬのか、よく考える。
本の帯に、『世界でも数少ない認知症の人が書いた本』とあります。
介護するほうの人の本や映画を観たことはありますが、認知症である人が書いた自身の病気を紹介する本は1冊しか読んだことがありません。『ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA』でした。そちらの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれていました。
さて、これから読む本には、どんなことが書いてあるのだろう?
読み始めます。(読みながら感想を書き足していきます)
筆者は、オーストラリア人です。
自分はオーストラリアには2回行ったことがあります。もうずいぶん前のことになりました。
死ぬまでにもう一度シドニーのオペラハウスを見たいねと夫婦で話をしたことがありますが、歳をとってきて体も若い頃のようにびゅんびゅんとは動かなくなったのであきらめもようです。
自分は認知症にはならないとは思っていません。歳をとってきて物忘れが多くなってきました。早期発見、早期治療です。ニュースの報道番組などで、初期のアルツハイマー型認知症には、エーザイのレカネマブ(商品名:レケンビ)という薬が効く人もいるという知識はもっています。完治はしないそうですが、完治しなくても、効果がある数年間の間だけでも正気(しょうき)でいて、こどもたちに迷惑をかけたくないという気持ちはあります。
『日本の読者のみなさまへ』
ご自身は、今日が何曜日なのか、お昼に何を食べたのか、きのう何をしたのかなどを覚えていないそうです。わたしも多少、そういうことはあります。定年退職後は毎日が日曜日です。何を食べたのかを思い出す必要もありません。働いていたころは、サービス残業の長時間労働で、夜間や休日の呼び出しもあったし、一年ぐらい先の仕事に関するプランを一日中ずーっと考えて仕事の準備に専念していました。そういうことから解放されたら、気が抜けて、記憶力がどんどん落ちていきました。体もあちこちが痛みだしました。
自分は認知症だけれど、堂々としていたいというような強い意思表示の文章があります。
アルツハイマー型認知症の有効な治療法ができることを期待されています。
認知症をもつ人たちが、希望をもって生きられることを願っておられます。
その部分の文章を書かれた日付はかなり古い。2003年2月オーストラリア・ブリスベーンにてとあります。2003年は、平成15年で、今からもう21年ぐらい前のことになりました。
231ページにある著者略歴を見ると、著者は、7回来日されています。2003年(平成15年 岡山、松江(島根県))、2004年(平成16年 京都)、2006年(平成18年 京都)、2007年(平成19年 札幌)、2012年(平成24年 場所は書いてありません)、2017年(平成29年 場所は書いてありません)、2023年(令和5年 場所は書いてありません)
1949年(昭和29年生まれ)今年75歳ぐらいの女性です。アルツハイマー型認知症の発病が、1995年46歳のときとあります。そのときの職業が、オーストラリア首相内閣省の職員です。日本でいうところの高級官僚でしょう。翌年、おそらく認知症が原因で退職されています。
4ページに、マイク・マンロというジャーナリストの『はしがき』があり、この本の著者は、自分の電話番号が覚えられなくなり、『やかん(英語でケトル)』という単語を思い出せなくなったとあります。著者は、介護者の苦労を理解したとあります。娘さんが三人おられます。著者は、シングルマザーだそうです。著者は、見知らぬ世界にいる人になっているとあります。
『はじめに』
ご自身の経歴に自負あり。(じふ:才能と仕事を誇りに思う)。オーストラリア国の上級行政官だった。
しかし、退職して、余命わずかな認知症の年金生活者になってしまった。
1995年(平成7年阪神淡路大震災の年です)46歳で、アルツハイマー病の初期と診断された。(いまだと、エーザイのレカネマブという初期の認知症に効果があるという薬があります)その後、奇跡的な改善があったそうです。
途中でクリスチャンになられたらしい。本の内容は宗教の話が多くなりそうなので、興味がない人は読み飛ばしてほしいそうです。(わたしは、神さまというものは自分の心の中にいるから自分を信じて生きています。祈りだけでは課題は解決しません。できもしないことをできるように思わせるという暗示をかけるような特定の宗教とはかかわりをもちません。だからこの本の宗教の部分は読み飛ばします)
アルツハイマー病は、オーストラリアでは、4番目に多い死因だそうです。
発病したころとして、娘が3人いる。イアンシー23歳、リアノン17歳、ミシェリン12歳
自分にひんぱんな偏頭痛(へんずつう。血管の拡張でズキズキという痛み)があった。
マーガレット・フリッシェ:首相・内閣省で著者の個人秘書官だった。
祖母:103歳。
『はじめに』の部分を書いた日付は、1998年4月(平成8年)になっています。
『目次』
8つのパート(部分)に分かれています。第1章から第23章まであります。最後に、【付録】があります。
『診断』
まだ若いのにアルツハイマー病の診断がくだります。若くても診断は出るし、外交官や、弁護士、判事でも診断を下したことがあると医師が言います。(著者は、自分が優秀な人間であることに誇りをもっておられます)
脳の前頭葉全体に神経の脱落が見られるそうです。CTスキャンとかMRIの検査を受けておられます。
著者は不安な世界に突き落とされました。娘三人がいるシングルマザーです。住宅ローンもあります。
しばらく読んでいて、気づいたことがあります。外国人はこういう書き方をするのだろうか。去年読んだ本で、乳がんを克服された西加奈子さんの、『くもをさがす』がありました。読みにくい本でした。だらだらと友人や医療関係者とのやりとりが、牛のよだれのように延々と続くのです。夏目漱石作品、『吾輩は猫である』のパターンでもあります。
今読んでいるこの本もそのような書き方です。
時系列に従って、病気の経過が書いてあります。
仕事のストレスは大きかったようすです。それでも著者は、仕事が好きな仕事人間でした。
理由はわかりませんが、長女のイアンシーが自殺企図をしています。
著者が1993年5月(日本だと平成5年)に離婚した夫は、DVの加害者でした。家庭内暴力。
自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、イスを蹴ったり(けったり)する男性がいます。学力的には優秀な人だったりもします。
著者はひどい偏頭痛に苦しんでいた。
1995年、出勤途中に、職場への道がわからなくなる。自分で車を運転中です。怖い(こわい)。
同年9月15日に、専門医から退職勧告を受けた。
『私は誰になっていくの?』
『アルツハイマー病で死ぬはずがない』から始まります。
アルツハイマー病が原因で、退職しなければならないので、老齢退職年金会社に年金の申請をしますが受け付けてもらえません。年金査定委員会にはねられます。仮病扱いです。16年間以上保険料を納めてきたのに。(オーストラリアの年金制度は日本とは異なるようです)
長女は大学を一年間休学することになりました。(休学中は学費を払わなくていいようです)
1996年2月(平成8年)の専門医の判断として、著者は、約一年後に身の回りの世話の解除が必要になる。数年後には、全介護が必要になる。
この部分を読んでいて、先日自分が整形外科クリニックを受診した時のことを思い出しました。見るからに認知症であろう小柄な70代ぐらいの女性が、年老いた夫と看護師に両腕をかかえられてよろよろと、ほんとうにゆっくり歩いているというか、前に進んでおられました。夫がかける声にはかすかな反応があるのですが、看護師がかける声には無感心なようすでした。喜怒哀楽のない無表情の女性でした。その方は、声を発することはありませんでした。
安心はできません。明日は我が身かもしれません。気をつけていても認知症になってしまいます。
高齢のアルツハイマー病患者の生存予想年数:15年~20年と書いてあります。
65歳以下のアルツハイマー病患者は、全体の2%。若いと病気の進行が早い。生存予想年数:5年~10年と書いてあります。
状態として、脳の細胞が侵され(おかされ)、もつれて混乱し、もはや機能できなくなると書いてあります。人格、行動、思考、記憶をつかさどる細胞が働かなくなる。
『アルツハイマー病になると、どんな感じなのか?』
病状について書いてあります。
まわりに人がいるときは、元気だが、人がいなくなると、疲れ切ってぐったりしてしまうそうです。
人とにぎやかに談笑したあとは疲れ果てて2・3時間、横になるそうです。
1995年10月のこととして、『タクリン』という薬を飲まれています。今なら、エーザイの『レカネマブ』という薬のような位置づけなのでしょう。認知症の薬です。(その後、タクリンは全般的に効果がなかったようです)
以前のご自身の能力(脳の力ともいえる)について語っておられます。
生まれつき、記憶力が抜群に良かった。(天才です。関係先のたくさんの電話番号とか、10ケタもある各種カード番号とかを瞬時に口にすることができたそうです)
あらゆるものを短時間で記憶できた。すばやかった。相手が遅いことにイライラした。
しかし、認知症になった今、その並外れた、『記憶力(記憶する力)』は、もうない。
今日が何曜日なのかわからないそうです。西暦もわからない。
今、午前なのか、午後なのかもわからない。
頭の中全体にぼんやり霧がかかっていて、何をするのにも、大変な努力とコントロールがいるそうです。
いつも間違ってしまう。
遠い過去の記憶はあるけれど、最近のことが思い出せない。
同時に複数のことができない。火事を出しそうになるそうです。料理をしながら、洗濯をして、アイロンをかけて、そういうことをしているうちに、お鍋やアイロンのことを忘れて放置する。
用事があって電話をかけているうち(番号を押す)に、用事の内容を忘れて、相手が電話に出て、相手がだれなのかを忘れて、相手にあやまる。(つらいことです)
にぎやかなところが苦痛です。おおぜいが参加するパーティとか、ショッピングセンターとか、音や人の声で、とても疲れるそうです。
どこから音が聞こえてくるのかがわからないそうです。
『その時、何歳だった?』と質問されて、『4時半だったわ』と返答してしまいます。
『郵便受け』という単語を思い出せなくて、『切手を貼った手紙を入れるあの箱』と表現します。
読んでいて、ふと思ったのです。
こうやって、きちんと文章が書かれていることが不思議です。
認知症の状態からして、このようなしっかりした文章は書けないような気がするのです。
93ページにそのことについて書かれてあります。
コンピューター(パソコン)なら、(文章などを)打てる。手書きはほとんどできないそうです。コンピューターで字を書くのは自分にとってはやさしいこととあります。
著者の脳みそは、ロボットのようです。
娘さんから、『ママの声は、ロボットのようだわ……』と言われます。
アラーム付き薬入れ:そういうものがあることを初めて知りました。飲み忘れ防止対策です。
物の置忘れが多い。
『見知らぬ世界への旅立ち』
自分で自分の脳を、『腐れ脳(くされのう)』と呼ぶ。
計算能力がなくなる。銀行口座の管理・運用はできない。
長女のイアンシーに代理人の権限を設定する手続きをした。
手書きで文字や数値を書くことがむずかしくなった。
車の運転席で、どのペダルがなにかわからなくなった。(すぐに思い出すので、しばらく運転をされていました。恐ろしいことです(おそろしいことです))。車のバックがむずかしくなる。
階段ののぼりおりが、気持ちを集中させないとできない。自分の足につまずく。
娘や孫たちと過ごす時間を大切にしたい。いっしょに過ごしたい。
宗教の話が多くなってきました。(わたしは興味がないので流し読みします)
『これからどこへ』
1996年(平成8年)、新聞の記事になる。テレビ番組に出る。アルツハイマー病について説明がなされた。
神さまの話が続きます。
『後記 驚きにみちた神!』
1997年7月から数か月間のことです。(平成9年)
(病状が)よくなっている感じがする。
また、車の運転をしたい。
1998年2月。車の運転をしています。頭がはっきりしているそうです。
イギリスにいる父親が亡くなって、葬儀に出席されているようです。
(このあたり、文章が興奮していて、時系列がよくわかりませんでした。ご自身はわかっているのでしょうが、読み手にはわかりにくい)
『神が担って(になって)くださる!』
だいじょうぶだろうか。思いこみで心をコントロールされているような雰囲気があります。マインドコントロール。この場合、宗教。聖書とか、クリスチャンとかの単語が出てきます。
6年後から8年後には、死ぬだろう。3年後から5年後には、ホームで全介護が必要になるだろう。
『付録』アルツハイマー病とはどのような病か?
著者の言葉です。
脳室が拡大する。脳回(脳のしわの隆起した部分)が縮む(ちぢむ)。脳溝(のうこう。脳のしわのくぼんだ部分)は開く。大脳皮質(脳を覆う(おおう)しわしわの部分)が減少する。大脳皮質ほかに老人斑(ろうじんはん。たんぱく質の沈着(アミロイドという核をもっている))が見られる。
以下、本に書いてあることは、説明がとても細かいので、ここに書くのは疲れるからやめておきます。
アミロイドβ(アミロイドベータ)というたんぱく質(「ごみ」らしい)が、アルツハイマー型認知症の原因になっていて、アミロイドβを退治する薬が、エーザイの『レカネマブ』という薬のことだろうと、自分は理解しています。(株式投資をしていての知識です。自分は、エーザイの株を保有しています)
全人格がゆっくりと崩れていく。知性、想像力、コミュニケーション、感情、判断、動機づけ、行動、自制心に影響が及ぶ。
最終的には、脳が減少して、身体機能が維持できなくなり死に至る。排泄のコントロールができなくなり、言葉を話したり、歩いたり、立ち上がったり、ほほえむことができなくなる。
最後に、動けなくなり、寝たきりになり、意識がなくなり、死を迎える。
『クリスティーンさん訪問の記録 石倉康次 立命館大学産業社会学部教授』
有志5人で、オーストラリア・ブリスベーン郊外にある著者のご自宅を訪問された時の記録です。
著者は、再婚されています。1998年(平成10年)に結婚紹介所で知り合われたそうです。
宗教とか信仰の話があります。
著者の一日の過ごし方について、お話されています。
著者は、作家のような生活を送られています。
『認知症を生きるということ 小澤勲 精神科医 2008年(平成20年)70歳没』
読んでいて自分が思ったことと同じことが書いてあります。『これが認知症を病む人が書いた文章だろうか』、誤診ではなかろうかということです。
でも、脳の画像は異常なのです。MRIの画像では、脳に激しい萎縮があるそうです。
『認知症になってしまえば、本人は何もわからないのだから……』→ということはないそうです。認知症になっても、心の動きはあるのです。
全体を読み終えて思ったことです。
人間は、最後はだれでも死んでしまう。
だから、どう生きて、どう死ぬのか、よく考える。
2024年05月09日
出川哲朗の充電バイクの旅 和歌山県瀞峡→潮岬
出川哲朗の充電バイクの旅 TVer(ティーバー) 紀伊半島和歌山県瀞峡(どろきょう)→潮岬(しおのみさき)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■絶景の紀伊半島横断119キロ■秘境<瀞峡>から日本最古の神社通って本州最南端<潮岬>へ■ですが杉野遥亮(すぎの・ようすけ)&たんぽぽ川村が雨でずぶ濡れで大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP
ひどい雨で、ゲストさんたちもお気の毒でした。
たんぽぽ川村さんは、本を読んだことがあります。
『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』以下は、読んだ時の感想の一部です。
見た目で嫌な思いをすることが多かったようです。されど、見た目がいい人の苦労もあるような気がします。あたりまえのことですが、人間の外見の見た目と中身の心は違います。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
俳優の杉野遥亮(すぎの・ようすけ)さんという方をわたしは知らなかったのですが、天然で(マイペースで、その場での言動が、なにかしらまとはずれでぬけている。予想外の反応がある)、なかなか笑える人でした。言動がおもしろい。
なにせすごい雨です。コンディションは悪い。タイトルにある絶景をながめることは無理です。
晴れていたなら、絶景だったでしょう。ゴールで夕陽を見ることもできたでしょう。
ゲストさんも出川哲朗さんもバイクでの移動がつらそうです。雨粒がきつくて、『顔が痛いです』
ソフトボールの大会でもあった時期なのか、ソフトボール部の女子たちと出会うことが複数回ありました。
川村さんは、温泉タオルを集める旅番組に出られていて、温泉宿で、タオルがほしいとカウンターごしにホテルの方にお願いをされていました。
わたしは知らない番組ですが、調べたら出てきました。『大久保川村の温泉タオル集め旅』という番組でした。
丸山千枚田、温泉、花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)、ハンバーグのお店、橋杭岩(はしぐいいわ)などを巡りました。
寒いからあったかいハンバーグをいただきます。杉野遥亮さんは、おもしろすぎる人です。お店の人との会話のやりとりが、間が抜けていて笑いました。
ハンバーグは、とてもでかかった。
エグイとは:女子たちが言っていました。素晴らしい。最高。いっぽう反対の意味で、最低、ひどい、ありえないだそうです。
ゴール地での目的は、きれいな夕陽を見ることだったのですが、雨模様のお空で、夕陽は無理でした。ゴールも潮岬(しおのみさき)手前の位置にある橋杭岩に変更されました。お坊さんに見える岩がありました。
杉野遥亮さんは、充電依頼を民家の玄関先でするときに、緊張のあまり、がたがたのボロボロでした。番組名を言えなくて、頼まれたほうのご自宅の方も困った顔をされていました。苦笑い(にがわらい)です。言わなくてもスイカヘルメットを見て、出川哲朗さんの番組で充電を頼まれているとご理解されているのです。そちらのお宅のご夫婦はたいへん落ち着きのある方たちで感心しました。いなかの人たちはみなさん親切です。やさしいご夫婦で良かった。
古座(こざ)というところは、明石家さんまさんがお生まれになったところだそうです。現在は、和歌山県串本町です。昔は古座町だったそうです。
今年の1月にさんまさんの喜劇を東京で見たときのことを思い出しました。さんまさんは、元気よく、機関銃のようにおしゃべりをされていました。
杉野遥亮さんは、たいへんリラックスされている様子で、のんびりのマイペースです。充電旅の番組は、『ちょっと気を抜いても大丈夫(な番組)』と思われていたそうです。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■絶景の紀伊半島横断119キロ■秘境<瀞峡>から日本最古の神社通って本州最南端<潮岬>へ■ですが杉野遥亮(すぎの・ようすけ)&たんぽぽ川村が雨でずぶ濡れで大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP
ひどい雨で、ゲストさんたちもお気の毒でした。
たんぽぽ川村さんは、本を読んだことがあります。
『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』以下は、読んだ時の感想の一部です。
見た目で嫌な思いをすることが多かったようです。されど、見た目がいい人の苦労もあるような気がします。あたりまえのことですが、人間の外見の見た目と中身の心は違います。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
俳優の杉野遥亮(すぎの・ようすけ)さんという方をわたしは知らなかったのですが、天然で(マイペースで、その場での言動が、なにかしらまとはずれでぬけている。予想外の反応がある)、なかなか笑える人でした。言動がおもしろい。
なにせすごい雨です。コンディションは悪い。タイトルにある絶景をながめることは無理です。
晴れていたなら、絶景だったでしょう。ゴールで夕陽を見ることもできたでしょう。
ゲストさんも出川哲朗さんもバイクでの移動がつらそうです。雨粒がきつくて、『顔が痛いです』
ソフトボールの大会でもあった時期なのか、ソフトボール部の女子たちと出会うことが複数回ありました。
川村さんは、温泉タオルを集める旅番組に出られていて、温泉宿で、タオルがほしいとカウンターごしにホテルの方にお願いをされていました。
わたしは知らない番組ですが、調べたら出てきました。『大久保川村の温泉タオル集め旅』という番組でした。
丸山千枚田、温泉、花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)、ハンバーグのお店、橋杭岩(はしぐいいわ)などを巡りました。
寒いからあったかいハンバーグをいただきます。杉野遥亮さんは、おもしろすぎる人です。お店の人との会話のやりとりが、間が抜けていて笑いました。
ハンバーグは、とてもでかかった。
エグイとは:女子たちが言っていました。素晴らしい。最高。いっぽう反対の意味で、最低、ひどい、ありえないだそうです。
ゴール地での目的は、きれいな夕陽を見ることだったのですが、雨模様のお空で、夕陽は無理でした。ゴールも潮岬(しおのみさき)手前の位置にある橋杭岩に変更されました。お坊さんに見える岩がありました。
杉野遥亮さんは、充電依頼を民家の玄関先でするときに、緊張のあまり、がたがたのボロボロでした。番組名を言えなくて、頼まれたほうのご自宅の方も困った顔をされていました。苦笑い(にがわらい)です。言わなくてもスイカヘルメットを見て、出川哲朗さんの番組で充電を頼まれているとご理解されているのです。そちらのお宅のご夫婦はたいへん落ち着きのある方たちで感心しました。いなかの人たちはみなさん親切です。やさしいご夫婦で良かった。
古座(こざ)というところは、明石家さんまさんがお生まれになったところだそうです。現在は、和歌山県串本町です。昔は古座町だったそうです。
今年の1月にさんまさんの喜劇を東京で見たときのことを思い出しました。さんまさんは、元気よく、機関銃のようにおしゃべりをされていました。
杉野遥亮さんは、たいへんリラックスされている様子で、のんびりのマイペースです。充電旅の番組は、『ちょっと気を抜いても大丈夫(な番組)』と思われていたそうです。
2024年05月08日
罠の戦争(わなのせんそう) 連続ドラマ Hulu
罠の戦争(わなのせんそう) 連続ドラマ Hulu(フールー) 2023年(令和5年)
『第1話 弱き者の復讐劇が幕を開ける! 愛する家族を守れ』
主演の草彅剛さん(くさなぎつよしさん)は、出川哲朗さんの充電バイクの旅で見たことがあるぐらいです。自分とは世代が違うのであまり存じ上げませんが、たいへん人気がある方だということは知っています。
感想が残っていました。2020年。出川哲朗の充電させてもらえませんか? 新春伊勢志摩めぐり お正月3時間スペシャル番組。香取慎吾さん、草彅剛さん、稲垣吾郎さんの順番で、バイクの乗り手が変わっていきました。
『草彅剛(くさなぎ・つよし)さん』
ご本人は、この番組を一度も見たことがない。『充電ってなに?』には、驚きました。『いつ放送するんですか?』という問いもありました。見ているほうがびっくりしました。おおざっぱな人で、ものごとを気にしないところがステキでした。
エピソードとして、草彅剛さんが、自分がはいているジーンズを指さして)「これ、いくらだと思いますか?」(充電を依頼した先の家のご主人が、『30万とか、50万とか』(くさなぎさん)『300万です』びっくりです。
さてこちらのドラマです。
先日、ブラッシュアップライフというドラマを観終えたので、今度はこちらのドラマを観てみることにしました。
ぽつりぽつりと感想を記してみます。
衆議院議員 犬飼孝介
犬飼孝介の第一秘書 鷲津亨(わしづ・とおる。草彅剛さん)
鷲津亨の妻と長男(高校生ぐらいに見えますが、中学生かも)(中学生でした)
蛯沢眞人 犬飼議員に恨み(うらみ)があるようすだが、犬飼議員の秘書見習いになる若者。鷲津の下で働く。
蛍原理恵 犬飼議員の秘書。年配の秘書のパワハラ、セクハラに悩んでいる。
貝沼永太 第二秘書。おかっぱ頭に見えます。個性的です。
犬飼俊介 犬飼議員のばか息子
虻川勝次(あぶかわ・かつじ) 犬飼議員の政策秘書。パワハラ、セクハラ野郎
総理大臣 竜崎始(りゅうざき・はじめ)
鴨井ゆうこ 厚生労働大臣
鶴巻憲一 党の幹事長。有力者
熊谷由貴 週刊誌記者
国会議事堂を今年の1月に見学したことを思い出しました。衆議院の見学でした。
ドラマでは政治家のどろどろとした世界を描き出すようです。
権利欲の強い人たちが集まっています。主張が強い。
事実を捻じ曲げることを(ねじまげる)ことを良しとする人たちが主導権を握っています。弱い人の気持ちは踏みにじられます。
なんだか現実の政界とも重なる部分部があるようで見ていて冷や冷やするシーンもあります。今年話題になった政治資金パーティではなかろうかとか、政治家の愚かな息子たちとか、犯罪のにぎりつぶしとか、具体的な例が第一回目から次々と出てきます。出てくるたびに、正直者の怒りが積みあがっていきます。
復讐劇です。それも、外部から復讐するのではなく、内部から復讐するのです。
『組織というものは、外部からの力によってではなく、内部からの力によって崩壊する。』そんな言葉を思い出しました。
中身からいえば、『つくり話』です。無理な筋立てもあります。
深刻な状況を意図的につくる脚本の内容です。
草薙剛さんが、出ずっぱりであることに驚きました。常にシーンの中にいます。演技はすごい。
映像のつくりとして、力を抜く遊びの部分がほしい。常に、『fフォルテ(強く)』です。強弱をつけるとか、押したり引いたりすることは、ドラマづくりのコツです。
政治家たちは、キチガイたちです。極端に描いてあります。
本人は、最初は世のため人のためと思って立っても、周りにいる人間たちが私利私欲の固まりで、政治家本人の意識がゆがんでいくということはあると思います。
う~む。大物政治家の圧力で、警察が犯罪を明かす手を緩める(ゆるめる)ということがあるのだろうか。無いような気がしますが、上層部同志がお友だちということはありそうです。権利の濫用です。らんよう:職権をむやみやたらに使う。
復讐劇。仕返しです。ドラマのテーマの基本のひとつが、『復讐(ふくしゅう。忠臣蔵の仇討ち(あだうち)のようなもの)』です。
ドラマ必殺仕置き人シリーズのようなものです。
生卵・ゆで卵のエピソードが良かった。
『君も何かあるんだろ。犬飼大臣に。』犬飼大臣に恨み(うらみ)がある若い男が、犬飼大臣の秘書見習いで、第一秘書の草彅剛さんの弟子になります。まずは、運転手です。
まあ、ドラマです。娯楽です。暗く深刻な設定ですが、コメディのような部分もあります。おもしろい。
『第2話 逆襲の時!パワハラ秘書を排除だ』
政策秘書の虻川(あぶかわ)をつぶします。(されど、ドラマ全体の後半で虻川は、復活します。虻川からの仕返しがあります)
<人を信用してはいけない(とくに従順そうにしている人間を信用してはいけない)>となると、物事は成り立たなくなります。
今年話題になった政治資金パーティのことが話題に出ます。
政治家は、愛想はいいけれど、困っている人の要望はきいてくれない。
あるいは、政治家は、特定個人の利益となる口利き役として利用される。政治家を利用する人間のほうもいいとはいえない。
虻川秘書の注意力のレベルは高い。そう簡単にだまされるような人ではありません。(でもだまします。タイトルは、『罠(わな)』ですから。
おもしろいつくりの脚本です。罠をつくってはめるのです。実は、視聴者に対する罠です。
東京見物で、今年1月に見た首相官邸です。国会議事堂の斜め前に建っていました。きつい警備がしかれていました。このドラマ全体のロケ地を調べたら自分が行ったことがあるところもいくつかありました。ドラマを身近に感じます。
『秘書の「秘」は、秘密の「秘」。秘書は知っていることを口外してはいけない。こうがい:秘密事項を人に話す。』(現実は、そうともいえない)
中学生の息子がキャンプにこだわることが不思議です。この反抗期に近い中学生ぐらいの男の子は親と一緒にキャンプに行くのは嫌がります。行きたがるのは、小学校の低学年・中学年ぐらいまででしょう。一般的には。
BGM(バックグラウンドミュージック)で、観ている者の感情を引っ張る手法です。スリルとサスペンス(ハラハラドキドキ)を視聴者に暗示します。
テレビドラマというよりも映画みたいです。
復讐劇です。されど、仇討ち(あだうち)は連鎖します。やったりやりかえしたりが続きます。なんだか、最近の中東の戦闘みたいです。パレスチナとかイラクとか。
『第3話 ついに激突!憎き大臣の弱みを暴け(あばけ)』
政治家のばか息子がいます。人を人とも思わないばか息子です。
いっぽう、自分の息子に危害を加えた相手を許す親などこの世にはいません。被害者の父は、第一秘書鷲津亨(わしづ・とおる 草彅剛さん)です。
彼は最終的に、千葉15区に立つ(立候補する)ことになります。(千葉県の衆議院小選挙区は現実には13区までです)
『選挙制度』がなかったら、世の中はメチャクチャになります。独裁者とその集団のやりたい放題になります。
植物博士になれそうでなれなかった(大学院中退のため)議員秘書見習いの蛯沢眞人の役としての役割はなんだろう。(ドラマ全体の最後半部で重要な役割を果たします)
鷲津亨の中学生の息子を歩道橋から突き落とした犯人は、政治家のばか息子ではないけれど、別の政治家のばか息子かもしれない。なんだか、ばか息子ばかりです。
政治家の世界は、貸し借りの世界です。不正見逃しの貸し借りです。
相手の弱みにつけこんで、お金で相手の気持ちを力づくで変えます。
憎しみを倍増させる演出(劇において)になっています。
人間の心の動きをじょうずに表現してある脚本です。
演者の言葉数が多すぎるかなあという傾向はあります。
喫茶店で密談ですが、周囲に人がいるようなところで、秘密事項の話はしないと思う。
偉い人は、人間を将棋の駒(こま)扱いします。偉い人は、人を駒扱いすることで、優越感をもっていることもあります。
人を駒扱いする。親切そうな顔をして自分の言うことをきかせる。劇中の言葉で、『飼いならす』。
組織管理の秘訣(ひけつ、コツ)として、『敵は手の内(うち)におけ』が鉄則です。少しメリット(利益)を与えて、管理する側の言うことをきかせる手法です。
『第4話 新たな敵で深まる謎…永田町の闇に飛び込め』
「善」対「悪」の闘いです。「悪」もなかなかやります。
選挙では、支援してくれる団体が必要です。労働組合や宗教団体がらみ以外では、利益追求団体(企業やなんとか会とか)の力がいります。地元のボス(人脈とか金脈がある。顔がきく)に支持してもらわねばなりません。
いろいろあって、鷲津亨が千葉15区での立候補を目指します。
内容は、勝ったり負けたりが繰り返されます。負けたと思っても、ドラマですから次は勝ちます。
『民主主義』は、『自分たちとあいつら』の世界です。必ずふた手に分かれます。競争主義の制度です。多数派が権力を手に入れます。
そして人は、めぐりあわせで、同じ人間が、被害者にもなるし、加害者にもなります。
『オレたち秘書は、永田町の雑草みたいなものです。いらなくなったらひっこぬかれます。』(なんだか、現実と重なります。不祥事が起きたら、みんな秘書が勝手にやったことにされてしまいます。政治家は責任を逃れることがあります)
恩人には報いる。(むくいる。してもらったことについて、見合っただけのことをお返しする)
恩人への恩は忘れない。(そんなの関係ないという人もいるかもしれません)
関係者に認知症の高齢者がいます。認知症の人の介護はたいへんです。
人格が変わって別の人になってしまいます。
『第5話 総選挙が開幕!下剋上(げこくじょう。下の者が上を倒す)で真相を暴く』
主人公鷲津亨が、衆議院千葉15区に立候補して当選するまでが描かれています。
入院している息子さんが、意識不明みたいになっているのですが、指を少しだけ動かして反応します。
わたしは二十代のときに、深刻な内臓の病気にかかって、しばらく入院したことがあります。毎朝、起き上がるまでに時間がかかりました。
意識はあるのですが、あおむけのまま体を動かすことができず、まぶたを開けることもできませんでした。まわりにいる人たちの声は聞こえるのですが、自分で声を出すことができませんでした。
朝、目がさめて、動けるようになるまでに40分ぐらいの時間の経過が必要でした。だから、ベッドで意識不明みたいな状態で寝ている人のそばでは、変なことは言わないほうがいいですよとアドバイスします。本人には聞こえていることがあります。
いつも黒幕がいる。表面に出ている人間は、黒幕の操り人形だったりもする。
見ていると、議員に頼るような人間にはなりたくないと思います。
最初、女性の扱いが、男性を支えたり助けたりする補助者の立場で、不公平感があったのですが、途中から鷲津亨の奥さんと事務所のスタッフが協力するシーンがあって良かった。
選挙資金がいります。2000万円の用意が必要です。(借金する)
政治活動費の非課税に疑問が生まれます。飲み食いしたお金も政治活動費で非課税になるのだろうか。選挙の時の応援者の人件費はどういう扱いになるのだろうか。(法令に規定があるようです)
『信じる』ということを強調するドラマです。(でも現実では、信じすぎないほうがいい。善意を悪用する人がいます)
そんなことを受けて、『内部にスパイがいる。(選挙活動事務所内にいる。双方の陣営にいる)』
500万円のやりとりがあります。選挙違反になります。でもそうはなりません。
正直者が生き残るように設定してあるドラマです。安心して見ることができるドラマです。
人間的な魅力がある人が議員になったほうがいい。賢い有権者にならなければなりません。
派閥の話が出ます。
『いい奴が、政治家なんかできるか』そんなセリフがあります。
味方だと思っていた人が、実は敵だったということは、大きな組織ではありそうなことです。
『第6話 政治家に転身!敵は幹事長だ』
いろいろしかけ(伏線)があるストーリーづくりをされています。
この回の始めのうち、主人公の鷲津亨のキャラクター設定として、政治家としてどうなのかなあと首をかしげました。
衆議院議員になって、国民のために働くのではなく、自分の家族のことのため(息子を歩道橋から突き落とした犯人捜しのため)に動いています。それでは見ていて受け入れない人もいるでしょう。(この件については、終盤で改善されました)
きれいごとではやっていけないということはあります。
仕事を進めていくうえで、汚れ役は必要です。
政策秘書になった蛍原さん(ほとはらさん)が明るいのがいい。
『腕力じゃ権力に勝てない』ということはあります。
感情的になって、手を出した方が負けです。(暴力)
相手に勝つために、意図的に相手を怒らせて、手を出させて、相手を追い込んでつぶすという手法はあります。それでも、時がたってから仕返しされることを警戒しなければなりません。
政治家を口利きだけのために使うということがなくなれば、世の中は公平になるような気がします。口利きをする(政治家の口添えで、できないことをできるようにする)のは、選挙で、票を得るためなのでしょう。
政治家の基本的な仕事は、国会などで、国民全員ために、法令をつくることだと思うのです。
息子を歩道橋から突き落として意識不明の状態にしたのはだれ?
話はそこに集中していきます。
さすが、記者さんです。与党幹事長がどこに行くのかを追尾します。
鷲津亨は、幹事長のライバルである総理の側に付けばいいのではないかと思いついたら、次の展開でそうなりました。
事件があった夜、幹事長は、だれかと幹事長室に閉じこもっていた。
人には、本当のことを言いたくても言えないときがある。
それは、犯人の親もそうだし、主人公である鷲津亨もそうなのです。
同一人物が、被害者にもなるし、加害者にもなるのです。それが世の中です。
『第七話 真犯人が判明! 政界が隠す事件の真実』
なかなか深刻です。
国会議員である政治家の不祥事です。本人ではないけれど、息子の不祥事です。政治家の息子はどうも普通の育ち方をしていない。刑事事件の犯人が政治家の息子でした。
息子が歩道橋から突き落とされて意識不明で入院している鷲津亨衆議院議員(草彅剛くさなぎつよしさん)の怒りが爆発します。鬼神です。頑固(がんこ)です。
偽善者(表は善人、裏の姿は悪人)の噓を暴きます。(うそをあばきます)
名ばかり議員:憲法も民法も、基本的な法令の内容を知らないのに、法律をつくる立場の議員をしている。
しばらく前に見ていたNHKドラマ、『正直不動産2』との共通点がありました。正直不動産に出てくるライバル会社の悪役社員神木さん(ディーンフジオカさん)も、こちらの鷲津亨さんも、息子と約束したからがんばるのです。
まともな仕事をしている人が仕事を辞めてはいけません。仕事を辞めるのは、ちゃんと仕事をしていない人のほうです。
人間には二面性があります。優しそうに見えて、実は裏では、怖い人がいます。
子育てに失敗した女性大臣が、総理大臣の椅子を狙っている。(いすをねらっている)
人にケガをさせて逃げるとはなんて奴だ。
あたりまえのことをあたりまえにやれない国会議員の家族です。
タイトルは、罠の戦争ですから、いたるところに伏線として罠(わな)が張り巡らされています。
『あなたが守りたいのは、自分の立場だけ』
大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいません。
人を人とも思わない人です。
人を将棋やチェスの駒のように思って、自分や自分の仲間の利益のために人を動かす人です。
こちらのドラマでは、幹事長がその役割を担当しています。
権力欲が強い人が上にのぼっていきます。
権力を失ったときに、その人の人生が終わります。
予想通りの出版記事差し止めの圧力があります。大きな組織の上層部の人間同士で、条件闘争をして、貸し借りの取り決めをするのです。
週刊誌の記事が止められても、いまはSNS(ソーシャルネットワークサービス)があるから、動画や音声があると、世界中に流されてしまいます。フェイク(事実ではないこと)でさえ流される時代です。
人間の心の動きなんてどうにでもなる(たとえば大金を積む)という物語の中で、鷲津亨が不利益を覚悟で突進します。
凄み(すごみ。ぞっとするほどの強烈な迫力)があるヒューマンドラマです。(人間味があふれるドラマ)
『第8話 宿敵との攻防戦! 罪には罰を』
意識を失って入院していた鷲津亨夫婦の中学生の息子の意識が戻りました。息子は何がどのように起きたのか、すべて記憶していました。
女性国会議員は、子育てに失敗したのか。
そうでもなかったようです。
仕事を優先する女性は、こどもをもたないほうがいいのか。
いろいろ論議はありそうです。
一般的に、生活費が足りなければ、必然的に夫婦二人ともが働かなければなりません。現実においては、まず、賃貸住宅の家賃が高いという事情があります。
こどもに大金を与えるだけでは、こどもはまともに育たないということはあります。
派閥をなくすために政治家になったという人がいます。
今の政府与党のようすと重なります。
派閥をなくしても、仲良しグループは残るということはあります。複数いればグループができるのが人間の自然なありようです。職場なら、ボスがいて手下がいます。
母親と息子の哀しい(かなしい)話があります。
歳をとっていても、エッチな男ばかりです。
若い女性は、お金目当てに、金持ち中高年男子に近づいてくっつきます。
疑心暗鬼があります。(ぎしんあんき。疑う気持ちが強くなって、心が不安定になる)
だれが味方で、だれが敵なのかわからなくなります。
ジェットコースターです。のぼったりおりたり、スリル満点で、ヒヤヒヤします。
みんな汚れ仕事をしながら、前へ進んでいるわけね。
表舞台には出ない普通の生活を送るということでいいのではないか。
女性関係や、お金がらみで辞めていった議員を思い出しました。
『第9話 政界に激震! 復讐果たす大逆転劇』
なんというか、いくらきれいごとを言われても、相手を信用できません。だれも信用できません。忖度(そんたく。言われなくても相手の都合のいいように動く)もありそうです。
相手をだますためには、いくらでも理屈をつくることができる人たちです。
大きい組織の上層部にいる人間は、自分と組織を守るためになんでもやるのでしょう。そういったことを学ぶために大学の法学部で法令の研究をするのでしょう。
鷲津徹の親友だという鷹野議員も信用してはいけません。
やられたらやりかえす。
『あなたのひとり負けだ』
プライドを呼び起こす。
追い詰められたら、『秘書がやったことです』で逃げる。
わたしには、なにも話をせずに、秘書が自分の判断でやりましたと弁解する。
<まあ、ドラマなんだなあ>
<伏線として、タブレットのパスワードが書いてあった紙が、なにげなく、映像の中に置いてありました>
鷲津亨が、ミイラ取りがミイラになる状態です。悪人をやっつけたつもりの人間が、悪人になりかわります。
人間は権力を握ると人が変わります。人事権とか、お金を動かす権力があります。
つぶしたと思った人間が、生き返ってきます。ゾンビ(死体のままよみがえった人間)で復活です。
<このドラマは、製作陣が、視聴者をだますことが主題(テーマ)です>
『第10話 復讐される側へ…正体現す裏切り者』
なんでもかんでも辞めればいいというものでもなかろうにと思うのです。
結局、演技上手の詐欺師的な人間が、組織の上層部にあがれるし、お金持ちになれるという現実を見せつけられるようです。
この人たち(議員)は、国民のために働かずに、権力争いの足の引っ張り合いばかりをしているのです。
持ちつ持たれつが、この世の習いということはあります。ならい:ありよう。習わし。世の常(つね)。現実。
次から次へと、いきなりすぎます。展開が速い。BGM(バックグランドミュージック)が、見ている者の心をかき乱します。
辞めても、裏で操る(あやつる)。『今後も裏で、政治をおもちゃにするわけですか』。引退してこどもに席を譲る。次の選挙でこどもを立候補させ、当選させ、裏で、こどもを操る(あやつる)。二世議員のことです。
善人だった鷲津亨が、権力を手に入れて、悪人に変化(へんげ)していきます。権力という魔物にとりつかれます。
国民から文句が出たら、総理を変えれば、これで良かったと満足する人間が多い。
権力を手に入れると気持ちがいい。(相手が言うことをきく)。気持ちがいいから権力を手に入れる。
人を疑って、もし違っていたら、どう責任をとるのだろう。(鷲津亨は、犯人を間違えました)
映像を観ていて、なんでもスマホのシーンなのね。電話するにしても、盗撮するにしても、録音するにしても、スマホというものは、人間を徹底的に内向きにさせる道具です。孤独の友です。
『竹の花はめったに咲かない。花が咲いたあと、竹は死ぬ。竹林ごとなくなる』(竹林は地下茎でつながっていて、竹林全体で1本の竹のようなものらしいです。開花のあと種子ができて、竹林全体が枯死(こし)するそうです。
竹とは、鷲津亨をさします。
しばらく前に巻いた伏線が息を吹き返して、設定はこのドラマの最初に戻ります。
敵は、身内にいるのです。
『第11話 最終回 権力の闇に射す光は…衝撃の結末へ』
草薙剛さんは、じょうずな演技でした。
家族三人(夫婦と中学生の息子)は、家族には見えませんでした。あまりにも美しすぎる家族設定でした。
まあ、ドラマですから、つくり話です。
いろいろむずかしいことがあります。
不合理、不条理、理不尽なことに、どうにか折り合いをつけて生活していくのが大人です。
たいていの人間は、理想などもちあわせていません。自分の利益・不利益だけを考えています。
ドラマでは、まとまっていたみんなの心がバラバラに離れていきます。
鷲津亨は、権力という化け物に、洗脳(せんのう。暗示をかけられて、コントロールされた状態)されました。
ドラマをふりかえって、前半はおもしろかった。爽快(そうかい。気持ちがスッとする)だった。
後半は見たくなかった。そんな気持ちで、ラストシーンまでつなぎます。
『罠(わな)』か。タイトルどおりです。
そういうことか。最終地点まできて、なかなかいいドラマでした。
みなさん熱演でした。ありがとう。
最初から最後まで、『植物』で筋(すじ)をとおしてありました。
鷲津亨(わしづ・とおる)の元妻は、まあ、なにかしら仕事はしなければならないわけですから、これでいいでしょう。
話は最初に戻る。シンプルでいい。
『おかえりなさい』
『第1話 弱き者の復讐劇が幕を開ける! 愛する家族を守れ』
主演の草彅剛さん(くさなぎつよしさん)は、出川哲朗さんの充電バイクの旅で見たことがあるぐらいです。自分とは世代が違うのであまり存じ上げませんが、たいへん人気がある方だということは知っています。
感想が残っていました。2020年。出川哲朗の充電させてもらえませんか? 新春伊勢志摩めぐり お正月3時間スペシャル番組。香取慎吾さん、草彅剛さん、稲垣吾郎さんの順番で、バイクの乗り手が変わっていきました。
『草彅剛(くさなぎ・つよし)さん』
ご本人は、この番組を一度も見たことがない。『充電ってなに?』には、驚きました。『いつ放送するんですか?』という問いもありました。見ているほうがびっくりしました。おおざっぱな人で、ものごとを気にしないところがステキでした。
エピソードとして、草彅剛さんが、自分がはいているジーンズを指さして)「これ、いくらだと思いますか?」(充電を依頼した先の家のご主人が、『30万とか、50万とか』(くさなぎさん)『300万です』びっくりです。
さてこちらのドラマです。
先日、ブラッシュアップライフというドラマを観終えたので、今度はこちらのドラマを観てみることにしました。
ぽつりぽつりと感想を記してみます。
衆議院議員 犬飼孝介
犬飼孝介の第一秘書 鷲津亨(わしづ・とおる。草彅剛さん)
鷲津亨の妻と長男(高校生ぐらいに見えますが、中学生かも)(中学生でした)
蛯沢眞人 犬飼議員に恨み(うらみ)があるようすだが、犬飼議員の秘書見習いになる若者。鷲津の下で働く。
蛍原理恵 犬飼議員の秘書。年配の秘書のパワハラ、セクハラに悩んでいる。
貝沼永太 第二秘書。おかっぱ頭に見えます。個性的です。
犬飼俊介 犬飼議員のばか息子
虻川勝次(あぶかわ・かつじ) 犬飼議員の政策秘書。パワハラ、セクハラ野郎
総理大臣 竜崎始(りゅうざき・はじめ)
鴨井ゆうこ 厚生労働大臣
鶴巻憲一 党の幹事長。有力者
熊谷由貴 週刊誌記者
国会議事堂を今年の1月に見学したことを思い出しました。衆議院の見学でした。
ドラマでは政治家のどろどろとした世界を描き出すようです。
権利欲の強い人たちが集まっています。主張が強い。
事実を捻じ曲げることを(ねじまげる)ことを良しとする人たちが主導権を握っています。弱い人の気持ちは踏みにじられます。
なんだか現実の政界とも重なる部分部があるようで見ていて冷や冷やするシーンもあります。今年話題になった政治資金パーティではなかろうかとか、政治家の愚かな息子たちとか、犯罪のにぎりつぶしとか、具体的な例が第一回目から次々と出てきます。出てくるたびに、正直者の怒りが積みあがっていきます。
復讐劇です。それも、外部から復讐するのではなく、内部から復讐するのです。
『組織というものは、外部からの力によってではなく、内部からの力によって崩壊する。』そんな言葉を思い出しました。
中身からいえば、『つくり話』です。無理な筋立てもあります。
深刻な状況を意図的につくる脚本の内容です。
草薙剛さんが、出ずっぱりであることに驚きました。常にシーンの中にいます。演技はすごい。
映像のつくりとして、力を抜く遊びの部分がほしい。常に、『fフォルテ(強く)』です。強弱をつけるとか、押したり引いたりすることは、ドラマづくりのコツです。
政治家たちは、キチガイたちです。極端に描いてあります。
本人は、最初は世のため人のためと思って立っても、周りにいる人間たちが私利私欲の固まりで、政治家本人の意識がゆがんでいくということはあると思います。
う~む。大物政治家の圧力で、警察が犯罪を明かす手を緩める(ゆるめる)ということがあるのだろうか。無いような気がしますが、上層部同志がお友だちということはありそうです。権利の濫用です。らんよう:職権をむやみやたらに使う。
復讐劇。仕返しです。ドラマのテーマの基本のひとつが、『復讐(ふくしゅう。忠臣蔵の仇討ち(あだうち)のようなもの)』です。
ドラマ必殺仕置き人シリーズのようなものです。
生卵・ゆで卵のエピソードが良かった。
『君も何かあるんだろ。犬飼大臣に。』犬飼大臣に恨み(うらみ)がある若い男が、犬飼大臣の秘書見習いで、第一秘書の草彅剛さんの弟子になります。まずは、運転手です。
まあ、ドラマです。娯楽です。暗く深刻な設定ですが、コメディのような部分もあります。おもしろい。
『第2話 逆襲の時!パワハラ秘書を排除だ』
政策秘書の虻川(あぶかわ)をつぶします。(されど、ドラマ全体の後半で虻川は、復活します。虻川からの仕返しがあります)
<人を信用してはいけない(とくに従順そうにしている人間を信用してはいけない)>となると、物事は成り立たなくなります。
今年話題になった政治資金パーティのことが話題に出ます。
政治家は、愛想はいいけれど、困っている人の要望はきいてくれない。
あるいは、政治家は、特定個人の利益となる口利き役として利用される。政治家を利用する人間のほうもいいとはいえない。
虻川秘書の注意力のレベルは高い。そう簡単にだまされるような人ではありません。(でもだまします。タイトルは、『罠(わな)』ですから。
おもしろいつくりの脚本です。罠をつくってはめるのです。実は、視聴者に対する罠です。
東京見物で、今年1月に見た首相官邸です。国会議事堂の斜め前に建っていました。きつい警備がしかれていました。このドラマ全体のロケ地を調べたら自分が行ったことがあるところもいくつかありました。ドラマを身近に感じます。
『秘書の「秘」は、秘密の「秘」。秘書は知っていることを口外してはいけない。こうがい:秘密事項を人に話す。』(現実は、そうともいえない)
中学生の息子がキャンプにこだわることが不思議です。この反抗期に近い中学生ぐらいの男の子は親と一緒にキャンプに行くのは嫌がります。行きたがるのは、小学校の低学年・中学年ぐらいまででしょう。一般的には。
BGM(バックグラウンドミュージック)で、観ている者の感情を引っ張る手法です。スリルとサスペンス(ハラハラドキドキ)を視聴者に暗示します。
テレビドラマというよりも映画みたいです。
復讐劇です。されど、仇討ち(あだうち)は連鎖します。やったりやりかえしたりが続きます。なんだか、最近の中東の戦闘みたいです。パレスチナとかイラクとか。
『第3話 ついに激突!憎き大臣の弱みを暴け(あばけ)』
政治家のばか息子がいます。人を人とも思わないばか息子です。
いっぽう、自分の息子に危害を加えた相手を許す親などこの世にはいません。被害者の父は、第一秘書鷲津亨(わしづ・とおる 草彅剛さん)です。
彼は最終的に、千葉15区に立つ(立候補する)ことになります。(千葉県の衆議院小選挙区は現実には13区までです)
『選挙制度』がなかったら、世の中はメチャクチャになります。独裁者とその集団のやりたい放題になります。
植物博士になれそうでなれなかった(大学院中退のため)議員秘書見習いの蛯沢眞人の役としての役割はなんだろう。(ドラマ全体の最後半部で重要な役割を果たします)
鷲津亨の中学生の息子を歩道橋から突き落とした犯人は、政治家のばか息子ではないけれど、別の政治家のばか息子かもしれない。なんだか、ばか息子ばかりです。
政治家の世界は、貸し借りの世界です。不正見逃しの貸し借りです。
相手の弱みにつけこんで、お金で相手の気持ちを力づくで変えます。
憎しみを倍増させる演出(劇において)になっています。
人間の心の動きをじょうずに表現してある脚本です。
演者の言葉数が多すぎるかなあという傾向はあります。
喫茶店で密談ですが、周囲に人がいるようなところで、秘密事項の話はしないと思う。
偉い人は、人間を将棋の駒(こま)扱いします。偉い人は、人を駒扱いすることで、優越感をもっていることもあります。
人を駒扱いする。親切そうな顔をして自分の言うことをきかせる。劇中の言葉で、『飼いならす』。
組織管理の秘訣(ひけつ、コツ)として、『敵は手の内(うち)におけ』が鉄則です。少しメリット(利益)を与えて、管理する側の言うことをきかせる手法です。
『第4話 新たな敵で深まる謎…永田町の闇に飛び込め』
「善」対「悪」の闘いです。「悪」もなかなかやります。
選挙では、支援してくれる団体が必要です。労働組合や宗教団体がらみ以外では、利益追求団体(企業やなんとか会とか)の力がいります。地元のボス(人脈とか金脈がある。顔がきく)に支持してもらわねばなりません。
いろいろあって、鷲津亨が千葉15区での立候補を目指します。
内容は、勝ったり負けたりが繰り返されます。負けたと思っても、ドラマですから次は勝ちます。
『民主主義』は、『自分たちとあいつら』の世界です。必ずふた手に分かれます。競争主義の制度です。多数派が権力を手に入れます。
そして人は、めぐりあわせで、同じ人間が、被害者にもなるし、加害者にもなります。
『オレたち秘書は、永田町の雑草みたいなものです。いらなくなったらひっこぬかれます。』(なんだか、現実と重なります。不祥事が起きたら、みんな秘書が勝手にやったことにされてしまいます。政治家は責任を逃れることがあります)
恩人には報いる。(むくいる。してもらったことについて、見合っただけのことをお返しする)
恩人への恩は忘れない。(そんなの関係ないという人もいるかもしれません)
関係者に認知症の高齢者がいます。認知症の人の介護はたいへんです。
人格が変わって別の人になってしまいます。
『第5話 総選挙が開幕!下剋上(げこくじょう。下の者が上を倒す)で真相を暴く』
主人公鷲津亨が、衆議院千葉15区に立候補して当選するまでが描かれています。
入院している息子さんが、意識不明みたいになっているのですが、指を少しだけ動かして反応します。
わたしは二十代のときに、深刻な内臓の病気にかかって、しばらく入院したことがあります。毎朝、起き上がるまでに時間がかかりました。
意識はあるのですが、あおむけのまま体を動かすことができず、まぶたを開けることもできませんでした。まわりにいる人たちの声は聞こえるのですが、自分で声を出すことができませんでした。
朝、目がさめて、動けるようになるまでに40分ぐらいの時間の経過が必要でした。だから、ベッドで意識不明みたいな状態で寝ている人のそばでは、変なことは言わないほうがいいですよとアドバイスします。本人には聞こえていることがあります。
いつも黒幕がいる。表面に出ている人間は、黒幕の操り人形だったりもする。
見ていると、議員に頼るような人間にはなりたくないと思います。
最初、女性の扱いが、男性を支えたり助けたりする補助者の立場で、不公平感があったのですが、途中から鷲津亨の奥さんと事務所のスタッフが協力するシーンがあって良かった。
選挙資金がいります。2000万円の用意が必要です。(借金する)
政治活動費の非課税に疑問が生まれます。飲み食いしたお金も政治活動費で非課税になるのだろうか。選挙の時の応援者の人件費はどういう扱いになるのだろうか。(法令に規定があるようです)
『信じる』ということを強調するドラマです。(でも現実では、信じすぎないほうがいい。善意を悪用する人がいます)
そんなことを受けて、『内部にスパイがいる。(選挙活動事務所内にいる。双方の陣営にいる)』
500万円のやりとりがあります。選挙違反になります。でもそうはなりません。
正直者が生き残るように設定してあるドラマです。安心して見ることができるドラマです。
人間的な魅力がある人が議員になったほうがいい。賢い有権者にならなければなりません。
派閥の話が出ます。
『いい奴が、政治家なんかできるか』そんなセリフがあります。
味方だと思っていた人が、実は敵だったということは、大きな組織ではありそうなことです。
『第6話 政治家に転身!敵は幹事長だ』
いろいろしかけ(伏線)があるストーリーづくりをされています。
この回の始めのうち、主人公の鷲津亨のキャラクター設定として、政治家としてどうなのかなあと首をかしげました。
衆議院議員になって、国民のために働くのではなく、自分の家族のことのため(息子を歩道橋から突き落とした犯人捜しのため)に動いています。それでは見ていて受け入れない人もいるでしょう。(この件については、終盤で改善されました)
きれいごとではやっていけないということはあります。
仕事を進めていくうえで、汚れ役は必要です。
政策秘書になった蛍原さん(ほとはらさん)が明るいのがいい。
『腕力じゃ権力に勝てない』ということはあります。
感情的になって、手を出した方が負けです。(暴力)
相手に勝つために、意図的に相手を怒らせて、手を出させて、相手を追い込んでつぶすという手法はあります。それでも、時がたってから仕返しされることを警戒しなければなりません。
政治家を口利きだけのために使うということがなくなれば、世の中は公平になるような気がします。口利きをする(政治家の口添えで、できないことをできるようにする)のは、選挙で、票を得るためなのでしょう。
政治家の基本的な仕事は、国会などで、国民全員ために、法令をつくることだと思うのです。
息子を歩道橋から突き落として意識不明の状態にしたのはだれ?
話はそこに集中していきます。
さすが、記者さんです。与党幹事長がどこに行くのかを追尾します。
鷲津亨は、幹事長のライバルである総理の側に付けばいいのではないかと思いついたら、次の展開でそうなりました。
事件があった夜、幹事長は、だれかと幹事長室に閉じこもっていた。
人には、本当のことを言いたくても言えないときがある。
それは、犯人の親もそうだし、主人公である鷲津亨もそうなのです。
同一人物が、被害者にもなるし、加害者にもなるのです。それが世の中です。
『第七話 真犯人が判明! 政界が隠す事件の真実』
なかなか深刻です。
国会議員である政治家の不祥事です。本人ではないけれど、息子の不祥事です。政治家の息子はどうも普通の育ち方をしていない。刑事事件の犯人が政治家の息子でした。
息子が歩道橋から突き落とされて意識不明で入院している鷲津亨衆議院議員(草彅剛くさなぎつよしさん)の怒りが爆発します。鬼神です。頑固(がんこ)です。
偽善者(表は善人、裏の姿は悪人)の噓を暴きます。(うそをあばきます)
名ばかり議員:憲法も民法も、基本的な法令の内容を知らないのに、法律をつくる立場の議員をしている。
しばらく前に見ていたNHKドラマ、『正直不動産2』との共通点がありました。正直不動産に出てくるライバル会社の悪役社員神木さん(ディーンフジオカさん)も、こちらの鷲津亨さんも、息子と約束したからがんばるのです。
まともな仕事をしている人が仕事を辞めてはいけません。仕事を辞めるのは、ちゃんと仕事をしていない人のほうです。
人間には二面性があります。優しそうに見えて、実は裏では、怖い人がいます。
子育てに失敗した女性大臣が、総理大臣の椅子を狙っている。(いすをねらっている)
人にケガをさせて逃げるとはなんて奴だ。
あたりまえのことをあたりまえにやれない国会議員の家族です。
タイトルは、罠の戦争ですから、いたるところに伏線として罠(わな)が張り巡らされています。
『あなたが守りたいのは、自分の立場だけ』
大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいません。
人を人とも思わない人です。
人を将棋やチェスの駒のように思って、自分や自分の仲間の利益のために人を動かす人です。
こちらのドラマでは、幹事長がその役割を担当しています。
権力欲が強い人が上にのぼっていきます。
権力を失ったときに、その人の人生が終わります。
予想通りの出版記事差し止めの圧力があります。大きな組織の上層部の人間同士で、条件闘争をして、貸し借りの取り決めをするのです。
週刊誌の記事が止められても、いまはSNS(ソーシャルネットワークサービス)があるから、動画や音声があると、世界中に流されてしまいます。フェイク(事実ではないこと)でさえ流される時代です。
人間の心の動きなんてどうにでもなる(たとえば大金を積む)という物語の中で、鷲津亨が不利益を覚悟で突進します。
凄み(すごみ。ぞっとするほどの強烈な迫力)があるヒューマンドラマです。(人間味があふれるドラマ)
『第8話 宿敵との攻防戦! 罪には罰を』
意識を失って入院していた鷲津亨夫婦の中学生の息子の意識が戻りました。息子は何がどのように起きたのか、すべて記憶していました。
女性国会議員は、子育てに失敗したのか。
そうでもなかったようです。
仕事を優先する女性は、こどもをもたないほうがいいのか。
いろいろ論議はありそうです。
一般的に、生活費が足りなければ、必然的に夫婦二人ともが働かなければなりません。現実においては、まず、賃貸住宅の家賃が高いという事情があります。
こどもに大金を与えるだけでは、こどもはまともに育たないということはあります。
派閥をなくすために政治家になったという人がいます。
今の政府与党のようすと重なります。
派閥をなくしても、仲良しグループは残るということはあります。複数いればグループができるのが人間の自然なありようです。職場なら、ボスがいて手下がいます。
母親と息子の哀しい(かなしい)話があります。
歳をとっていても、エッチな男ばかりです。
若い女性は、お金目当てに、金持ち中高年男子に近づいてくっつきます。
疑心暗鬼があります。(ぎしんあんき。疑う気持ちが強くなって、心が不安定になる)
だれが味方で、だれが敵なのかわからなくなります。
ジェットコースターです。のぼったりおりたり、スリル満点で、ヒヤヒヤします。
みんな汚れ仕事をしながら、前へ進んでいるわけね。
表舞台には出ない普通の生活を送るということでいいのではないか。
女性関係や、お金がらみで辞めていった議員を思い出しました。
『第9話 政界に激震! 復讐果たす大逆転劇』
なんというか、いくらきれいごとを言われても、相手を信用できません。だれも信用できません。忖度(そんたく。言われなくても相手の都合のいいように動く)もありそうです。
相手をだますためには、いくらでも理屈をつくることができる人たちです。
大きい組織の上層部にいる人間は、自分と組織を守るためになんでもやるのでしょう。そういったことを学ぶために大学の法学部で法令の研究をするのでしょう。
鷲津徹の親友だという鷹野議員も信用してはいけません。
やられたらやりかえす。
『あなたのひとり負けだ』
プライドを呼び起こす。
追い詰められたら、『秘書がやったことです』で逃げる。
わたしには、なにも話をせずに、秘書が自分の判断でやりましたと弁解する。
<まあ、ドラマなんだなあ>
<伏線として、タブレットのパスワードが書いてあった紙が、なにげなく、映像の中に置いてありました>
鷲津亨が、ミイラ取りがミイラになる状態です。悪人をやっつけたつもりの人間が、悪人になりかわります。
人間は権力を握ると人が変わります。人事権とか、お金を動かす権力があります。
つぶしたと思った人間が、生き返ってきます。ゾンビ(死体のままよみがえった人間)で復活です。
<このドラマは、製作陣が、視聴者をだますことが主題(テーマ)です>
『第10話 復讐される側へ…正体現す裏切り者』
なんでもかんでも辞めればいいというものでもなかろうにと思うのです。
結局、演技上手の詐欺師的な人間が、組織の上層部にあがれるし、お金持ちになれるという現実を見せつけられるようです。
この人たち(議員)は、国民のために働かずに、権力争いの足の引っ張り合いばかりをしているのです。
持ちつ持たれつが、この世の習いということはあります。ならい:ありよう。習わし。世の常(つね)。現実。
次から次へと、いきなりすぎます。展開が速い。BGM(バックグランドミュージック)が、見ている者の心をかき乱します。
辞めても、裏で操る(あやつる)。『今後も裏で、政治をおもちゃにするわけですか』。引退してこどもに席を譲る。次の選挙でこどもを立候補させ、当選させ、裏で、こどもを操る(あやつる)。二世議員のことです。
善人だった鷲津亨が、権力を手に入れて、悪人に変化(へんげ)していきます。権力という魔物にとりつかれます。
国民から文句が出たら、総理を変えれば、これで良かったと満足する人間が多い。
権力を手に入れると気持ちがいい。(相手が言うことをきく)。気持ちがいいから権力を手に入れる。
人を疑って、もし違っていたら、どう責任をとるのだろう。(鷲津亨は、犯人を間違えました)
映像を観ていて、なんでもスマホのシーンなのね。電話するにしても、盗撮するにしても、録音するにしても、スマホというものは、人間を徹底的に内向きにさせる道具です。孤独の友です。
『竹の花はめったに咲かない。花が咲いたあと、竹は死ぬ。竹林ごとなくなる』(竹林は地下茎でつながっていて、竹林全体で1本の竹のようなものらしいです。開花のあと種子ができて、竹林全体が枯死(こし)するそうです。
竹とは、鷲津亨をさします。
しばらく前に巻いた伏線が息を吹き返して、設定はこのドラマの最初に戻ります。
敵は、身内にいるのです。
『第11話 最終回 権力の闇に射す光は…衝撃の結末へ』
草薙剛さんは、じょうずな演技でした。
家族三人(夫婦と中学生の息子)は、家族には見えませんでした。あまりにも美しすぎる家族設定でした。
まあ、ドラマですから、つくり話です。
いろいろむずかしいことがあります。
不合理、不条理、理不尽なことに、どうにか折り合いをつけて生活していくのが大人です。
たいていの人間は、理想などもちあわせていません。自分の利益・不利益だけを考えています。
ドラマでは、まとまっていたみんなの心がバラバラに離れていきます。
鷲津亨は、権力という化け物に、洗脳(せんのう。暗示をかけられて、コントロールされた状態)されました。
ドラマをふりかえって、前半はおもしろかった。爽快(そうかい。気持ちがスッとする)だった。
後半は見たくなかった。そんな気持ちで、ラストシーンまでつなぎます。
『罠(わな)』か。タイトルどおりです。
そういうことか。最終地点まできて、なかなかいいドラマでした。
みなさん熱演でした。ありがとう。
最初から最後まで、『植物』で筋(すじ)をとおしてありました。
鷲津亨(わしづ・とおる)の元妻は、まあ、なにかしら仕事はしなければならないわけですから、これでいいでしょう。
話は最初に戻る。シンプルでいい。
『おかえりなさい』
2024年05月07日
銀河鉄道の父 邦画 2023年
銀河鉄道の父 邦画 2023年 2時間8分 動画配信サービス
小説は読んだことがあります。
『銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社』以下は、小説を読んだときの感想の一部です。
童話作家宮沢賢治という人物の光の部分と陰の部分があります。主役は賢治ではなくお父さんの政次郎さんです。前半から中盤まで、そして最後まで、お父さんの気持ちがいっぱいです。息子を愛している。代々続いた家業である質屋の後継ぎとしての期待を裏切られても、息子への資金援助はしていく。気が長くて寛容です。自分が行きたくても行けなかった学問の道へと息子を導きます。
対して、息子である賢治は、親にお金をせびる。いつまでたっても自立できない。
父の影にいた賢治の姿が、徐々に見えてくる表現手法です。
夢を追う賢治は困窮します。父や祖父の言いつけ通り、質屋を継いでいれば富豪のままでした。向いていなかった。商売人になれない資質で生まれてしまった。人生の途中経過で、そんな結論が出てしまいますが、創作で救われます。
タイトルは、宮沢賢治作品、『銀河鉄道の夜』を少し変えてあるのでしょう。
宮沢賢治:童話作家、詩人。1896年(明治29年)-1933年(昭和8年)37歳で病死。
さて映画の感想です。
明治29年9月から始まります。1896年です。宮沢賢治が生まれた年に三陸沖大地震があった。(1896年6月15日明治29年)。
先週読み終えたばかりのこどもさん向けの本にそのことが書いてありました。『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』。岩手県山田町にあった小学校が舞台でした。別途その本を読んだときの感想をあげてあります。
映画のはじまりは、明治29年の風景です。『失敬、失敬(しっけい。失礼しました)』という言葉を久しぶりに耳にしました。電報も出てきます。自分がこどものころは、時々電報が家に届きました。今は電報という言葉さえ聞きません。
イノシシやクマが、蒸気機関車とぶつかって列車が停まります。今もそういう鉄道事故はあるかと思います。明治時代のようすは、純和風で、見ていて気持ちが落ち着きます。
明治時代ですから、男尊女卑の社会です。長男は跡取りとか、戸主が家を仕切るとか、そんな話が出るのですが、長男の宮沢賢治さんは、質屋(しちや。金貸し)という家の商売を継ぐ気はありません。いちおう見よう見まねで、質草(しちぐさ。品物)を持って来たお客の話を聞いて、お店が損をするぐらいのお金を渡してしまう人です。さらに、客が賢治にした苦労話は噓なのです。
気持ちが純粋な賢治は、人からだまされ続けて、人嫌いになって、宗教に洗脳されてと、なかなかの苦労と混乱の若い時代を過ごします。
父親との衝突もあります。父親は、ときには大きな声をあげて息子と対決しながらも、こどもたちに深い愛情を示します。
経過としては、賢治とその妹トシ。ふたりとも病死します。結核です。
結核(けっかく):結核菌、空気感染する。肺が病気になる。咳(せき)、痰(たん)、発熱が続く。過去において、おおぜいがかかる国民病だった。
菅田将暉さん(すだまさきさん)が、熱演です。かっこいい宮沢賢治像です。ときに、なにかにとりつかれたように太鼓をたたきながらお経さんを唱えます。(となえます)。キチガイになったようでもありますが、父親が息子の賢治をかばいます。
妹トシが兄の賢治さんに言います。『(兄は)日本のアンデルセンになる』。本人死後のことですが、アンデルセンになれました。
進路について、父と息子の対立があります。
こどもの人生は子どものもので、親が子どもにあれこれ指示するものではありません。
うまくいかないと、あとで親のほうがとても後悔することになります。こどものやりたいようにやらせてやれば良かったと後悔します。こどもの結婚話でも同様です。娘がどんな男を連れて来ても、おめでとう。良かったなと言うのが、父親の役割です。
宮沢賢治の資質と性格です。
人のために働いて、困っている人たち(農民)を助けたい。人助けをしたい。
学問を学んだことと、本人の生まれもった資質で、社会主義的・共産主義的な考えが賢治の心の根底にあります。昭和40年代にあった大学生の学生運動を思い出します。プロレタリアート(労働者階級、無産階級)という言葉を思い出します。
賢治があれこれやりたいと言いますが、資金はありません。実家の資産を頼りにします。
見ていて、親不孝者だと思える一面もあります。
祖父は認知症になって、奇行がめだつようになり亡くなりました。
葬式行列の映像が流れますが、自分も7歳ぐらいのこどものころに葬式行列に参加したことがあり、映像が、そのときとは状況が異なるので不可解でした。
こどもだったわたしは、両手で、亡くなった人のお位牌を目の前に掲げ(かかげ)持って、先頭から複数の人たちが持った長方形の旗竿(はたざお)の列の後ろからついて行きました。
映像では全員が白装束(しろしょうぞく)ですが、わたしのときは、だいたいの人たちが普段着だった記憶です。
映像では、火葬場が修理中のため、野原で祖父の遺体を火葬にします。薪(まき)が遺体のまわりに組んであって火をつけて燃やします。
わたしが体験したときは、土葬だった記憶です。昭和40年ころの記憶です。映画の映像は明治時代後半のころですから、火葬というのは不可解でした。
ネットで調べたら、明治時代にも火葬はあったそうで、そうすると、わたしが暮らしていた地域は、当時はまだ火葬場がなかったという僻地(へきち)だったのでしょう。熊本県の島でした。その後、島と陸地の間に複数の橋がかけられました。
あとは、遺体を入れたお棺(おかん)の形が、映像とわたしが体験した記憶では違いました。映像では、いまどきの直方体のお棺でしたが、わたしが体験したときは、円形の樽型(たるがた)のお棺でした。遺体を座った状態でお棺に入れて、天秤棒のようなものでお墓までかついで運んで、あらかじめ掘ってある穴に入れて、おとなたちが土をかけて埋めているのを見ました。
反抗期のような時期が続く宮澤賢治です。
先日読んだ本を思い出しました。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』なかなかいい本でした。以下は感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
こちらの映画に登場する作品として、『風の又三郎』、宮沢賢治は、結核にかかって、命短い妹トシに読み聞かせをするために童話を書きます。トシが賢治に、兄さん書いてと頼むのです。兄さんが書いた童話はおもしろい。
東北は、雪が多いからたいへんそうです。
父親もそれなりに学がある人だった。
明治時代中期・後期で、すらすらと文字の読み書きができる人が多かったとは思えません。
作品として、『注文の多い料理屋』
自費出版本は、売れません。
現実は厳しい。
昭和3年(1928年)のこととしての映像が流れます。
少人数の演劇を観ているような映像です。
『本当は、お父さんのようになりたかった』(でも賢治はなれなかった)
賢治は、結婚して跡継ぎのこどもをでかす(つくる)代わりに、物語を生んだ。
名作、『雨ニモマケズ』が出てきます。雨ニモマケズ、風ニモマケズ…… です。
手帳に記されていたメモです。
没後に発見されたはずですが、映画では、生存中、死に際に父親がその詩を暗唱しています。前記した火葬・土葬のこともあってから、わたしは、この映画は全体的に製作者によって話がつくられているのではないかと疑いました。
宮沢賢治さんの死に際です。結核でお亡くなりになった昭和8年の映像です。
レコードで、クラシック音楽ドボルザーク『新世界から』が流れています。
余談ですが、『新世界から』は、自分は中学の時に聴いて感動しました。自分が在籍していた中学校の吹奏楽部が体育館で演奏してくれました。
指揮者をされていた先生が熱心な指導者で、レベルが高かったと思います。吹奏楽部員は、毎朝、授業が始まる前に登校して朝練(あされん)をしていました。ほかのクラブ活動にも朝練がありました。そういう時代でした。当時の日本人は、なにかひとつのことに膨大な(ぼうだいな)時間を費やしてがんばっていました。
映像を観る限りでは、宮沢賢治は考え方が、凡人とは反対の人でした。
思いやりが強い人です。人のためになりたいと強く願い続けた人です。
いっぽう彼のまわりにいる彼を頼ってくる人は、彼に依存してくる人でした。彼を利用して自分が得をする。彼が経済的、精神的につぶれてもかまわない。自分が生き残ればそれでいいとする卑劣な人です。
最後のシーンは、作品、『銀河鉄道の夜』です。
ジョバンニとか、カムパネルラが出てきます。昨年夏に、東京下北沢にある本多劇場で、『銀河鉄道の夜』の演劇を観ました。
鉄道列車には、亡くなった人の霊魂が乗っていて、あの世へ向かって星空の中を走っているのです。
映像では、その列車に、宮沢賢治の父親が乗ってきました。4人がけ向かい合わせのボックス席には、すでに、亡くなっていた宮沢賢治と妹のトシが座っています。
父親は、ここいいですかと声をかけてふたりの前の席に座ります。(父親も寿命で亡くなったのでしょう)
父親が言います。『あなたがたはどちらへいくんですか?』
『どこまでもいくんです』と返答があります。どうも、霊魂になって、親子の関係が切れているようです。
父親の言葉です。『まっことありがとうござんした』(自分の子として生まれてきてくれてありがとうという意味だと受け取りました)
小説は読んだことがあります。
『銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社』以下は、小説を読んだときの感想の一部です。
童話作家宮沢賢治という人物の光の部分と陰の部分があります。主役は賢治ではなくお父さんの政次郎さんです。前半から中盤まで、そして最後まで、お父さんの気持ちがいっぱいです。息子を愛している。代々続いた家業である質屋の後継ぎとしての期待を裏切られても、息子への資金援助はしていく。気が長くて寛容です。自分が行きたくても行けなかった学問の道へと息子を導きます。
対して、息子である賢治は、親にお金をせびる。いつまでたっても自立できない。
父の影にいた賢治の姿が、徐々に見えてくる表現手法です。
夢を追う賢治は困窮します。父や祖父の言いつけ通り、質屋を継いでいれば富豪のままでした。向いていなかった。商売人になれない資質で生まれてしまった。人生の途中経過で、そんな結論が出てしまいますが、創作で救われます。
タイトルは、宮沢賢治作品、『銀河鉄道の夜』を少し変えてあるのでしょう。
宮沢賢治:童話作家、詩人。1896年(明治29年)-1933年(昭和8年)37歳で病死。
さて映画の感想です。
明治29年9月から始まります。1896年です。宮沢賢治が生まれた年に三陸沖大地震があった。(1896年6月15日明治29年)。
先週読み終えたばかりのこどもさん向けの本にそのことが書いてありました。『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』。岩手県山田町にあった小学校が舞台でした。別途その本を読んだときの感想をあげてあります。
映画のはじまりは、明治29年の風景です。『失敬、失敬(しっけい。失礼しました)』という言葉を久しぶりに耳にしました。電報も出てきます。自分がこどものころは、時々電報が家に届きました。今は電報という言葉さえ聞きません。
イノシシやクマが、蒸気機関車とぶつかって列車が停まります。今もそういう鉄道事故はあるかと思います。明治時代のようすは、純和風で、見ていて気持ちが落ち着きます。
明治時代ですから、男尊女卑の社会です。長男は跡取りとか、戸主が家を仕切るとか、そんな話が出るのですが、長男の宮沢賢治さんは、質屋(しちや。金貸し)という家の商売を継ぐ気はありません。いちおう見よう見まねで、質草(しちぐさ。品物)を持って来たお客の話を聞いて、お店が損をするぐらいのお金を渡してしまう人です。さらに、客が賢治にした苦労話は噓なのです。
気持ちが純粋な賢治は、人からだまされ続けて、人嫌いになって、宗教に洗脳されてと、なかなかの苦労と混乱の若い時代を過ごします。
父親との衝突もあります。父親は、ときには大きな声をあげて息子と対決しながらも、こどもたちに深い愛情を示します。
経過としては、賢治とその妹トシ。ふたりとも病死します。結核です。
結核(けっかく):結核菌、空気感染する。肺が病気になる。咳(せき)、痰(たん)、発熱が続く。過去において、おおぜいがかかる国民病だった。
菅田将暉さん(すだまさきさん)が、熱演です。かっこいい宮沢賢治像です。ときに、なにかにとりつかれたように太鼓をたたきながらお経さんを唱えます。(となえます)。キチガイになったようでもありますが、父親が息子の賢治をかばいます。
妹トシが兄の賢治さんに言います。『(兄は)日本のアンデルセンになる』。本人死後のことですが、アンデルセンになれました。
進路について、父と息子の対立があります。
こどもの人生は子どものもので、親が子どもにあれこれ指示するものではありません。
うまくいかないと、あとで親のほうがとても後悔することになります。こどものやりたいようにやらせてやれば良かったと後悔します。こどもの結婚話でも同様です。娘がどんな男を連れて来ても、おめでとう。良かったなと言うのが、父親の役割です。
宮沢賢治の資質と性格です。
人のために働いて、困っている人たち(農民)を助けたい。人助けをしたい。
学問を学んだことと、本人の生まれもった資質で、社会主義的・共産主義的な考えが賢治の心の根底にあります。昭和40年代にあった大学生の学生運動を思い出します。プロレタリアート(労働者階級、無産階級)という言葉を思い出します。
賢治があれこれやりたいと言いますが、資金はありません。実家の資産を頼りにします。
見ていて、親不孝者だと思える一面もあります。
祖父は認知症になって、奇行がめだつようになり亡くなりました。
葬式行列の映像が流れますが、自分も7歳ぐらいのこどものころに葬式行列に参加したことがあり、映像が、そのときとは状況が異なるので不可解でした。
こどもだったわたしは、両手で、亡くなった人のお位牌を目の前に掲げ(かかげ)持って、先頭から複数の人たちが持った長方形の旗竿(はたざお)の列の後ろからついて行きました。
映像では全員が白装束(しろしょうぞく)ですが、わたしのときは、だいたいの人たちが普段着だった記憶です。
映像では、火葬場が修理中のため、野原で祖父の遺体を火葬にします。薪(まき)が遺体のまわりに組んであって火をつけて燃やします。
わたしが体験したときは、土葬だった記憶です。昭和40年ころの記憶です。映画の映像は明治時代後半のころですから、火葬というのは不可解でした。
ネットで調べたら、明治時代にも火葬はあったそうで、そうすると、わたしが暮らしていた地域は、当時はまだ火葬場がなかったという僻地(へきち)だったのでしょう。熊本県の島でした。その後、島と陸地の間に複数の橋がかけられました。
あとは、遺体を入れたお棺(おかん)の形が、映像とわたしが体験した記憶では違いました。映像では、いまどきの直方体のお棺でしたが、わたしが体験したときは、円形の樽型(たるがた)のお棺でした。遺体を座った状態でお棺に入れて、天秤棒のようなものでお墓までかついで運んで、あらかじめ掘ってある穴に入れて、おとなたちが土をかけて埋めているのを見ました。
反抗期のような時期が続く宮澤賢治です。
先日読んだ本を思い出しました。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』なかなかいい本でした。以下は感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
こちらの映画に登場する作品として、『風の又三郎』、宮沢賢治は、結核にかかって、命短い妹トシに読み聞かせをするために童話を書きます。トシが賢治に、兄さん書いてと頼むのです。兄さんが書いた童話はおもしろい。
東北は、雪が多いからたいへんそうです。
父親もそれなりに学がある人だった。
明治時代中期・後期で、すらすらと文字の読み書きができる人が多かったとは思えません。
作品として、『注文の多い料理屋』
自費出版本は、売れません。
現実は厳しい。
昭和3年(1928年)のこととしての映像が流れます。
少人数の演劇を観ているような映像です。
『本当は、お父さんのようになりたかった』(でも賢治はなれなかった)
賢治は、結婚して跡継ぎのこどもをでかす(つくる)代わりに、物語を生んだ。
名作、『雨ニモマケズ』が出てきます。雨ニモマケズ、風ニモマケズ…… です。
手帳に記されていたメモです。
没後に発見されたはずですが、映画では、生存中、死に際に父親がその詩を暗唱しています。前記した火葬・土葬のこともあってから、わたしは、この映画は全体的に製作者によって話がつくられているのではないかと疑いました。
宮沢賢治さんの死に際です。結核でお亡くなりになった昭和8年の映像です。
レコードで、クラシック音楽ドボルザーク『新世界から』が流れています。
余談ですが、『新世界から』は、自分は中学の時に聴いて感動しました。自分が在籍していた中学校の吹奏楽部が体育館で演奏してくれました。
指揮者をされていた先生が熱心な指導者で、レベルが高かったと思います。吹奏楽部員は、毎朝、授業が始まる前に登校して朝練(あされん)をしていました。ほかのクラブ活動にも朝練がありました。そういう時代でした。当時の日本人は、なにかひとつのことに膨大な(ぼうだいな)時間を費やしてがんばっていました。
映像を観る限りでは、宮沢賢治は考え方が、凡人とは反対の人でした。
思いやりが強い人です。人のためになりたいと強く願い続けた人です。
いっぽう彼のまわりにいる彼を頼ってくる人は、彼に依存してくる人でした。彼を利用して自分が得をする。彼が経済的、精神的につぶれてもかまわない。自分が生き残ればそれでいいとする卑劣な人です。
最後のシーンは、作品、『銀河鉄道の夜』です。
ジョバンニとか、カムパネルラが出てきます。昨年夏に、東京下北沢にある本多劇場で、『銀河鉄道の夜』の演劇を観ました。
鉄道列車には、亡くなった人の霊魂が乗っていて、あの世へ向かって星空の中を走っているのです。
映像では、その列車に、宮沢賢治の父親が乗ってきました。4人がけ向かい合わせのボックス席には、すでに、亡くなっていた宮沢賢治と妹のトシが座っています。
父親は、ここいいですかと声をかけてふたりの前の席に座ります。(父親も寿命で亡くなったのでしょう)
父親が言います。『あなたがたはどちらへいくんですか?』
『どこまでもいくんです』と返答があります。どうも、霊魂になって、親子の関係が切れているようです。
父親の言葉です。『まっことありがとうござんした』(自分の子として生まれてきてくれてありがとうという意味だと受け取りました)
2024年05月06日
海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞
海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社
本に、A4ぐらいの大きさの新聞縮小版がはさんであったので、最初に読もうかと思いましたが、内容が、令和5年(2023年)となっていたので、本を読んだあとで新聞を読んだほうがいいと思い、後回しにしました。
まず全体のページを最初から最後までめくってみました。
東日本大震災が素材です。2011年3月11日金曜日午後2時46分発災です。平成23年でした。もうずいぶん前のことになりました。日本ではその後、熊本地震、能登半島地震が起きました。いつになるかわかりませんが、また、どこかで大きな地震は起きると思います。
本の中の場所として、『岩手県山田町』が出てきます。北にある宮古市と南にある釜石市の間に位置しています。
岩手県の県庁所在地である盛岡市の東南、海岸沿いの町で、南には、ニュースでときおり耳にする大槌町(おおつちちょう)があります。
山田町内の鉄道駅として、三陸鉄道リアス線で、久慈(くじ駅。久慈市)から盛(さかり駅。大船渡市)までの路線の途中に、『陸中山田』という駅があります。
東日本大震災が起きて何日かして、山田町から愛知県内に避難してきたという人を見たことがあります。わたしはそれまで、岩手県に山田町があるということすら知りませんでした。そして、ずいぶん遠くから愛知県まで避難して来られたものだと驚きました。
そのとき気づいたのですが、避難者のご家族というのは、ずっと同じところにいるわけではなくて、どこにいても一時的な滞在地で、短期間でよそへ移動されていきます。安住の地を見つけるのには時間がかかります。
この本の趣旨はなんだろう。『海よ光れ!』というのは、どういう意味なのだろう。今はわかりません。
学校新聞の話らしい。
この本のつくりは、相手にインタビューをして、聞き取ったことを文章にしてあるようです。
(わたしは、本を読みながら本の感想をつぎ足して文章を仕上げていく人です)
(1回目の本読み。最初のページから最後のページまでゆっくりめくってみる)
山田町:漁業の町。山田湾がある。カキやホタテの養殖をしている。
大沢地区という集落の話をするらしい。
被災後の白黒写真があります。凄惨です。(せいさん:むごたらしいようす。目をそむけたい)。家が津波で海水に水没しています。
文章にリズム感があります。音楽のようです。
明治29年6月15日(1896年)に地震があった。大津波が起きた。(この年の8月27日には、岩手県花巻市で、童話作家の宮沢賢治が誕生しています。37歳没。この本を読んでいた時に、邦画『銀河鉄道の父』を動画配信サービスで観ました)
自分の記憶では、明治27年が、日清戦争です。1894年でした。10年後の明治37年が、日露戦争でした。1904年でした。東北で大きな地震があったのは、1896年です。『1896年明治三陸津波』というそうです。ということは、2011年から数えて、また115年ぐらいたったら大津波が起きるほどの地震が発生すると考えてしまいます。
本の内容は、学校という狭い世界、狭い箱の中の空間の話です。
自然災害は戦争ではありません。人為的なことではないので、防ぎようがありません。地震や津波の発生を人間は止められません。
写真には、『がんばろう』の文字が並びます。だけど、『がんばろう』だけでは、息が詰まるということもあります。『リラックス』も必要です。
被災者のつらさは、被災した人間にしか出来事を実感できないということはあります。これからどうしようという絶望感があるとお察しします。
テレビや新聞でニュースを聞いた人は、たいていは、募金をしたり、現地の特産物を買ったりすることぐらいしか応援できません。
こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
文字を読むことはたいへんなことです。
新聞をすみからすみまで読む人は少ない。
新聞は、書いた人、作った人がいちばん内容を理解しているということはあります。
新聞をつくるという行為で、沈んでいた気持ちが救われるということはあると思います。
功績がある内容でも、仕事でやったからということはあります。
生活していくためにはお金が必要です。お金を手に入れるために仕事をすることが基本です。
社会生活は複雑ですからいろいろあります。
(2回目の本読み)
『はじめに』があって、小さな項目が1から13まであって、『おわりに』があって、『出版記念「海よ光れ」号外』があって、『あとがき』があります。本に別紙で付いている号外と本の150ページにある号外は同じものでした。
山田湾をはさんでいるのが、『重茂半島(おもえはんとう)』と『船越半島(ふなこしはんとう)』です。
力強い雰囲気で書かれた文章が続きます。
山田湾には、『大島』と『小島』があって、江戸時代には、大島にオランダ船が立ち寄ったそうです。
以前読んだ本に、ペリーが来航したとき、江戸幕府は、そのときはじめて外国から開国を迫られたわけではなくて、何年も前から、複数の国に開国を迫られて断っていたと書いてありました。外国はまずは、日本と貿易をしてお金を稼ぎたかった。
山田町の夏のイベント:魚賀波間神社(ながはまじんじゃ)のお祭り。おみこしがある。踊りとして、『神楽(かぐら)』、『虎舞(とらまい)。「大沢虎舞」と書いてあります。地元に保存会があって、小学校の運動会で披露しているそうです』、『獅子踊り(ししおどり)』がある。(東北らしいと思いました。以前読んだ本に、小学生の舞(まい)のことが書いてありました。『ふたりのえびす 高森美由紀 フレーベル館』 そちらは、舞台は青森県八戸あたり(はちのへあたり)、小学校5年1組の(郷土芸能であるらしき)地元の歌舞伎みたいなお祭り演技に小学生が挑戦します。えびす舞(まい):縁起がよくなりますように。豊作でありますように。無事祈願でしょう)
2011年3月11日東日本大震災が発災して、大津波が押し寄せた。山田町立大沢小学校に、おおぜいの人たちが避難した。
1 全校表現劇『海よ光れ』(悠太くん(5年生。福士悠太さん))
ここで、タイトルの“海よ光れ”が、劇であることがわかりました。
でも、書いてあるのは、東日本大震災が起きる一年前の時点です。どうしてだろう。
1年生から6年生まで全員で、『海よ光れ』という劇を演じるそうです。毎年その劇を上演するそうです。昭和63年(1988年)に脚本ができたそうです。大沢小学校に勤務していた箱石敏巳先生と、地元の劇団きたかぜ代表の藤原博行さんでつくったそうです。
祖父が孫に大沢地区に関する昔話をするストーリーだそうです。捕鯨の話、イカ漁の話、そして、明治と昭和に津波があった話だそうです。(明治はわかりましたが、昭和にもあったのか)
自然災害の発生に関する伝承があります。気をつけろ。また津波が来るぞです。
小学生たちが組み合って、津波の波を体で表現するそうです。潮のうねりがあるのでしょう。
(津波から子孫が身を守ることを示唆するための演劇なのだろうか。しさ:暗に教える。暗示する)
昭和の津波
昭和8年3月3日(1933年)昭和三陸地震津波。岩手県内の死者1408人(知りませんでした)
昭和35年5月24日(1960年)チリ地震の影響による津波。岩手県内の死者55人。(なんとなく、昔聞いたことがあります)
明治の津波
明治29年6月15日(1896年)明治三陸地震津波。岩手県内の死者18158人。うち、山田町で亡くなった人の数は、2984人だそうです。
劇は日本の宗教っぽい。
明神様(みょうじんさま。威厳と徳のある神)
登場する人の数が増えてきたので整理が必要です。
演劇の劇中の人物(役柄)として:よっぱらいの辰治郎じいさん(たつじろうじいさん)、校長先生、船頭)
福士悠太:大沢小学校5年生。お父さんは消防署員。大学と高校に進学する姉がいる。
古久保優希菜:5年生。背が高い。バスケットボールがじょうず。海の子児童会執行部員。なお、悠太も同じく海の子児童会執行部員をしている。4年生の時に内陸部の小学校から転校してきた。ミニバスケットボールのスポーツ少年団に入った。
中村奈緒:6年生。児童会長。村人役を演じた。学校新聞『海よ光れ』の編集長をしている。
箱石佑太(はこいし・ゆうた):6年生。老人役を演じた。ミニバスケットボールのスポーツ少年団員。
武藤愛(ぶとう・あい):6年生。ナレーターをつとめた。
大川海渡(おおかわ・かいと):6年生。ふたごの兄。大沢スポーツ少年団員。悠太も同じく大沢スポーツ少年団員である。ケガをして松葉杖をついている。
大川海成(おおかわ・かいせい):6年生。ふたごの弟。大沢スポーツ少年団員。鼻たれ坊主のこども役だった。
佐藤はるみ先生:新聞製作の担当。
この演劇は、東日本大震災の一年前に演じられています。
翌年、津波に被災したということは、そこに住んでいた人たちがどこかへ避難したということです。避難したということは、そこにあったコミュニティ(地域社会の集まり。集落)が消えたということです。読んでいて気になりました。本のページをずーっとめくっていきました。
143ページに、『大沢小学校は本年度で閉校になるため、これが最後の「海よ光れ」になります』と書いてありました。せつないものがあります。2019年(令和元年)秋のことでした。演劇での津波のシーンは、心が傷つく人がいるからやらないそうです。震災の翌年からずーっと、津波のシーンはやらなかったそうです。最後の演劇でもやりませんでした。
2 もう一つの「海よ光れ」(悠太くん)
小学校の学校新聞があります。全校表現劇(演劇)と同じ名称が付いています。
『海よ光れ』です。岩手県で新聞コンクールがあるようで、毎年いい成績をあげているそうです。
2010年3月には、全国大会で、『内閣総理大臣賞』を受賞しているそうです。たいしたものです。東日本大震災の前年です。
新聞の第73号:文化祭での学習発表会に合わせた特別号。2011年のことです。地震はまだ起きていません。担当は、佐藤はるみ先生でした。当時小学生のこどもさんがいたそうです。ベテラン教師です。
フライ旗(ふらいき):大漁旗(たいりょうばた)
できあがった学校新聞を、劇が始まる前に、水産会社の人、植木屋の人に渡します。いろいろお世話になっているそうです。
全校新聞である、『海よ光れ』以外に、一年生から、個人新聞をつくっているそうです。大沢小学校は、新聞づくりに熱心です。
29ページの新聞4枚は、文字が小さいので、老眼のわたしには読めません。
レタリング:手書きの文字。
なんというか、おとなの世界だと、仕事は、利潤の追求が目的です。(お金もうけ)
学校新聞づくりは、利潤の追求ではありません。
お金のことを考えなくてすむということは、自由な発想でつくれるということです。
3 楽しかった東京(優樹菜さん)
震災直前のことです。2011年3月5日、5年生の古久保優樹菜さんが東京へ行きました。
大久保裕明校長と佐藤はるみ先生と東北新幹線に乗りました。学校新聞の表彰式に参加するためでした。
これからは、卒業する6年生のあとを継いで、今の5年生のメンバーが中心になって、学校新聞『海よ光れ』の第78号をつくります。
大津波の発生の日が近づいています。
4 大津波(奈緒さん(児童会長6年生中村奈緒さん))
東京から岩手県山田町に帰ってきた6日後に被災されたそうです。
マグニチュード9.0(とても大きい)。巨大地震の発生です。
2011年(平成23年)3月11日午後2時46分のことでした。
しばらくして、大津波警報が発令されました。
大沢小学校は、標高が高い位置に建っていたので津波はそこまで届かない位置だったそうです。土地の人たちの避難所になったそうです。
逆に海に近いところに住んでいたこどもたちは家に帰れなくなりました。親にも会えないこどももいたそうです。
高橋信之副校長が安全を呼びかけて保護者をコントロールします。その後、大久保校長も小学校に駆けつけます。
まるで、災害パニック映画のような光景が、目の前で現実に繰り広げられます。大きな津波が、海に設置されている防潮堤を超えて、人間が住む住宅地へなだれこんできます。津波火災も発生します。乗用車もトラックも津波に流されています。救急車は呼べません。携帯電話もつながりません。
足りないものとして、薬、タオル、石油ストーブ、灯油、米、食料、ラジオ、トイレットペーパーなど。
生徒は全員が無事だったそうです。
小学校への避難者は、500人ぐらい。
東北の三月ですから屋外はまだ寒い。
『自助(じじょ。ほかに共助(近隣住民)と公助(役所の援助)があります)』が始まります。
とりあえず、自分や自分たちのことは、自分や自分たちでやるのです。
沖だし:中村奈緒さんのお父さんは漁師だったので、船を守るために船を沖に出しに行ったそうです。(なんだか、津波が来る中、津波に向かっていくわけで、恐そうです(こわそうです)。実際波に飲み込まれた人もいたようです)。お父さんは無事でした。
5 目を覚ませ、大沢の子(はるみ先生(佐藤はるみ先生))
避難所になった小学校には先生たちがいました。先生たちはこどもたちのめんどうをみます。
被災の翌朝(3月12日)、朝6時半に起きて、コイの池に流れ込んでいる沢水(湧き水)で顔を洗います。顔を洗ったらランニングです。ゆっくりランニングをしながら先生はこどもたちのつらい気持ちを聞きます。
6 ぼくらにできること(海渡くん(かいとくん。6年生大川海渡さん。ふた子の兄。将来は漁師になりたい)
近所のおばさんたちがつくってくれたおにぎりとおみそ汁を飲む。
避難所は孤立状態にあったので、助けがくるのを待ちます。
女の子たちは、トイレ掃除を始めました。災害で困るのは、トイレです。水がありません。男子は、コイの池から水を運びます。
おばさんたちは、ご飯をつくります。みんなで協力します。
大川ヒメ子さんは、こどもたちがつくった『がんばろう』のポスターに心が励まされました。
大川海渡さんのお母さんのお父さんは亡くなり、お母さんのおばあさんとおじさんは行方不明だそうです。
7 肩もみ隊出動!(雅みやびさん(6年生女子 福士雅さん)
お年寄りの肩を一年生から四年生のこどもたちでもんであげます。
お年寄りから昔ばなしを聞きます。
昭和8年(1933年)に三陸津波を体験されたそうです。
福士雅さんのご自宅は浸水で住めなくなったそうです。
役場職員さん道又城さん(みちまたじょうさん)は、役場は浸水した。周囲は火の海になった。津波の翌日に大沢地区を訪れた。こどもたちがしっかり動いていたそうです。
8 支援の手(悠太くん(福士悠太さん))
震災・大津波から三日後、航空自衛隊山田分屯基地(ぶんとんきち)の自衛隊員の人たちが救助・救援に来てくれました。孤立状態の解除です。
食料不足、着替えなし、お風呂なしでした。
校長の提案で、避難所で、『朝のあいさつ』の時間が始まる。
災害で亡くなった方に黙とうをささげて、困難を乗り越えていきましょうと声をだす。
お祭りのときにこどもたちが舞うのが、『差餌鳥舞(さしとりまい)』だそうです。また、お祭りで神楽(かぐら)の踊り手を見たい。平和な日が恋しい。
全国から支援の手が届き始めます。自衛隊員、医療チーム、警察官も全国から駆けつけます。
3月17日が、小学校の登校日だった。ひさしぶりに顔をみるこどももいた。
福士悠太さんは、『ありがとう』の感謝を伝えるために、学校新聞をつくりたいと思った。
85ページまで読んできて、親世代とこども世代の意識の違いについて考えました。
親世代がこどもだったころ、水道はなかったような気がします。
なにもかもが生まれたときからそろっている現代のこどもさんにはわからない世界です。不便な生活を体験したことがある親や祖父母の世代は、物がなかった時代に生きたことがあるので、いざ災害時には力を発揮するということはあります。
昔、水道がなかったことを熊太郎が文章にしたことがあります。データを探したら出てきたので、ここに落としてみます。
『水道がない』
(1967年)昭和四十二年までのわたしの体験で、水道が自宅になかったのは、茨城県、福岡県、熊本県に住んだときでした。(父親に放浪癖があって、短気だったこともあり、仕事場で上司や同僚とケンカして仕事を辞めてばかりいたので転校を何回も体験しました。景気のいい時代だったので、どこに行っても仕事が見つかりました)
1 茨城県
小学校には水道がありました。
冬が近づいてくると先生から水道の水は少しの量を出しっぱなしにしておくようにと教えられました。
そうしないと、水道がこおってしまうということでした。
自宅がある集落には、手押し式のポンプの井戸がたくさんありました。
奥さんたちの井戸端会議という言葉はここからきたのですね。
井戸端会議という言葉も今では死語(しご)になってしまいました。
おふろは銭湯(せんとう)のような大きな共同風呂がありましたが、無料でした。
茨城県と福島県の県境に近い太平洋側のところで炭鉱でした。
炭鉱労働者用の風呂で、家族は無料でした。
2 福岡県
ここには井戸はありませんでした。
自宅の台所に水をためるコンクリート製のかめがありました。
水はどうするかというと、バケツを持って近くの山道を少し登り、湧き水が流れているので、それをくんできて、かめに貯めて使っていました。
集落の中に、小さな共同風呂がありました。
風呂当番というのがあって、毎日各世帯もちまわりで、風呂をわかす仕事を奥さんたちがしていました。
夕方4時ころから夜中まで、奥さんたちは自宅とお風呂との間を行ったり来たりしていました。
トイレは、屋外にあって共同でした。
小学校に水洗トイレができたとき、朝礼で先生からその使い方を習いました。
わたしは、学校からの帰り道にのどがかわくと、田んぼのあぜ道の横を流れている用水路の水を飲んでいました。
そんなわけで、わたしと弟は、学校のギョウチュウ検査などで、時々ひっかかりました。
3 熊本県
熊本県内で何回か引っ越しをしたので、順番に書くと、最初の場所では、集落に水道が1本だけあったことを覚えています。
集落に住んでいる人たちみんなで、その1本の水道を使用していたのではないかと思います。
その地区では、わたしは自分が毎日入浴をしていたという記憶がありません。
父親の会社の社員用の風呂に入ったという記憶が1回だけあります。
毎月、父の給料が支給されると、家族4人そろって路線バスに乗って、近くの温泉に入りにいっていたことはよく覚えています。
次に住んだところでは、山からわき出る清水(しみず)を樋(とい)を使って、台所に引き込んで使用していました。
そこは農村で、おおかたの家には、つるべ式の井戸がありましたが、わたしの家の井戸は、自宅から山道を1分ぐらい歩いたところにありました。
井戸の底には、魚が何匹かいて、その魚が死んで浮かんできたら、その水は汚染(おせん)されているからのんじゃいけないということなのかなと今は考えます。
その家にお風呂(ふろ)があったのかどうか記憶がありません。
近所の家に、何回か風呂に入りに行ったことがあります。
それらはみな五右衛門風呂(ごえもんぶろ)と呼ばれるもので、火傷(やけど)しないように、足の裏で板を踏みながら入るもので、こわかったことをおぼえています。
洗濯は、川でしていました。
近所の奥さんたちが、せんたく物とせんたく板をもって集まって、川まで行ってせんたくをしていました。
せんたくが終わるまでの間、わたしは、竹がいっぱい生えていたので、笹舟(ささぶね)をたくさんつくって川に流して遊んでいました。わたしが、小学校1年生ぐらいのときのお話です。
わたしは、小学校で習った一寸法師(いっすんぼうし)とか、桃太郎とかの話は、本当のことだろうと、その当時は思っていました。
本にはさんである学校新聞の縮小版を読んでみます。
『海よ光れ』号外となっています。発行の日付は、令和5年(2023年)です。大沢小学校は、1876年開校(昭和51年)、2020年閉校(令和2年)となっています。寄稿者は、この本にでてくる当時小学5年生、6年生だったメンバーです。みなさんおとなになっています。23歳とか24歳です。
しっかりした手書きの文章です。みなさん、がんばられました。
福士悠太さん(役場職員)、福士雅さん(ふくし・みやびさん 看護師)、古久保優樹菜さん(大学生でバスケットボールをしている)、大川海渡さん(漁師)、中村奈緒さん(航空自衛官)、武藤愛さん(実家の食料品店経営)、箱石佑太さん(職業は書いてありませんが、被災時の思い出話が書いてあります)、大川海成さん(警察官)
当時の思い出とか、コロナ禍のこと、未来は何が起きるかわからないこと、震災・津波から10年少し経って思うことなどが書いてあります。月日がたつのは早いものですが、それぞれご苦労があったとお察しします。
9 卒業式(海成くん。大川海成くん6年生)
項目はまだ9ですが、全ページを読み終えました。(読みながら感想をつぎ足しています)
最後の先生の手記を読んで、この本のつくりを観察して、本の内容は、意図的につくってある美談ではないという仕切りに好感をもちました。
生身の人間、東北弁をお互いにしゃべりながらの気持ちの交流があります。書籍化するにあたっての葛藤(かっとう。本当の本にしていいのか。書かれているおとなになっているこどもたちにマイナスの影響があるのではないか)がありました。関係者のみなさんの了解を得てできあがっている本です。
さて、項目9からの感想メモです。
各個人の話になります。
大川海成くん、6年生、ふたごの弟さんのほうです。全校表現劇、『海よ光れ!』では、鼻たれ坊主のこぞうを演じました。津波のあとは、小学校に泊まって、その後は、親戚の家でお世話になっているそうです。
6年生の卒業式は、津波の影響で、3月25日に延期になったそうです。
卒業式に出席した6年生は29人です。29人が6年生全員だそうです。少ない数ですね。
親にとってみれば、こどもというものは、生きていてくれればそれでいいのです。勉強ができなくてもいいし、運動ができなくてもいいのです。親が、小学校の先生に一番望むことは、生きて卒業させてくださいということなのです。
10 2101通の手紙(愛さん。武藤愛さん6年生)
学校新聞、『海よ光れ!』の第78号をつくる。つくるメンバーは、6年生の武藤愛さん、大川海渡くん、大川海成くん、5年生の福士悠太くんの4人です。
学校新聞が全国大会で表彰されたことがきっかけになって、全国から被災地の大川小学校のメンバーを励ます手紙が新聞社を仲介にして届きます。津波災害が発生した当初、大川小学校の児童の安否がわからなかったそうです。
2101通ものたくさんの応援手紙が届きました。
11 学校新聞 第78号 『大沢の海よ光れ!』(悠太くん。福士悠太くん。進級して6年生)
第78号の学校新聞、『海よ光れ!』が発行されました。つくっている最中の4月7日にも大きな地震があったそうです。たいへんです。
まだ、150人の人たちが小学校で避難所生活を送っているそうです。
12 新聞にこめる思い(優樹菜さん。進級して6年生。古久保優樹菜さん)
4月20日が大沢小学校の入学式です。震災後、入学式が遅れていました。新一年生は11人です。全校生徒の数は91人です。少ないです。
5月11日:学校新聞、『海よ光れ』第79号が完成しました。
お弁当給食だったのが、給食が実施されたそうです。避難所で避難している人たちがつくってくれたそうです。
こどもたちを午前中で下校させても、家でお昼の準備をできる家庭が少なかったそうです。
こどもたちはずっと、トイレ掃除とお年寄りの肩もみを続けています。
5月31日:学校新聞、『海よ光れ』第80号が発行されました。
避難所のお年寄りへの感謝があります。こどもたちのために、ぞうきんを縫ったり、畑を耕したり草取りをしてくれたりしたそうです。
13 思いがけないこと(悠太くん。福士悠太くん。6年生)
学校新聞は、第81号、第82号と発行を重ねていきました。
三陸鉄道の、『陸中山田駅』のことが書いてあります。
先日、NHK土曜夜の番組、『プロジェクトX(エックス)』で、被災当時のことが放送されていました。三陸鉄道の沿線では津波で線路や駅や橋脚が流されて、一時は廃線しかないという状況もあったそうですが、みなさん努力されて、三陸鉄道を奇跡が起こるように復活させておられます。人間の力って、すごいなあと思いました。
全校表現劇、『海よ光れ』は、23年間続いてきた大沢小学校の伝統行事でしたが、震災の年の上演はありませんでした。中止です。運動会もなし。大沢虎舞(おおさわとらまい)もありませんでした。
学校新聞、『海よ光れ』第85号が発行されました。
大沢の町が少しずつ復興に向かっていることがわかります。
町の復興ベスト5です。
1位 店が再開した。(お買い物ができます) 2位 ガレキが片付けられた。(町がきれいになりました) 3位 漁船が増えた。(大沢は、漁業の町なのでしょう) 4位 仮設や建物が建ってきた。(新たな市街地の形成です) 5位 道路が直った。(道路は、人間の血管のようなものです。物流が回復します)
小学校の復興ベスト5です。
1位 校庭が使えるようになった。(校庭が使えない小学校はつらい。遊び場がありません) 2位 学校が避難所ではなくなった。(避難者がちゃんと住むところができたということです) 3位 図書館が利用できるようになった。(本読みは、心の支えのために大切です) 4位 (支援)物資がなくなった。(支援の手が少なくなったということはいいことなのです。自活できるようになった) 5位 転校してきた子どもたちが戻ってきた。(同じ土地で育った仲間です)
2012年(平成24年)1月31日発行の、『海よ光れ』第88号
来年度児童会執行部選挙特集だった。
福士悠太くんたち6年生は、3月で小学校を卒業します。
時間の流れは早いものです。
佐藤はるみ先生が、学校新聞、『海よ光れ』が、全国新聞コンクールで、内閣総理大臣賞を受賞したことを教えてくれます。
2月21日、6年生だけで、『海よ光れ』の劇を披露しました。
あきらめていた修学旅行にも行けました。
盛岡市での福祉大会で、『大沢虎舞』を披露できました。
『終わりに』
2019年秋(令和元年)に筆者の田沢五月さんが、多田敢校長(ただ・つよしこうちょう)に話をして、全校表現劇、『海よ光れ』を観劇されたそうです。
大沢小学校は、その年の年度で閉校になったそうです。大沢小学校の143年の歴史が閉じました。
学校新聞、『海よ光れ』は、新聞委員会でつくっているそうです。委員会の6年生のメンバーが、三上乃愛(みかみ・のあ)さん始め5人だったそうです。震災のときは、3歳だったそうです。
最後の新聞:『海よ光れ』第175号です。コロナ禍が始まる頃でもありました。
2023年(令和5年):出版記念号外、『海よ光れ』発行。23歳、24歳になった昔のメンバーが、号外を発行しました。みなさん故郷や社会に貢献されています。町役場職員、警察官、看護師、漁師、町の商店経営、航空自衛官、みなさん、しっかり地に足を付けて生活されています。学校新聞、『海よ光れ』をつくった体験が、その後の人生に生かされていると、本を読み終えて考えました。
とかく、いい話として本をつくりがちですが、現実の現場では、ドラマや映画、テレビの放送のように事実や映像を加工することはできないし、加工する必要もありません。
災害を利用して利潤の追求をする悪意の人や組織もいます。
本の内容は、現実的な内容で、飾らない出来事の記述が良かったと思います。また、筆者自身も故郷が山田町のお隣だそうで、実感のこもったレポートでした。取材を申し込んでも、まだ津波の話はしたくないという人の存在もリアルでした。身内や親族を失うような、よほど悲しい思いを体験されたのでしょう。
本に、A4ぐらいの大きさの新聞縮小版がはさんであったので、最初に読もうかと思いましたが、内容が、令和5年(2023年)となっていたので、本を読んだあとで新聞を読んだほうがいいと思い、後回しにしました。
まず全体のページを最初から最後までめくってみました。
東日本大震災が素材です。2011年3月11日金曜日午後2時46分発災です。平成23年でした。もうずいぶん前のことになりました。日本ではその後、熊本地震、能登半島地震が起きました。いつになるかわかりませんが、また、どこかで大きな地震は起きると思います。
本の中の場所として、『岩手県山田町』が出てきます。北にある宮古市と南にある釜石市の間に位置しています。
岩手県の県庁所在地である盛岡市の東南、海岸沿いの町で、南には、ニュースでときおり耳にする大槌町(おおつちちょう)があります。
山田町内の鉄道駅として、三陸鉄道リアス線で、久慈(くじ駅。久慈市)から盛(さかり駅。大船渡市)までの路線の途中に、『陸中山田』という駅があります。
東日本大震災が起きて何日かして、山田町から愛知県内に避難してきたという人を見たことがあります。わたしはそれまで、岩手県に山田町があるということすら知りませんでした。そして、ずいぶん遠くから愛知県まで避難して来られたものだと驚きました。
そのとき気づいたのですが、避難者のご家族というのは、ずっと同じところにいるわけではなくて、どこにいても一時的な滞在地で、短期間でよそへ移動されていきます。安住の地を見つけるのには時間がかかります。
この本の趣旨はなんだろう。『海よ光れ!』というのは、どういう意味なのだろう。今はわかりません。
学校新聞の話らしい。
この本のつくりは、相手にインタビューをして、聞き取ったことを文章にしてあるようです。
(わたしは、本を読みながら本の感想をつぎ足して文章を仕上げていく人です)
(1回目の本読み。最初のページから最後のページまでゆっくりめくってみる)
山田町:漁業の町。山田湾がある。カキやホタテの養殖をしている。
大沢地区という集落の話をするらしい。
被災後の白黒写真があります。凄惨です。(せいさん:むごたらしいようす。目をそむけたい)。家が津波で海水に水没しています。
文章にリズム感があります。音楽のようです。
明治29年6月15日(1896年)に地震があった。大津波が起きた。(この年の8月27日には、岩手県花巻市で、童話作家の宮沢賢治が誕生しています。37歳没。この本を読んでいた時に、邦画『銀河鉄道の父』を動画配信サービスで観ました)
自分の記憶では、明治27年が、日清戦争です。1894年でした。10年後の明治37年が、日露戦争でした。1904年でした。東北で大きな地震があったのは、1896年です。『1896年明治三陸津波』というそうです。ということは、2011年から数えて、また115年ぐらいたったら大津波が起きるほどの地震が発生すると考えてしまいます。
本の内容は、学校という狭い世界、狭い箱の中の空間の話です。
自然災害は戦争ではありません。人為的なことではないので、防ぎようがありません。地震や津波の発生を人間は止められません。
写真には、『がんばろう』の文字が並びます。だけど、『がんばろう』だけでは、息が詰まるということもあります。『リラックス』も必要です。
被災者のつらさは、被災した人間にしか出来事を実感できないということはあります。これからどうしようという絶望感があるとお察しします。
テレビや新聞でニュースを聞いた人は、たいていは、募金をしたり、現地の特産物を買ったりすることぐらいしか応援できません。
こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
文字を読むことはたいへんなことです。
新聞をすみからすみまで読む人は少ない。
新聞は、書いた人、作った人がいちばん内容を理解しているということはあります。
新聞をつくるという行為で、沈んでいた気持ちが救われるということはあると思います。
功績がある内容でも、仕事でやったからということはあります。
生活していくためにはお金が必要です。お金を手に入れるために仕事をすることが基本です。
社会生活は複雑ですからいろいろあります。
(2回目の本読み)
『はじめに』があって、小さな項目が1から13まであって、『おわりに』があって、『出版記念「海よ光れ」号外』があって、『あとがき』があります。本に別紙で付いている号外と本の150ページにある号外は同じものでした。
山田湾をはさんでいるのが、『重茂半島(おもえはんとう)』と『船越半島(ふなこしはんとう)』です。
力強い雰囲気で書かれた文章が続きます。
山田湾には、『大島』と『小島』があって、江戸時代には、大島にオランダ船が立ち寄ったそうです。
以前読んだ本に、ペリーが来航したとき、江戸幕府は、そのときはじめて外国から開国を迫られたわけではなくて、何年も前から、複数の国に開国を迫られて断っていたと書いてありました。外国はまずは、日本と貿易をしてお金を稼ぎたかった。
山田町の夏のイベント:魚賀波間神社(ながはまじんじゃ)のお祭り。おみこしがある。踊りとして、『神楽(かぐら)』、『虎舞(とらまい)。「大沢虎舞」と書いてあります。地元に保存会があって、小学校の運動会で披露しているそうです』、『獅子踊り(ししおどり)』がある。(東北らしいと思いました。以前読んだ本に、小学生の舞(まい)のことが書いてありました。『ふたりのえびす 高森美由紀 フレーベル館』 そちらは、舞台は青森県八戸あたり(はちのへあたり)、小学校5年1組の(郷土芸能であるらしき)地元の歌舞伎みたいなお祭り演技に小学生が挑戦します。えびす舞(まい):縁起がよくなりますように。豊作でありますように。無事祈願でしょう)
2011年3月11日東日本大震災が発災して、大津波が押し寄せた。山田町立大沢小学校に、おおぜいの人たちが避難した。
1 全校表現劇『海よ光れ』(悠太くん(5年生。福士悠太さん))
ここで、タイトルの“海よ光れ”が、劇であることがわかりました。
でも、書いてあるのは、東日本大震災が起きる一年前の時点です。どうしてだろう。
1年生から6年生まで全員で、『海よ光れ』という劇を演じるそうです。毎年その劇を上演するそうです。昭和63年(1988年)に脚本ができたそうです。大沢小学校に勤務していた箱石敏巳先生と、地元の劇団きたかぜ代表の藤原博行さんでつくったそうです。
祖父が孫に大沢地区に関する昔話をするストーリーだそうです。捕鯨の話、イカ漁の話、そして、明治と昭和に津波があった話だそうです。(明治はわかりましたが、昭和にもあったのか)
自然災害の発生に関する伝承があります。気をつけろ。また津波が来るぞです。
小学生たちが組み合って、津波の波を体で表現するそうです。潮のうねりがあるのでしょう。
(津波から子孫が身を守ることを示唆するための演劇なのだろうか。しさ:暗に教える。暗示する)
昭和の津波
昭和8年3月3日(1933年)昭和三陸地震津波。岩手県内の死者1408人(知りませんでした)
昭和35年5月24日(1960年)チリ地震の影響による津波。岩手県内の死者55人。(なんとなく、昔聞いたことがあります)
明治の津波
明治29年6月15日(1896年)明治三陸地震津波。岩手県内の死者18158人。うち、山田町で亡くなった人の数は、2984人だそうです。
劇は日本の宗教っぽい。
明神様(みょうじんさま。威厳と徳のある神)
登場する人の数が増えてきたので整理が必要です。
演劇の劇中の人物(役柄)として:よっぱらいの辰治郎じいさん(たつじろうじいさん)、校長先生、船頭)
福士悠太:大沢小学校5年生。お父さんは消防署員。大学と高校に進学する姉がいる。
古久保優希菜:5年生。背が高い。バスケットボールがじょうず。海の子児童会執行部員。なお、悠太も同じく海の子児童会執行部員をしている。4年生の時に内陸部の小学校から転校してきた。ミニバスケットボールのスポーツ少年団に入った。
中村奈緒:6年生。児童会長。村人役を演じた。学校新聞『海よ光れ』の編集長をしている。
箱石佑太(はこいし・ゆうた):6年生。老人役を演じた。ミニバスケットボールのスポーツ少年団員。
武藤愛(ぶとう・あい):6年生。ナレーターをつとめた。
大川海渡(おおかわ・かいと):6年生。ふたごの兄。大沢スポーツ少年団員。悠太も同じく大沢スポーツ少年団員である。ケガをして松葉杖をついている。
大川海成(おおかわ・かいせい):6年生。ふたごの弟。大沢スポーツ少年団員。鼻たれ坊主のこども役だった。
佐藤はるみ先生:新聞製作の担当。
この演劇は、東日本大震災の一年前に演じられています。
翌年、津波に被災したということは、そこに住んでいた人たちがどこかへ避難したということです。避難したということは、そこにあったコミュニティ(地域社会の集まり。集落)が消えたということです。読んでいて気になりました。本のページをずーっとめくっていきました。
143ページに、『大沢小学校は本年度で閉校になるため、これが最後の「海よ光れ」になります』と書いてありました。せつないものがあります。2019年(令和元年)秋のことでした。演劇での津波のシーンは、心が傷つく人がいるからやらないそうです。震災の翌年からずーっと、津波のシーンはやらなかったそうです。最後の演劇でもやりませんでした。
2 もう一つの「海よ光れ」(悠太くん)
小学校の学校新聞があります。全校表現劇(演劇)と同じ名称が付いています。
『海よ光れ』です。岩手県で新聞コンクールがあるようで、毎年いい成績をあげているそうです。
2010年3月には、全国大会で、『内閣総理大臣賞』を受賞しているそうです。たいしたものです。東日本大震災の前年です。
新聞の第73号:文化祭での学習発表会に合わせた特別号。2011年のことです。地震はまだ起きていません。担当は、佐藤はるみ先生でした。当時小学生のこどもさんがいたそうです。ベテラン教師です。
フライ旗(ふらいき):大漁旗(たいりょうばた)
できあがった学校新聞を、劇が始まる前に、水産会社の人、植木屋の人に渡します。いろいろお世話になっているそうです。
全校新聞である、『海よ光れ』以外に、一年生から、個人新聞をつくっているそうです。大沢小学校は、新聞づくりに熱心です。
29ページの新聞4枚は、文字が小さいので、老眼のわたしには読めません。
レタリング:手書きの文字。
なんというか、おとなの世界だと、仕事は、利潤の追求が目的です。(お金もうけ)
学校新聞づくりは、利潤の追求ではありません。
お金のことを考えなくてすむということは、自由な発想でつくれるということです。
3 楽しかった東京(優樹菜さん)
震災直前のことです。2011年3月5日、5年生の古久保優樹菜さんが東京へ行きました。
大久保裕明校長と佐藤はるみ先生と東北新幹線に乗りました。学校新聞の表彰式に参加するためでした。
これからは、卒業する6年生のあとを継いで、今の5年生のメンバーが中心になって、学校新聞『海よ光れ』の第78号をつくります。
大津波の発生の日が近づいています。
4 大津波(奈緒さん(児童会長6年生中村奈緒さん))
東京から岩手県山田町に帰ってきた6日後に被災されたそうです。
マグニチュード9.0(とても大きい)。巨大地震の発生です。
2011年(平成23年)3月11日午後2時46分のことでした。
しばらくして、大津波警報が発令されました。
大沢小学校は、標高が高い位置に建っていたので津波はそこまで届かない位置だったそうです。土地の人たちの避難所になったそうです。
逆に海に近いところに住んでいたこどもたちは家に帰れなくなりました。親にも会えないこどももいたそうです。
高橋信之副校長が安全を呼びかけて保護者をコントロールします。その後、大久保校長も小学校に駆けつけます。
まるで、災害パニック映画のような光景が、目の前で現実に繰り広げられます。大きな津波が、海に設置されている防潮堤を超えて、人間が住む住宅地へなだれこんできます。津波火災も発生します。乗用車もトラックも津波に流されています。救急車は呼べません。携帯電話もつながりません。
足りないものとして、薬、タオル、石油ストーブ、灯油、米、食料、ラジオ、トイレットペーパーなど。
生徒は全員が無事だったそうです。
小学校への避難者は、500人ぐらい。
東北の三月ですから屋外はまだ寒い。
『自助(じじょ。ほかに共助(近隣住民)と公助(役所の援助)があります)』が始まります。
とりあえず、自分や自分たちのことは、自分や自分たちでやるのです。
沖だし:中村奈緒さんのお父さんは漁師だったので、船を守るために船を沖に出しに行ったそうです。(なんだか、津波が来る中、津波に向かっていくわけで、恐そうです(こわそうです)。実際波に飲み込まれた人もいたようです)。お父さんは無事でした。
5 目を覚ませ、大沢の子(はるみ先生(佐藤はるみ先生))
避難所になった小学校には先生たちがいました。先生たちはこどもたちのめんどうをみます。
被災の翌朝(3月12日)、朝6時半に起きて、コイの池に流れ込んでいる沢水(湧き水)で顔を洗います。顔を洗ったらランニングです。ゆっくりランニングをしながら先生はこどもたちのつらい気持ちを聞きます。
6 ぼくらにできること(海渡くん(かいとくん。6年生大川海渡さん。ふた子の兄。将来は漁師になりたい)
近所のおばさんたちがつくってくれたおにぎりとおみそ汁を飲む。
避難所は孤立状態にあったので、助けがくるのを待ちます。
女の子たちは、トイレ掃除を始めました。災害で困るのは、トイレです。水がありません。男子は、コイの池から水を運びます。
おばさんたちは、ご飯をつくります。みんなで協力します。
大川ヒメ子さんは、こどもたちがつくった『がんばろう』のポスターに心が励まされました。
大川海渡さんのお母さんのお父さんは亡くなり、お母さんのおばあさんとおじさんは行方不明だそうです。
7 肩もみ隊出動!(雅みやびさん(6年生女子 福士雅さん)
お年寄りの肩を一年生から四年生のこどもたちでもんであげます。
お年寄りから昔ばなしを聞きます。
昭和8年(1933年)に三陸津波を体験されたそうです。
福士雅さんのご自宅は浸水で住めなくなったそうです。
役場職員さん道又城さん(みちまたじょうさん)は、役場は浸水した。周囲は火の海になった。津波の翌日に大沢地区を訪れた。こどもたちがしっかり動いていたそうです。
8 支援の手(悠太くん(福士悠太さん))
震災・大津波から三日後、航空自衛隊山田分屯基地(ぶんとんきち)の自衛隊員の人たちが救助・救援に来てくれました。孤立状態の解除です。
食料不足、着替えなし、お風呂なしでした。
校長の提案で、避難所で、『朝のあいさつ』の時間が始まる。
災害で亡くなった方に黙とうをささげて、困難を乗り越えていきましょうと声をだす。
お祭りのときにこどもたちが舞うのが、『差餌鳥舞(さしとりまい)』だそうです。また、お祭りで神楽(かぐら)の踊り手を見たい。平和な日が恋しい。
全国から支援の手が届き始めます。自衛隊員、医療チーム、警察官も全国から駆けつけます。
3月17日が、小学校の登校日だった。ひさしぶりに顔をみるこどももいた。
福士悠太さんは、『ありがとう』の感謝を伝えるために、学校新聞をつくりたいと思った。
85ページまで読んできて、親世代とこども世代の意識の違いについて考えました。
親世代がこどもだったころ、水道はなかったような気がします。
なにもかもが生まれたときからそろっている現代のこどもさんにはわからない世界です。不便な生活を体験したことがある親や祖父母の世代は、物がなかった時代に生きたことがあるので、いざ災害時には力を発揮するということはあります。
昔、水道がなかったことを熊太郎が文章にしたことがあります。データを探したら出てきたので、ここに落としてみます。
『水道がない』
(1967年)昭和四十二年までのわたしの体験で、水道が自宅になかったのは、茨城県、福岡県、熊本県に住んだときでした。(父親に放浪癖があって、短気だったこともあり、仕事場で上司や同僚とケンカして仕事を辞めてばかりいたので転校を何回も体験しました。景気のいい時代だったので、どこに行っても仕事が見つかりました)
1 茨城県
小学校には水道がありました。
冬が近づいてくると先生から水道の水は少しの量を出しっぱなしにしておくようにと教えられました。
そうしないと、水道がこおってしまうということでした。
自宅がある集落には、手押し式のポンプの井戸がたくさんありました。
奥さんたちの井戸端会議という言葉はここからきたのですね。
井戸端会議という言葉も今では死語(しご)になってしまいました。
おふろは銭湯(せんとう)のような大きな共同風呂がありましたが、無料でした。
茨城県と福島県の県境に近い太平洋側のところで炭鉱でした。
炭鉱労働者用の風呂で、家族は無料でした。
2 福岡県
ここには井戸はありませんでした。
自宅の台所に水をためるコンクリート製のかめがありました。
水はどうするかというと、バケツを持って近くの山道を少し登り、湧き水が流れているので、それをくんできて、かめに貯めて使っていました。
集落の中に、小さな共同風呂がありました。
風呂当番というのがあって、毎日各世帯もちまわりで、風呂をわかす仕事を奥さんたちがしていました。
夕方4時ころから夜中まで、奥さんたちは自宅とお風呂との間を行ったり来たりしていました。
トイレは、屋外にあって共同でした。
小学校に水洗トイレができたとき、朝礼で先生からその使い方を習いました。
わたしは、学校からの帰り道にのどがかわくと、田んぼのあぜ道の横を流れている用水路の水を飲んでいました。
そんなわけで、わたしと弟は、学校のギョウチュウ検査などで、時々ひっかかりました。
3 熊本県
熊本県内で何回か引っ越しをしたので、順番に書くと、最初の場所では、集落に水道が1本だけあったことを覚えています。
集落に住んでいる人たちみんなで、その1本の水道を使用していたのではないかと思います。
その地区では、わたしは自分が毎日入浴をしていたという記憶がありません。
父親の会社の社員用の風呂に入ったという記憶が1回だけあります。
毎月、父の給料が支給されると、家族4人そろって路線バスに乗って、近くの温泉に入りにいっていたことはよく覚えています。
次に住んだところでは、山からわき出る清水(しみず)を樋(とい)を使って、台所に引き込んで使用していました。
そこは農村で、おおかたの家には、つるべ式の井戸がありましたが、わたしの家の井戸は、自宅から山道を1分ぐらい歩いたところにありました。
井戸の底には、魚が何匹かいて、その魚が死んで浮かんできたら、その水は汚染(おせん)されているからのんじゃいけないということなのかなと今は考えます。
その家にお風呂(ふろ)があったのかどうか記憶がありません。
近所の家に、何回か風呂に入りに行ったことがあります。
それらはみな五右衛門風呂(ごえもんぶろ)と呼ばれるもので、火傷(やけど)しないように、足の裏で板を踏みながら入るもので、こわかったことをおぼえています。
洗濯は、川でしていました。
近所の奥さんたちが、せんたく物とせんたく板をもって集まって、川まで行ってせんたくをしていました。
せんたくが終わるまでの間、わたしは、竹がいっぱい生えていたので、笹舟(ささぶね)をたくさんつくって川に流して遊んでいました。わたしが、小学校1年生ぐらいのときのお話です。
わたしは、小学校で習った一寸法師(いっすんぼうし)とか、桃太郎とかの話は、本当のことだろうと、その当時は思っていました。
本にはさんである学校新聞の縮小版を読んでみます。
『海よ光れ』号外となっています。発行の日付は、令和5年(2023年)です。大沢小学校は、1876年開校(昭和51年)、2020年閉校(令和2年)となっています。寄稿者は、この本にでてくる当時小学5年生、6年生だったメンバーです。みなさんおとなになっています。23歳とか24歳です。
しっかりした手書きの文章です。みなさん、がんばられました。
福士悠太さん(役場職員)、福士雅さん(ふくし・みやびさん 看護師)、古久保優樹菜さん(大学生でバスケットボールをしている)、大川海渡さん(漁師)、中村奈緒さん(航空自衛官)、武藤愛さん(実家の食料品店経営)、箱石佑太さん(職業は書いてありませんが、被災時の思い出話が書いてあります)、大川海成さん(警察官)
当時の思い出とか、コロナ禍のこと、未来は何が起きるかわからないこと、震災・津波から10年少し経って思うことなどが書いてあります。月日がたつのは早いものですが、それぞれご苦労があったとお察しします。
9 卒業式(海成くん。大川海成くん6年生)
項目はまだ9ですが、全ページを読み終えました。(読みながら感想をつぎ足しています)
最後の先生の手記を読んで、この本のつくりを観察して、本の内容は、意図的につくってある美談ではないという仕切りに好感をもちました。
生身の人間、東北弁をお互いにしゃべりながらの気持ちの交流があります。書籍化するにあたっての葛藤(かっとう。本当の本にしていいのか。書かれているおとなになっているこどもたちにマイナスの影響があるのではないか)がありました。関係者のみなさんの了解を得てできあがっている本です。
さて、項目9からの感想メモです。
各個人の話になります。
大川海成くん、6年生、ふたごの弟さんのほうです。全校表現劇、『海よ光れ!』では、鼻たれ坊主のこぞうを演じました。津波のあとは、小学校に泊まって、その後は、親戚の家でお世話になっているそうです。
6年生の卒業式は、津波の影響で、3月25日に延期になったそうです。
卒業式に出席した6年生は29人です。29人が6年生全員だそうです。少ない数ですね。
親にとってみれば、こどもというものは、生きていてくれればそれでいいのです。勉強ができなくてもいいし、運動ができなくてもいいのです。親が、小学校の先生に一番望むことは、生きて卒業させてくださいということなのです。
10 2101通の手紙(愛さん。武藤愛さん6年生)
学校新聞、『海よ光れ!』の第78号をつくる。つくるメンバーは、6年生の武藤愛さん、大川海渡くん、大川海成くん、5年生の福士悠太くんの4人です。
学校新聞が全国大会で表彰されたことがきっかけになって、全国から被災地の大川小学校のメンバーを励ます手紙が新聞社を仲介にして届きます。津波災害が発生した当初、大川小学校の児童の安否がわからなかったそうです。
2101通ものたくさんの応援手紙が届きました。
11 学校新聞 第78号 『大沢の海よ光れ!』(悠太くん。福士悠太くん。進級して6年生)
第78号の学校新聞、『海よ光れ!』が発行されました。つくっている最中の4月7日にも大きな地震があったそうです。たいへんです。
まだ、150人の人たちが小学校で避難所生活を送っているそうです。
12 新聞にこめる思い(優樹菜さん。進級して6年生。古久保優樹菜さん)
4月20日が大沢小学校の入学式です。震災後、入学式が遅れていました。新一年生は11人です。全校生徒の数は91人です。少ないです。
5月11日:学校新聞、『海よ光れ』第79号が完成しました。
お弁当給食だったのが、給食が実施されたそうです。避難所で避難している人たちがつくってくれたそうです。
こどもたちを午前中で下校させても、家でお昼の準備をできる家庭が少なかったそうです。
こどもたちはずっと、トイレ掃除とお年寄りの肩もみを続けています。
5月31日:学校新聞、『海よ光れ』第80号が発行されました。
避難所のお年寄りへの感謝があります。こどもたちのために、ぞうきんを縫ったり、畑を耕したり草取りをしてくれたりしたそうです。
13 思いがけないこと(悠太くん。福士悠太くん。6年生)
学校新聞は、第81号、第82号と発行を重ねていきました。
三陸鉄道の、『陸中山田駅』のことが書いてあります。
先日、NHK土曜夜の番組、『プロジェクトX(エックス)』で、被災当時のことが放送されていました。三陸鉄道の沿線では津波で線路や駅や橋脚が流されて、一時は廃線しかないという状況もあったそうですが、みなさん努力されて、三陸鉄道を奇跡が起こるように復活させておられます。人間の力って、すごいなあと思いました。
全校表現劇、『海よ光れ』は、23年間続いてきた大沢小学校の伝統行事でしたが、震災の年の上演はありませんでした。中止です。運動会もなし。大沢虎舞(おおさわとらまい)もありませんでした。
学校新聞、『海よ光れ』第85号が発行されました。
大沢の町が少しずつ復興に向かっていることがわかります。
町の復興ベスト5です。
1位 店が再開した。(お買い物ができます) 2位 ガレキが片付けられた。(町がきれいになりました) 3位 漁船が増えた。(大沢は、漁業の町なのでしょう) 4位 仮設や建物が建ってきた。(新たな市街地の形成です) 5位 道路が直った。(道路は、人間の血管のようなものです。物流が回復します)
小学校の復興ベスト5です。
1位 校庭が使えるようになった。(校庭が使えない小学校はつらい。遊び場がありません) 2位 学校が避難所ではなくなった。(避難者がちゃんと住むところができたということです) 3位 図書館が利用できるようになった。(本読みは、心の支えのために大切です) 4位 (支援)物資がなくなった。(支援の手が少なくなったということはいいことなのです。自活できるようになった) 5位 転校してきた子どもたちが戻ってきた。(同じ土地で育った仲間です)
2012年(平成24年)1月31日発行の、『海よ光れ』第88号
来年度児童会執行部選挙特集だった。
福士悠太くんたち6年生は、3月で小学校を卒業します。
時間の流れは早いものです。
佐藤はるみ先生が、学校新聞、『海よ光れ』が、全国新聞コンクールで、内閣総理大臣賞を受賞したことを教えてくれます。
2月21日、6年生だけで、『海よ光れ』の劇を披露しました。
あきらめていた修学旅行にも行けました。
盛岡市での福祉大会で、『大沢虎舞』を披露できました。
『終わりに』
2019年秋(令和元年)に筆者の田沢五月さんが、多田敢校長(ただ・つよしこうちょう)に話をして、全校表現劇、『海よ光れ』を観劇されたそうです。
大沢小学校は、その年の年度で閉校になったそうです。大沢小学校の143年の歴史が閉じました。
学校新聞、『海よ光れ』は、新聞委員会でつくっているそうです。委員会の6年生のメンバーが、三上乃愛(みかみ・のあ)さん始め5人だったそうです。震災のときは、3歳だったそうです。
最後の新聞:『海よ光れ』第175号です。コロナ禍が始まる頃でもありました。
2023年(令和5年):出版記念号外、『海よ光れ』発行。23歳、24歳になった昔のメンバーが、号外を発行しました。みなさん故郷や社会に貢献されています。町役場職員、警察官、看護師、漁師、町の商店経営、航空自衛官、みなさん、しっかり地に足を付けて生活されています。学校新聞、『海よ光れ』をつくった体験が、その後の人生に生かされていると、本を読み終えて考えました。
とかく、いい話として本をつくりがちですが、現実の現場では、ドラマや映画、テレビの放送のように事実や映像を加工することはできないし、加工する必要もありません。
災害を利用して利潤の追求をする悪意の人や組織もいます。
本の内容は、現実的な内容で、飾らない出来事の記述が良かったと思います。また、筆者自身も故郷が山田町のお隣だそうで、実感のこもったレポートでした。取材を申し込んでも、まだ津波の話はしたくないという人の存在もリアルでした。身内や親族を失うような、よほど悲しい思いを体験されたのでしょう。
2024年05月03日
東野・岡村の旅猿25 函館でイカ食べまくりの旅
東野・岡村の旅猿25 函館でイカ食べまくりの旅 TVer(ティーバー)とかHulu(フールー)とか。
ゲストは、ずん飯尾和樹さんです。
ずん飯尾さんは先日出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?に出ていたし、その後、動画配信サービスの邦画、『沈黙のパレード』で、娘が殺害された父親役で好演技を観ました。今回は、北海道ロケです。
イカの産地と言えば、北海道函館と佐賀県呼子(よぶこ)です。佐賀県は以前旅猿で行ったことがあるので、たしかイカの料理も食べていましたから、今回は函館なのでしょう。函館は雪景色です。3月上旬でまだ寒いそうです。
函館には行ったことがありません。映像を観ながら自分も行ったつもりで楽しみます。
函館空港から始まって、スタッフは雪のため前日に東京から新幹線で4時間半かけて函館入りしたそうです。(悪天候がらみの飛行機の都合のようです)でも、4時間半で行けるなら遠くはありません。
撮影用の専門用語が出てきます。
『車両で行きます』演者が車で移動するということでしょう。旅猿では演者がレンタカーを運転することが多いのですが、『車両』というときは、演者は同乗するだけで運転はしません。
もうひとつの言葉が、『前乗りする』。これは、ロケのために前日からホテルに泊まるという意味だろうととらえています。前乗りは楽だけれど、早朝からのロケになるのはイヤだみたいな話が出ていました。
さて、おいしいイカ料理が続きます。
『活イカ踊り丼(かついかおどりどんぶり)』。醤油をかけると、イカが動きます。まだ生きているようです。
食事のあとは、市場の釣り堀でイカを釣るというか、イカに針をひっかけてもちあげるようにしてイカを釣り上げて、その場で刺身にしてもらいます。秒殺でイカが釣れます。
次回は、『青空クッキング』をするそうです。
(つづく)
なにせイカざんまいです。イカを料理して食べる映像が続きます。
ひたすらイカを食べます。
ほかに、カニ、シャケ、ホッケなどの映像も見えます。
GLAY(グレイ)というロックバンドを自分は知らないので実感がないのですが(共働きの子育てを必死でしていた何十年間かは仕事と子育てに専念していて、社会から隔離されていたような状態でした)、GLAYは函館出身の人たちで、旅猿メンバーは、シエスタハコダテという建物の中にある記念館のようなところを訪れます。レリーフ(彫刻風の像)の前で記念写真を撮って、からくり時計を見学しました。
防寒具を購入して、郷土料理のお母さんたちから、イカを材料にした郷土料理を教わります。
屋外での撮影です。お母さんの語り口がおもしろい。
青空キッチンですが、お母さんが、外で料理風景を撮影するのは初めてだと言います。(スタッフの依頼だからという言葉がそのあともいろいろ出てきます。ふつうのパターンじゃない撮影だったようです)
イカが泣いている。(じっさいキュキュとイカが音を出していました)
わたしもこどものころ、漁村の近くで暮らしたことがあるのですが、お母さんがイカをさばく映像を見て、ああ、そのシーンを実際に見たことがあると思い出しました。
みなさん、イカの皮むきがじょうずです。岡村隆史さんが料理じょうずです。
刺身にしない部分は煮つけにします。
スルメイカ焼きを海辺の岩場で、そのへんにあった大きな石を雪でふいたところに置いて、金づちでたたいて食べます。郷土料理です。
イカ飯(めし)もつくります。イカの体にもち米を入れて煮込みます。麺つゆ(めんつゆ)、砂糖、みりんを入れます。1時間煮込むそうですが、ディレクターの指示で、すでにできあがったものと差し替えます。
雪が降ってきました。寒そうです。みんな早く撮影を終わりたい様子が伝わってきました。
次週は、塩辛づくりを放送するそうです。楽しみです。
(次の放送回)
なんというか、ずん飯尾さんの発言にあるとおり、イカをテーマにして、短時間にあちこち動き回って、イカ、イカ、イカを食べる内容で、飯尾さんいわく、『詰め込み過ぎ』です。
もうイカ、いいんじゃないという声が聞こえました。飯尾さんが、『オレ、夜、ハンバーグ食べたい』と言います。(でも、イカ料理が待っています)
イカの塩辛製造工場をたずねて、仕上げの作業を体験する三人です。
おいしくな~れ、おいしくな~れといいながら、たるの中にある大量のイカの塩辛に、棒を突っ込みながら、空気を送る作業をします。(おいしくな~れは、俳優である藤岡弘さんの決めゼリフだそうです)
イカの塩辛のアヒージョ:オリーブオイルとにんにくで食材を煮てある。
日本酒がおいしいそうです。
函館なので、外は雪が積もっています。
イカようかんとか、イカチョコレートとかがあるお店へ移動します。
函館市内をあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり、たいへんです。
イカのてんぷら、イカのから揚げ料理を自分たちでつくるそうです。
キッチン付きのお宿に到着しました。
次週の放送が、今回の旅の最終回だそうです。
ああ、なんと忙しい詰め込みの内容でしょうか。
(次が、今回の旅の最終回の放送です)
最終回を観ました。なんというか、最後まで、イカざんまいでした。すごいなあ。
ずん飯尾さんがつくったのが、コロッケ(イカの塩辛のせ。同時に食べると味はよくなかったので、別々に食べたほうがいいそうです)、イカのてんぷら、ゲソのから揚げで、岡村隆史さんがつくったのが、イカのお寿司(うまくいきませんでした)、それから東野さんが、メッセンジャー黒田さんに教えてもらったイカ焼きそば(これはうまかった)をつくりました。
岡村隆史さんのイカ寿司は、プラスチックケースにごはんを詰めて握りずしの貫(かん)を型どってつくり、なんと味塩をふりかけて、イカの刺身をのせて、チューブからしょうがをのせました。。おいしくないのも無理ありません。岡村さんが、寿司が、四角いなあと嘆いていました。
イカ寿司についてのまずそうなコメントが良かった。食レポ番組で芸能人が、『おいしーー』と笑顔をつくるシーンは、もう見飽きました。
イカのてんぷらはうまかったそうです。ゲソのから揚げは、拍手が出るほど良かったそうです。居酒屋だと硬いイカのてんぷらが出るけれど、ずん飯尾さんがつくったものは、やわらかくて味も良かったそうです。
スタッフから、函館山からの夜景をこれから見にいきませんかと提案がありましたが、三人ともイヤそうな顔をしてぽしゃりました。見ていたわたしも同感です。おいしいものを食べたからもう横になりたいでしょう。夜景は、映像で見るだけで行った気分になって、きれいだねーーでいいです。メンバーもわたしも、もう若い時のような元気はありません。
岡村隆史さんが、『夜景は、別班(べっぱん)で(行ってください)』と言いました。ドラマ、『VIVANT(ヴィヴァン)』にひっかけてあります。VIVANTの意味合いは、『別班』です。秘密の組織、グループのことです。
北島三郎さんがらみの『坂』の紹介がありました。絶景で、坂の上から港や海が見えました。地上は雪景色でしたが、お天気は晴れているようすでした。北島三郎さんが通っていた高校の通学路だそうです。
撮影最後の食事は、イカのパスタでした。ナポリタン(イカ墨入りとイカ墨なしの2種類)、ずん飯尾さんは、『イカ薫る(かおる)しょうゆラーメン』でした。ラーメンがおいしそうに見えました。
びっしりイカがらみのロケでした。
東野幸治さんが言うとおり、大成功で良かった。
まあ、観終えて、当分は、三人ともイカは食べなくていいなあというご気分だったでしょう。
次回は、ランジャタイをゲストに迎えて、富山だそうです。元旦に能登半島地震が起きたところですが、さて、どうなりますか。
ゲストは、ずん飯尾和樹さんです。
ずん飯尾さんは先日出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?に出ていたし、その後、動画配信サービスの邦画、『沈黙のパレード』で、娘が殺害された父親役で好演技を観ました。今回は、北海道ロケです。
イカの産地と言えば、北海道函館と佐賀県呼子(よぶこ)です。佐賀県は以前旅猿で行ったことがあるので、たしかイカの料理も食べていましたから、今回は函館なのでしょう。函館は雪景色です。3月上旬でまだ寒いそうです。
函館には行ったことがありません。映像を観ながら自分も行ったつもりで楽しみます。
函館空港から始まって、スタッフは雪のため前日に東京から新幹線で4時間半かけて函館入りしたそうです。(悪天候がらみの飛行機の都合のようです)でも、4時間半で行けるなら遠くはありません。
撮影用の専門用語が出てきます。
『車両で行きます』演者が車で移動するということでしょう。旅猿では演者がレンタカーを運転することが多いのですが、『車両』というときは、演者は同乗するだけで運転はしません。
もうひとつの言葉が、『前乗りする』。これは、ロケのために前日からホテルに泊まるという意味だろうととらえています。前乗りは楽だけれど、早朝からのロケになるのはイヤだみたいな話が出ていました。
さて、おいしいイカ料理が続きます。
『活イカ踊り丼(かついかおどりどんぶり)』。醤油をかけると、イカが動きます。まだ生きているようです。
食事のあとは、市場の釣り堀でイカを釣るというか、イカに針をひっかけてもちあげるようにしてイカを釣り上げて、その場で刺身にしてもらいます。秒殺でイカが釣れます。
次回は、『青空クッキング』をするそうです。
(つづく)
なにせイカざんまいです。イカを料理して食べる映像が続きます。
ひたすらイカを食べます。
ほかに、カニ、シャケ、ホッケなどの映像も見えます。
GLAY(グレイ)というロックバンドを自分は知らないので実感がないのですが(共働きの子育てを必死でしていた何十年間かは仕事と子育てに専念していて、社会から隔離されていたような状態でした)、GLAYは函館出身の人たちで、旅猿メンバーは、シエスタハコダテという建物の中にある記念館のようなところを訪れます。レリーフ(彫刻風の像)の前で記念写真を撮って、からくり時計を見学しました。
防寒具を購入して、郷土料理のお母さんたちから、イカを材料にした郷土料理を教わります。
屋外での撮影です。お母さんの語り口がおもしろい。
青空キッチンですが、お母さんが、外で料理風景を撮影するのは初めてだと言います。(スタッフの依頼だからという言葉がそのあともいろいろ出てきます。ふつうのパターンじゃない撮影だったようです)
イカが泣いている。(じっさいキュキュとイカが音を出していました)
わたしもこどものころ、漁村の近くで暮らしたことがあるのですが、お母さんがイカをさばく映像を見て、ああ、そのシーンを実際に見たことがあると思い出しました。
みなさん、イカの皮むきがじょうずです。岡村隆史さんが料理じょうずです。
刺身にしない部分は煮つけにします。
スルメイカ焼きを海辺の岩場で、そのへんにあった大きな石を雪でふいたところに置いて、金づちでたたいて食べます。郷土料理です。
イカ飯(めし)もつくります。イカの体にもち米を入れて煮込みます。麺つゆ(めんつゆ)、砂糖、みりんを入れます。1時間煮込むそうですが、ディレクターの指示で、すでにできあがったものと差し替えます。
雪が降ってきました。寒そうです。みんな早く撮影を終わりたい様子が伝わってきました。
次週は、塩辛づくりを放送するそうです。楽しみです。
(次の放送回)
なんというか、ずん飯尾さんの発言にあるとおり、イカをテーマにして、短時間にあちこち動き回って、イカ、イカ、イカを食べる内容で、飯尾さんいわく、『詰め込み過ぎ』です。
もうイカ、いいんじゃないという声が聞こえました。飯尾さんが、『オレ、夜、ハンバーグ食べたい』と言います。(でも、イカ料理が待っています)
イカの塩辛製造工場をたずねて、仕上げの作業を体験する三人です。
おいしくな~れ、おいしくな~れといいながら、たるの中にある大量のイカの塩辛に、棒を突っ込みながら、空気を送る作業をします。(おいしくな~れは、俳優である藤岡弘さんの決めゼリフだそうです)
イカの塩辛のアヒージョ:オリーブオイルとにんにくで食材を煮てある。
日本酒がおいしいそうです。
函館なので、外は雪が積もっています。
イカようかんとか、イカチョコレートとかがあるお店へ移動します。
函館市内をあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり、たいへんです。
イカのてんぷら、イカのから揚げ料理を自分たちでつくるそうです。
キッチン付きのお宿に到着しました。
次週の放送が、今回の旅の最終回だそうです。
ああ、なんと忙しい詰め込みの内容でしょうか。
(次が、今回の旅の最終回の放送です)
最終回を観ました。なんというか、最後まで、イカざんまいでした。すごいなあ。
ずん飯尾さんがつくったのが、コロッケ(イカの塩辛のせ。同時に食べると味はよくなかったので、別々に食べたほうがいいそうです)、イカのてんぷら、ゲソのから揚げで、岡村隆史さんがつくったのが、イカのお寿司(うまくいきませんでした)、それから東野さんが、メッセンジャー黒田さんに教えてもらったイカ焼きそば(これはうまかった)をつくりました。
岡村隆史さんのイカ寿司は、プラスチックケースにごはんを詰めて握りずしの貫(かん)を型どってつくり、なんと味塩をふりかけて、イカの刺身をのせて、チューブからしょうがをのせました。。おいしくないのも無理ありません。岡村さんが、寿司が、四角いなあと嘆いていました。
イカ寿司についてのまずそうなコメントが良かった。食レポ番組で芸能人が、『おいしーー』と笑顔をつくるシーンは、もう見飽きました。
イカのてんぷらはうまかったそうです。ゲソのから揚げは、拍手が出るほど良かったそうです。居酒屋だと硬いイカのてんぷらが出るけれど、ずん飯尾さんがつくったものは、やわらかくて味も良かったそうです。
スタッフから、函館山からの夜景をこれから見にいきませんかと提案がありましたが、三人ともイヤそうな顔をしてぽしゃりました。見ていたわたしも同感です。おいしいものを食べたからもう横になりたいでしょう。夜景は、映像で見るだけで行った気分になって、きれいだねーーでいいです。メンバーもわたしも、もう若い時のような元気はありません。
岡村隆史さんが、『夜景は、別班(べっぱん)で(行ってください)』と言いました。ドラマ、『VIVANT(ヴィヴァン)』にひっかけてあります。VIVANTの意味合いは、『別班』です。秘密の組織、グループのことです。
北島三郎さんがらみの『坂』の紹介がありました。絶景で、坂の上から港や海が見えました。地上は雪景色でしたが、お天気は晴れているようすでした。北島三郎さんが通っていた高校の通学路だそうです。
撮影最後の食事は、イカのパスタでした。ナポリタン(イカ墨入りとイカ墨なしの2種類)、ずん飯尾さんは、『イカ薫る(かおる)しょうゆラーメン』でした。ラーメンがおいしそうに見えました。
びっしりイカがらみのロケでした。
東野幸治さんが言うとおり、大成功で良かった。
まあ、観終えて、当分は、三人ともイカは食べなくていいなあというご気分だったでしょう。
次回は、ランジャタイをゲストに迎えて、富山だそうです。元旦に能登半島地震が起きたところですが、さて、どうなりますか。