2025年04月22日
対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~ TBS火曜ドラマ
対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~ TBS火曜ドラマ 22:00~22:57 動画配信サービス
原作:『対岸の家事 朱野帰子(あけの・かえるこ) 講談社』
第3話:"肩代わり"で問題解決…??
俳優:
多部未華子(専業主婦。村上詩穂。娘が、苺(いちご)2歳半ぐらいに見えます)
一ノ瀬ワタル(村上虎朗むらかみ・とらお 多部未華子さんのだんなさん役。かなり優しい性格です)
江口のりこ(長野礼子。こどもふたりを保育園に預けて働いている。だんなの長野量平(川西賢志郎)は仕事で多忙なようす。実質ひとりで子育てと家庭のきりもり(物事をとりさばく)をしているように見えます。息子が、篤正(あつまさ。4歳か5歳ぐらいに見えます)で、娘が、星香(ほしか。まだ1歳半ぐらいに見えます)
ディーン・フジオカ(中谷達也。妻はアラブ首長国連邦都市型国家であるドバイで働くキャリアウーマン。中谷達也本人は、厚生労働省の職員)。中谷達也は、2年間の育児休業中です。娘は1歳ぐらいの佳恋(かれん)です。
今回のお話では、なかなか重たい項目がいくつか提示されました。
じっさいに、働くことと、子育てを両立させようとすると、心がゆがむような苦痛を味わうことになります。
・こどもが急病になったときに、急遽(きゅうきょ)休むことになった社員の仕事を肩代わりした社員に、『肩代わり手当』という調整手当が支給されます。
大企業でないとできない制度でしょう。
ただし、ドラマにもあるように、頼まれるほうはいつも同じ人で、頼まれた人は、自分の予定がくずれるのです。(ドラマでは、若い男性社員の愛犬が病気で死にそうになっているときに、「肩代わり手当」での代替仕事の依頼があり、同社員はやむなく受け入れています。彼は泣きます。彼にとって、愛犬は家族なのです)
・こどもが急病になったときに、どうしても仕事を休むことができなくて、お隣の専業主婦に病気のこどもや、病気ではないが、ふたりいるうちのもうひとりのこどもを預かってもらう(母親は、病気のこどもを病院に連れて行く)。そういうことがたびたび重なって、隣人づきあいがおかしくなっていく。さらに、預けるほうが、こどもの預かり賃を専業主婦に渡すという厳しい話になっていく。(劇中にもありますが、こどもの預かり賃というお金を受け取ると、預かるほうに、『責任』が発生します。預かるにあたってお金が動くなら、『契約書』をつくっておかないと、事件や事故があったときに相当にもめます。ドラマでは、おたふくかぜの間のこどもの預かり賃が、8万円でした。1日1万円プラスアルファということだろうか。「ベビー預かります」の商売になってしまいます。命を預かるのは、責任が重い。じっさいドラマでも、預かったこどもがふざけてお菓子を鼻の穴に入れてとれなくなって病院行きになりました。
・いまどきは核家族ですから、昔のように、祖父母や兄弟姉妹の協力を得ることもむずかしいのでしょう。
絵本にまつわるたとえ話があったのですが、わたしにはその内容が、きちんと伝わってきませんでした。
海面に、雨が降っている。そこに船がいなければ、雨が降っていることはわからない。
江口のりこさん演じる母親が、『雨』で、専業主婦の多部未華子さんが、『船』で、雨を見つけた船は、雨を見て、知らん顔はできないというような趣旨だったと思います。
ディーン・フジオカさんが演じる父親が、子育てに関して、けっこう厳しいことを言われますが、本音が含まれています。相手の心を傷つけるような、言いにくいことを、ズバズバ言われるので、そのようすを見て、共感される視聴者もいるとは思います。筋は通っています。
なんというか、こどもが病気になったときは、夫か妻か、どっちかが、仕事を休むしかないのです。
わたしも共働きの子育てをしたので、そのときの苦しい気持ちがよくわかります。40年ぐらい前は、日本では、専業主婦が多かった時代です。仕事場の先輩から、『嫁さんはなにをやっているんだ!』と怒鳴られたこともあります。こどもを病院に連れて行ったときに、男性の年配医師から同様のことを言われたことがあります。『奥さんは何をやっているんですか!』
そんな体験を何度か繰り返した時に、気づいたことがありました。
こどもの病気で何日か休んで、仕事場に迷惑をかけて、出勤した朝に、まわりの人たちにぺこぺこ頭を下げてまわっておわびして、30分もたつと、そんなことはなかったというような雰囲気になるのです。
仕事場では、いつまでもそんなことには、こだわってはいられないのです。目の前にある仕事を各自が処理していかなければならないのです。
気にしなくていい。こどもの病気で仕事を休んでまわりに迷惑をかけることについて、くよくよ悩んでこだわる必要はないのです。メンバーがそろえば、まず仕事に取り組む勢いにのるのです。
原作:『対岸の家事 朱野帰子(あけの・かえるこ) 講談社』
第3話:"肩代わり"で問題解決…??
俳優:
多部未華子(専業主婦。村上詩穂。娘が、苺(いちご)2歳半ぐらいに見えます)
一ノ瀬ワタル(村上虎朗むらかみ・とらお 多部未華子さんのだんなさん役。かなり優しい性格です)
江口のりこ(長野礼子。こどもふたりを保育園に預けて働いている。だんなの長野量平(川西賢志郎)は仕事で多忙なようす。実質ひとりで子育てと家庭のきりもり(物事をとりさばく)をしているように見えます。息子が、篤正(あつまさ。4歳か5歳ぐらいに見えます)で、娘が、星香(ほしか。まだ1歳半ぐらいに見えます)
ディーン・フジオカ(中谷達也。妻はアラブ首長国連邦都市型国家であるドバイで働くキャリアウーマン。中谷達也本人は、厚生労働省の職員)。中谷達也は、2年間の育児休業中です。娘は1歳ぐらいの佳恋(かれん)です。
今回のお話では、なかなか重たい項目がいくつか提示されました。
じっさいに、働くことと、子育てを両立させようとすると、心がゆがむような苦痛を味わうことになります。
・こどもが急病になったときに、急遽(きゅうきょ)休むことになった社員の仕事を肩代わりした社員に、『肩代わり手当』という調整手当が支給されます。
大企業でないとできない制度でしょう。
ただし、ドラマにもあるように、頼まれるほうはいつも同じ人で、頼まれた人は、自分の予定がくずれるのです。(ドラマでは、若い男性社員の愛犬が病気で死にそうになっているときに、「肩代わり手当」での代替仕事の依頼があり、同社員はやむなく受け入れています。彼は泣きます。彼にとって、愛犬は家族なのです)
・こどもが急病になったときに、どうしても仕事を休むことができなくて、お隣の専業主婦に病気のこどもや、病気ではないが、ふたりいるうちのもうひとりのこどもを預かってもらう(母親は、病気のこどもを病院に連れて行く)。そういうことがたびたび重なって、隣人づきあいがおかしくなっていく。さらに、預けるほうが、こどもの預かり賃を専業主婦に渡すという厳しい話になっていく。(劇中にもありますが、こどもの預かり賃というお金を受け取ると、預かるほうに、『責任』が発生します。預かるにあたってお金が動くなら、『契約書』をつくっておかないと、事件や事故があったときに相当にもめます。ドラマでは、おたふくかぜの間のこどもの預かり賃が、8万円でした。1日1万円プラスアルファということだろうか。「ベビー預かります」の商売になってしまいます。命を預かるのは、責任が重い。じっさいドラマでも、預かったこどもがふざけてお菓子を鼻の穴に入れてとれなくなって病院行きになりました。
・いまどきは核家族ですから、昔のように、祖父母や兄弟姉妹の協力を得ることもむずかしいのでしょう。
絵本にまつわるたとえ話があったのですが、わたしにはその内容が、きちんと伝わってきませんでした。
海面に、雨が降っている。そこに船がいなければ、雨が降っていることはわからない。
江口のりこさん演じる母親が、『雨』で、専業主婦の多部未華子さんが、『船』で、雨を見つけた船は、雨を見て、知らん顔はできないというような趣旨だったと思います。
ディーン・フジオカさんが演じる父親が、子育てに関して、けっこう厳しいことを言われますが、本音が含まれています。相手の心を傷つけるような、言いにくいことを、ズバズバ言われるので、そのようすを見て、共感される視聴者もいるとは思います。筋は通っています。
なんというか、こどもが病気になったときは、夫か妻か、どっちかが、仕事を休むしかないのです。
わたしも共働きの子育てをしたので、そのときの苦しい気持ちがよくわかります。40年ぐらい前は、日本では、専業主婦が多かった時代です。仕事場の先輩から、『嫁さんはなにをやっているんだ!』と怒鳴られたこともあります。こどもを病院に連れて行ったときに、男性の年配医師から同様のことを言われたことがあります。『奥さんは何をやっているんですか!』
そんな体験を何度か繰り返した時に、気づいたことがありました。
こどもの病気で何日か休んで、仕事場に迷惑をかけて、出勤した朝に、まわりの人たちにぺこぺこ頭を下げてまわっておわびして、30分もたつと、そんなことはなかったというような雰囲気になるのです。
仕事場では、いつまでもそんなことには、こだわってはいられないのです。目の前にある仕事を各自が処理していかなければならないのです。
気にしなくていい。こどもの病気で仕事を休んでまわりに迷惑をかけることについて、くよくよ悩んでこだわる必要はないのです。メンバーがそろえば、まず仕事に取り組む勢いにのるのです。
2025年04月21日
しあわせは食べて寝て待て NHKドラマ10 火曜日夜10時
しあわせは食べて寝て待て NHKドラマ10 火曜日夜10時のドラマ
原作漫画:しあわせは食べて寝て待て 全5巻 水凪トリ(みずなぎ・とり) 秋田書店
俳優:
桜井ユキ:麦巻さとこ。膠原病患者(こうげんびょう。映像では、『シェーグレン症候群』という病名が見えました。自己免疫疾患。体がだるい。微熱。関節がはれる、痛む)。
現在は、週4日デザイン事務所でパート。独身38歳。病気(膠原病)で大企業を退職して小さなデザイン事務所に前会社の社員(たぶん上司)の紹介(コネ。バンド仲間)で転職した。
ひとり暮らし。家賃が更新で高くなる賃貸マンションから、家賃が安い公団団地に引っ越した。
加賀まりこ:美山鈴(みやま・すず)。団地で、麦巻さとこの隣人。90歳高齢者。彼女の同居人として、薬膳に詳しい若い男が居候している。そのふたりの関係は他人
宮沢氷魚(みやざわ・ひお):羽白司(はねしろ・つかさ)。薬膳に詳しい若い男。加賀まりこ宅の同居人
以下が、第1話、第2話、第3話を観ての感想メモです。
風変わりなドラマです。
静かです。
団地の話ですが、昨秋NHKBSで流れたドラマ、『団地のふたり(小林聡美さんと小泉今日子さん)』のようなにぎやかしさはありません。
淡々と時間が流れていきます。おだやかな流れです。
されど、気持ちが落ち着く内容のドラマです。
素材は、薬膳です。薬膳の研修映像のようでもあります。
薬膳(やくぜん):健康を維持するための食事
ドラマに出てきた食事や食材です。
ダイコンを丸切りにうすく切って生のままかじる。(頭痛にきくそうです)
スープ(タマネギ、ニラ、アサリ、セロリ、三つ葉。おみそ。春を意識しての食材だそうです)
あんず(咳を止める)
そら豆ごはん
トウモロコシ、トウモロコシのヒゲ(トウモロコシは団地の住人(お年寄り)からのもらいもの)
すき焼き(90歳の高齢者美山鈴がもつ株主優待がらみ。年2回のすき焼きパーティ)
梅シロップ(梅ジュース)
少量の食事です。(わたしだと足りません)
やたら歴史に明るいデザイン事務所の若手女性社員がおられます。
奥山葵(おくやま・あおい):巴沢千春(ともえざわ・ちはる)の役
戦国武将の石田三成とニラ雑炊(ぞうすい)に関する語りがありました。
田畑智子:ギンナン社(出版社)の編集者 青葉乙女(あおば・おとめ)の役
麦巻さとこの上司です。いい人です。
福士誠司:唐デザイン事務所(からデザイン事務所)経営者唐圭一郎(から・けいいちろう)の役
主人公女子の麦巻さとこがつぶやきます。
『ずっと曇りで時々雨が降るような人生(を自分はおくっている)』
トウモロコシは消化器にいい。
生活費が少ない。
何のために生きているんだろう。
でも、薬膳を知ってから、食べるという毎日の楽しみができた。食事で、幸せな日々を送る。
優しい雰囲気の音楽が流れ続けます。
途中、主人公である麦巻さとこが、前の職場でいじめのようなしうちを受けた回想シーンが流れます。かわいそうではありますが、ありがちないやがらせです。
職場で一番きらわれる人は、仕事をしない人です。
仕事をしなかった人の仕事は、ほかの人に回ってきます。
しかたがないので、頼まれた人は、仕事をしなかった人の仕事をしますが、その労働は、給料には反映されません。当然、頼まれた人は不快になります。
だから、自分に割り当てられた仕事量は、なにがなんでも自分で仕上げなければなりません。
だけど、今回のように、病気になってしまって仕事ができなくなることもあります。麦巻さとこは、同僚女子から、退職に追い込まれるようないやがらせをされます。ひどい同僚です。明日は我が身ということもあります。だれにでも病気は突然襲ってきます。
(たまたまですが、同時間帯に別のテレビ局で放送されているドラマ、『対岸の家事』でも、似たようなパターンで、こどもが急病で仕事を休む子育てママの仕事を代わりにする同僚である若い男子職員に、『(休む社員が担当する仕事の)肩代わり手当』なる調整手当が支給されるということが放送されていました)
こちらのドラマに出てくる人たちは、表舞台でバリバリやる人たちではなくて、表舞台に出ることができなくて、脱落するような感じで、脱落したあとにある世界で、コツコツと、しみじみと生きていくことを決心とか選択をされた人たちだと観察しました。
世の中は競争社会で、会社や組織の上層部は、ランク付けが大好きです。人や組織を分類して、順位付けをして楽しんでいるように見えます。順位の上位者を讃え(たたえ。ほめる)、そうでないものを見下します。(みくだします)
こちらのドラマの趣旨(メッセージ)は、競争をやめて、自分にあった生活を送ろう。自分の時間を大事に楽しもう。あるいは、人生を(薬膳のように静かに落ち着いて)味わおうというものだと理解しました。
自分をいびっていじめて退職に追い込んだ女子会社員元同僚に対する主人公麦巻さとこのビシッとした意見がありました。
同じ職場だったときの友人が麦巻さとこを訪ねてきて、いじわるをした元同僚の女子社員がそのときのことを麦巻さとこに謝罪したいと言っていると伝えます。
麦巻さとこ:『(相手にそのときのことを)謝られたくない。(あやまられたくない)』、『あやまられると、自分は相手を許すことになる(けして、許したくない)』(それでいい)
お粥(おかゆ)の話、職場旅行(4人しかいない職場ですけど)で、栃木県と福島県の県境近くにある那須塩原の温泉に行った話が出ます。
話の中身は高尚(こうしょう。上品で、内容が濃い。質が高い)です。
源頼朝が起源の、『(那須野)巻狩鍋(まきかりなべ)』、かぼちゃの収穫時期の話(夏に収穫して秋に食べる)、デザイン事務所のボスが、学生時代にバンド活動をしていた話、そんな話を聞きながら、自分が思ったことです。
『ああしよう、こうしようと思わないで、自然な流れにのって、行きつくところへ流れていく。そんな生き方もある』
ボスの話として、『(健康管理として)自分で調節する(仕事の量とか、自分の体調とか)』、ムリをしない、無欲をベース(生活していくときの基礎)にする。
まあ、不思議な雰囲気のただよう柔らかい内容のドラマです。ユニークです。(なかなかないパターンのドラマということです)
主人公の母親役で、朝加真由美さん(あさか・まゆみさん)が出ておられます。歳を重ねられました。
自分がまだこどもだったころに、萩本欽一さんと家族の歌番組で司会のアシスタントをされていたことを覚えています。すっかり風貌が変わられました。同じく、わたし自身も歳をとってしまいました。若い頃の顔かたちを知っている人と道ですれ違ってもお互いにわからないであろう年齢にまで達してしまいました。調べました。『オールスター家族対抗歌合戦』という番組でした。1972年(昭和47年)~
ドラマを見ていてよくわからないのが、団地の部屋の所有関係、賃貸関係です。
どうも、分譲マンションのように、ひとりの人がふた部屋を所有していて、まず自分が住む部屋があって、もうひとつ賃貸に出している部屋があるようです。不思議です。だから、加賀まりこさんの部屋に他人である宮沢氷魚さん(みやざわ・ひおさん)が住んでいてもかまわないのです。賃貸借契約だったら、契約者ではない他人を住まわせてはいけない契約になっていると思います。(家主は、その他人に貸しているわけではないという理屈)
調べました。分譲方式、そういう形態があるようです。以前のURの組織の時にOKだったようです。
ときおり、公団住宅の4階とか5階あたりのベランダから、まわりをながめるような風景が映像に出てきます。
わたしも、二十代のときに単身者も入れる公団住宅の部屋を借りてひとりで住んでいたことがあるのでなつかしさにひたりました。エレベーターのない4階に住んでいました。
当時わたしが住んでいた公団住宅の建物群はすでに取り壊されて、現在はもっと立派な公団住宅の建物群に建て替えられています。
当時は、ひとつの階段の両側に部屋があって、間取りは2K(4畳半と6畳にキッチン)、おふろと水洗トイレが付いていました。お家賃は、3万4000円ぐらいだった記憶です。
原作漫画:しあわせは食べて寝て待て 全5巻 水凪トリ(みずなぎ・とり) 秋田書店
俳優:
桜井ユキ:麦巻さとこ。膠原病患者(こうげんびょう。映像では、『シェーグレン症候群』という病名が見えました。自己免疫疾患。体がだるい。微熱。関節がはれる、痛む)。
現在は、週4日デザイン事務所でパート。独身38歳。病気(膠原病)で大企業を退職して小さなデザイン事務所に前会社の社員(たぶん上司)の紹介(コネ。バンド仲間)で転職した。
ひとり暮らし。家賃が更新で高くなる賃貸マンションから、家賃が安い公団団地に引っ越した。
加賀まりこ:美山鈴(みやま・すず)。団地で、麦巻さとこの隣人。90歳高齢者。彼女の同居人として、薬膳に詳しい若い男が居候している。そのふたりの関係は他人
宮沢氷魚(みやざわ・ひお):羽白司(はねしろ・つかさ)。薬膳に詳しい若い男。加賀まりこ宅の同居人
以下が、第1話、第2話、第3話を観ての感想メモです。
風変わりなドラマです。
静かです。
団地の話ですが、昨秋NHKBSで流れたドラマ、『団地のふたり(小林聡美さんと小泉今日子さん)』のようなにぎやかしさはありません。
淡々と時間が流れていきます。おだやかな流れです。
されど、気持ちが落ち着く内容のドラマです。
素材は、薬膳です。薬膳の研修映像のようでもあります。
薬膳(やくぜん):健康を維持するための食事
ドラマに出てきた食事や食材です。
ダイコンを丸切りにうすく切って生のままかじる。(頭痛にきくそうです)
スープ(タマネギ、ニラ、アサリ、セロリ、三つ葉。おみそ。春を意識しての食材だそうです)
あんず(咳を止める)
そら豆ごはん
トウモロコシ、トウモロコシのヒゲ(トウモロコシは団地の住人(お年寄り)からのもらいもの)
すき焼き(90歳の高齢者美山鈴がもつ株主優待がらみ。年2回のすき焼きパーティ)
梅シロップ(梅ジュース)
少量の食事です。(わたしだと足りません)
やたら歴史に明るいデザイン事務所の若手女性社員がおられます。
奥山葵(おくやま・あおい):巴沢千春(ともえざわ・ちはる)の役
戦国武将の石田三成とニラ雑炊(ぞうすい)に関する語りがありました。
田畑智子:ギンナン社(出版社)の編集者 青葉乙女(あおば・おとめ)の役
麦巻さとこの上司です。いい人です。
福士誠司:唐デザイン事務所(からデザイン事務所)経営者唐圭一郎(から・けいいちろう)の役
主人公女子の麦巻さとこがつぶやきます。
『ずっと曇りで時々雨が降るような人生(を自分はおくっている)』
トウモロコシは消化器にいい。
生活費が少ない。
何のために生きているんだろう。
でも、薬膳を知ってから、食べるという毎日の楽しみができた。食事で、幸せな日々を送る。
優しい雰囲気の音楽が流れ続けます。
途中、主人公である麦巻さとこが、前の職場でいじめのようなしうちを受けた回想シーンが流れます。かわいそうではありますが、ありがちないやがらせです。
職場で一番きらわれる人は、仕事をしない人です。
仕事をしなかった人の仕事は、ほかの人に回ってきます。
しかたがないので、頼まれた人は、仕事をしなかった人の仕事をしますが、その労働は、給料には反映されません。当然、頼まれた人は不快になります。
だから、自分に割り当てられた仕事量は、なにがなんでも自分で仕上げなければなりません。
だけど、今回のように、病気になってしまって仕事ができなくなることもあります。麦巻さとこは、同僚女子から、退職に追い込まれるようないやがらせをされます。ひどい同僚です。明日は我が身ということもあります。だれにでも病気は突然襲ってきます。
(たまたまですが、同時間帯に別のテレビ局で放送されているドラマ、『対岸の家事』でも、似たようなパターンで、こどもが急病で仕事を休む子育てママの仕事を代わりにする同僚である若い男子職員に、『(休む社員が担当する仕事の)肩代わり手当』なる調整手当が支給されるということが放送されていました)
こちらのドラマに出てくる人たちは、表舞台でバリバリやる人たちではなくて、表舞台に出ることができなくて、脱落するような感じで、脱落したあとにある世界で、コツコツと、しみじみと生きていくことを決心とか選択をされた人たちだと観察しました。
世の中は競争社会で、会社や組織の上層部は、ランク付けが大好きです。人や組織を分類して、順位付けをして楽しんでいるように見えます。順位の上位者を讃え(たたえ。ほめる)、そうでないものを見下します。(みくだします)
こちらのドラマの趣旨(メッセージ)は、競争をやめて、自分にあった生活を送ろう。自分の時間を大事に楽しもう。あるいは、人生を(薬膳のように静かに落ち着いて)味わおうというものだと理解しました。
自分をいびっていじめて退職に追い込んだ女子会社員元同僚に対する主人公麦巻さとこのビシッとした意見がありました。
同じ職場だったときの友人が麦巻さとこを訪ねてきて、いじわるをした元同僚の女子社員がそのときのことを麦巻さとこに謝罪したいと言っていると伝えます。
麦巻さとこ:『(相手にそのときのことを)謝られたくない。(あやまられたくない)』、『あやまられると、自分は相手を許すことになる(けして、許したくない)』(それでいい)
お粥(おかゆ)の話、職場旅行(4人しかいない職場ですけど)で、栃木県と福島県の県境近くにある那須塩原の温泉に行った話が出ます。
話の中身は高尚(こうしょう。上品で、内容が濃い。質が高い)です。
源頼朝が起源の、『(那須野)巻狩鍋(まきかりなべ)』、かぼちゃの収穫時期の話(夏に収穫して秋に食べる)、デザイン事務所のボスが、学生時代にバンド活動をしていた話、そんな話を聞きながら、自分が思ったことです。
『ああしよう、こうしようと思わないで、自然な流れにのって、行きつくところへ流れていく。そんな生き方もある』
ボスの話として、『(健康管理として)自分で調節する(仕事の量とか、自分の体調とか)』、ムリをしない、無欲をベース(生活していくときの基礎)にする。
まあ、不思議な雰囲気のただよう柔らかい内容のドラマです。ユニークです。(なかなかないパターンのドラマということです)
主人公の母親役で、朝加真由美さん(あさか・まゆみさん)が出ておられます。歳を重ねられました。
自分がまだこどもだったころに、萩本欽一さんと家族の歌番組で司会のアシスタントをされていたことを覚えています。すっかり風貌が変わられました。同じく、わたし自身も歳をとってしまいました。若い頃の顔かたちを知っている人と道ですれ違ってもお互いにわからないであろう年齢にまで達してしまいました。調べました。『オールスター家族対抗歌合戦』という番組でした。1972年(昭和47年)~
ドラマを見ていてよくわからないのが、団地の部屋の所有関係、賃貸関係です。
どうも、分譲マンションのように、ひとりの人がふた部屋を所有していて、まず自分が住む部屋があって、もうひとつ賃貸に出している部屋があるようです。不思議です。だから、加賀まりこさんの部屋に他人である宮沢氷魚さん(みやざわ・ひおさん)が住んでいてもかまわないのです。賃貸借契約だったら、契約者ではない他人を住まわせてはいけない契約になっていると思います。(家主は、その他人に貸しているわけではないという理屈)
調べました。分譲方式、そういう形態があるようです。以前のURの組織の時にOKだったようです。
ときおり、公団住宅の4階とか5階あたりのベランダから、まわりをながめるような風景が映像に出てきます。
わたしも、二十代のときに単身者も入れる公団住宅の部屋を借りてひとりで住んでいたことがあるのでなつかしさにひたりました。エレベーターのない4階に住んでいました。
当時わたしが住んでいた公団住宅の建物群はすでに取り壊されて、現在はもっと立派な公団住宅の建物群に建て替えられています。
当時は、ひとつの階段の両側に部屋があって、間取りは2K(4畳半と6畳にキッチン)、おふろと水洗トイレが付いていました。お家賃は、3万4000円ぐらいだった記憶です。
2025年04月20日
九十歳。何がめでたい 邦画 2024年
九十歳。何がめでたい 邦画 2024年(令和6年) 1時間39分 動画配信サービス
監督:前田哲
俳優:作家佐藤愛子(草笛光子)、娘響子(真矢ミキ)、孫娘桃子(藤間爽子(ふじま・そうこ))、編集者吉川(唐沢寿明)、吉川の妻(木村多江)、ほかに、オダギリジョー、三谷幸喜、石田ひかり、清水ミチコ、LiLiCo
先日読んだ本が、『老いはヤケクソ 佐藤愛子 リベラル社』でした。
その本の中にこちらの映画の話が出てくるので、映画を観てみることにしました。
自分の読書メモをふりかえってみると、『九十歳。 何がめでたい 佐藤愛子 小学館』は、2016年(平成28年)の秋に読んでいます。その本では、過去の記述はありますが、未来の記述はありません。昭和時代はよかった。そんなことが書かれてありました。いろいろありますが、本が出された当時も今も日本は平和なのです。(著者は戦争体験者です)
『人生相談』が、キーワード、ラストにつながる伏線となっています。
新聞の人生相談を読むことが好きだと、『老いはヤケクソ』の本にも書いてありました。
映画でも、『人生相談』です。
映画に出てくる相談者である一般人の妻は、仕事人間で家庭のことをまったく考えてくれない夫と別れたい。高校生である娘も、現実の両親の実情を知っていて、母親の味方で、離婚の応援者です。
劇中の佐藤愛子さん(草笛光子さんが演じる)は、思い切りがいい。物事の結論をズバンズバンと言い放っていきます。(はなっていきます)
パワハラ上司、セクハラ上司が出てきます。どこの世界でもパワハラ上司がいるのですが、それなりに高い成果を出すので、地位を奪われることはなかなかありません。困ったものです。
佐藤愛子さんを演じる草笛光子さんは、撮影当時の年齢が90歳です。
お元気です。90歳には見えません。車いす姿でもありません。ちゃんとご自分の足で歩いておられます。
まあ、頑固者(がんこもの)の主人公です。
以前観た洋画、『オットーという男 トム・ハンクス主演』を思い出しました。アメリカ合衆国の頑固なじいさんでしたが、心あるいい人でした。
昔は井戸を使っていた。水道はなかったというお話に共感しました。
わたしがちびっこだったころは、いなかには、まだ水道がきていませんでした。井戸を使っていました。
草笛光子さんが、洗濯は川でしていたと話すのですが、じっさい、集落の奥さんたちが集まって、桶や洗濯板をかかえて、川まで洗濯にいっていました。ちびのわたしもついて行って、竹の葉っぱで笹船なんかをつくって川に流して遊んでいました。
なんでもかんでも便利になりました。
新幹線は、最初から今のように全国に整備されていたわけではないのです。少しずつ線路が伸びていって、今の状態があるのです。
たまに、日本における進歩の歴史を知らない世代の頭の中はどうなっているのだろうかと思うことがあります。脳みその中には、どんな世界が広がっているのだろう。自分たち年寄りにはわかりません。
話題になったタイムトラベルのドラマ、『不適切にもほどがある』と類似する精神があるこちらの映画です。
佐藤愛子さんは、原稿を書くことで元気になります。
声が大きい、血の気(ちのけ。おこりっぽい気性(きしょう。性格))が多い佐藤さんです。
昔のぶあついアルバムが出てきました。
家族写真がついた年賀状が出てきました。(今どきは、年賀状も出さない慣例になりました)
捨て犬を拾って育てた話があります。
男についてです。
父親は父親の役割を果たさねばならない。(果たせていない男がいます)
夫は、夫の役割を果たさなければならない。(果たせていない男がいます)
男は、心を入れ替えたほうがいい。(もう手遅れだけれど…… 人生相談をした妻子は、こっそり家を出ていきました)
長生きしてもいいことばかりではありません。
映画では、暗い話が続くのですが、ドタバタ騒ぎがおもしろい。
結局、いっしょに暮していなくても、お互いに、『どこかで生きていればそれでいい』と思えればいいのです。
監督:前田哲
俳優:作家佐藤愛子(草笛光子)、娘響子(真矢ミキ)、孫娘桃子(藤間爽子(ふじま・そうこ))、編集者吉川(唐沢寿明)、吉川の妻(木村多江)、ほかに、オダギリジョー、三谷幸喜、石田ひかり、清水ミチコ、LiLiCo
先日読んだ本が、『老いはヤケクソ 佐藤愛子 リベラル社』でした。
その本の中にこちらの映画の話が出てくるので、映画を観てみることにしました。
自分の読書メモをふりかえってみると、『九十歳。 何がめでたい 佐藤愛子 小学館』は、2016年(平成28年)の秋に読んでいます。その本では、過去の記述はありますが、未来の記述はありません。昭和時代はよかった。そんなことが書かれてありました。いろいろありますが、本が出された当時も今も日本は平和なのです。(著者は戦争体験者です)
『人生相談』が、キーワード、ラストにつながる伏線となっています。
新聞の人生相談を読むことが好きだと、『老いはヤケクソ』の本にも書いてありました。
映画でも、『人生相談』です。
映画に出てくる相談者である一般人の妻は、仕事人間で家庭のことをまったく考えてくれない夫と別れたい。高校生である娘も、現実の両親の実情を知っていて、母親の味方で、離婚の応援者です。
劇中の佐藤愛子さん(草笛光子さんが演じる)は、思い切りがいい。物事の結論をズバンズバンと言い放っていきます。(はなっていきます)
パワハラ上司、セクハラ上司が出てきます。どこの世界でもパワハラ上司がいるのですが、それなりに高い成果を出すので、地位を奪われることはなかなかありません。困ったものです。
佐藤愛子さんを演じる草笛光子さんは、撮影当時の年齢が90歳です。
お元気です。90歳には見えません。車いす姿でもありません。ちゃんとご自分の足で歩いておられます。
まあ、頑固者(がんこもの)の主人公です。
以前観た洋画、『オットーという男 トム・ハンクス主演』を思い出しました。アメリカ合衆国の頑固なじいさんでしたが、心あるいい人でした。
昔は井戸を使っていた。水道はなかったというお話に共感しました。
わたしがちびっこだったころは、いなかには、まだ水道がきていませんでした。井戸を使っていました。
草笛光子さんが、洗濯は川でしていたと話すのですが、じっさい、集落の奥さんたちが集まって、桶や洗濯板をかかえて、川まで洗濯にいっていました。ちびのわたしもついて行って、竹の葉っぱで笹船なんかをつくって川に流して遊んでいました。
なんでもかんでも便利になりました。
新幹線は、最初から今のように全国に整備されていたわけではないのです。少しずつ線路が伸びていって、今の状態があるのです。
たまに、日本における進歩の歴史を知らない世代の頭の中はどうなっているのだろうかと思うことがあります。脳みその中には、どんな世界が広がっているのだろう。自分たち年寄りにはわかりません。
話題になったタイムトラベルのドラマ、『不適切にもほどがある』と類似する精神があるこちらの映画です。
佐藤愛子さんは、原稿を書くことで元気になります。
声が大きい、血の気(ちのけ。おこりっぽい気性(きしょう。性格))が多い佐藤さんです。
昔のぶあついアルバムが出てきました。
家族写真がついた年賀状が出てきました。(今どきは、年賀状も出さない慣例になりました)
捨て犬を拾って育てた話があります。
男についてです。
父親は父親の役割を果たさねばならない。(果たせていない男がいます)
夫は、夫の役割を果たさなければならない。(果たせていない男がいます)
男は、心を入れ替えたほうがいい。(もう手遅れだけれど…… 人生相談をした妻子は、こっそり家を出ていきました)
長生きしてもいいことばかりではありません。
映画では、暗い話が続くのですが、ドタバタ騒ぎがおもしろい。
結局、いっしょに暮していなくても、お互いに、『どこかで生きていればそれでいい』と思えればいいのです。
2025年04月19日
老いはヤケクソ 佐藤愛子
老いはヤケクソ 佐藤愛子 リベラル社発行 星雲社発売
インタビューの章が3章、そのほか2章(親族、友人、関係者のこと、そして作品のこと、過去の手記)、合計5章のレイアウト(配置)です。
著者は101歳になられたそうです。長生きです。執筆はもう能力的に無理だそうです。
インタビューです。よくおしゃべりされたそうです。
人に相手してもらうことが嬉しそうだったそうです。
わたしが高校生ぐらいのころに、佐藤愛子さんと遠藤周作さんと北杜夫(きた・もりお)さんの三人さんが対談されたテレビ番組を観たような記憶があります。仲良し三人組に見えました。たしか、『すばらしき仲間』というタイトルの対談番組でした。
遠藤周作さん(1996年(平成8年)73歳没)、北杜夫さん(2011年(平成23年)84歳没)です。
佐藤愛子さんは、1923年(大正12年)生まれ現在101歳です。本には、『百嫗(ひゃくおうな)』と書いてあります。嫗(おうな):歳をとった女性
佐藤愛子さんのお兄さんであるサトウハチローさんの歌はこどものころからよく聴きました。(1973年(昭和48年)70歳没)
自分が若い頃に読んでいた本の作者さんは、もう五木寛之さんぐらいが存命なぐらいです。(1932年(昭和7年)生まれ92歳)。
同じ時代を過ごした人たちが、ひとりふたりと姿を消していく。(亡くなっていく)
けっこうなプレッシャーがあります。(精神的な圧力)
わたしのまわりでも、たくさんの人たちがいなくなりました。
いろいろと思うところはあります。
きれいごとばかりではありません。
お互いにケンカするような、それなりの対立もありました。
されど、対立した者たち同士、どちらもすでにこの世にはおられません。
あの対立はなんだったのだろうかとふりかえることがあります。
最後はみんな消えてなくなるのなら対立などしなければいいのに……
この本のタイトルについて考えました。『老いはヤケクソ』というタイトルです。老いて、新しいことをやることもなし。やりたくても、思うように自分の心身が動いてくれないということはあります。
ゆえに、こちらの本のタイトル、『老いはヤケクソ』なのか。
人間死ぬのもたいへんです。なかなか死ねません。お迎えが来るまで、生きるのです。生きているのではなく、まだ死んでいないだけだという状態が続きます。
ときおり、高齢者施設で働いている方のブログを読むのですが、入所者のみなさんの頭の中が壊れています。若い頃はきっと、バリバリと仕事をしたり、家事をしたりされた、しっかり者だった人たちもおられると思います。でも今は、ご本人の言動がおかしいのです。
不謹慎かもしれませんが、(ふきんしん:無礼(ぶれい)、失礼(しつれい))長命な人のめんどうをみている子や孫はふと思うのです。『どうしてまだ生きているのだろう……(もう、(たいていは)彼女と同時代に生きていた人たちはこの世からいなくなったのに)』
長生きするとはどういうことなのだろうかという疑問をもちながら、この本を読むと何かわかるという手がかりがあるかもしれないという気持ちで読み始めるのです。
『「はじめ」に代えて 杉山桃子(佐藤愛子さんの孫)』
認知機能の衰えがあるものの、今回の本づくりのインタビューでは、ご本人は、うれしそうだったそうです。
『目次を見ながら考えたこと』
「映画は創作のストーリー」(どういう意味だろう)
「我慢しない」が信条(佐藤愛子さんは、我慢することを強いられた(しいられた)世代です。戦争体験者です)
「本当に強いのはお金やモノに執着しない人」(執着する人は多い)
『100歳インタビューについて 山田泰生(やまだ・やすお。新聞記者)』
歳をとることは、もはや「ヤケクソ」だそうです。
自分なりに素直に考えると、自分よりも先に配偶者が亡くなったらかなりショックです。
こどもたちが自分より先に亡くなったら、そんなばかなという気持ちになります。
友人たちが亡くなると、ああ、あいつも逝った(いった)かと思います。
もう自分たちの時代は終わりを告げたとあきらめもつきます。
されど、それでもまだ自分が生きていたら、猛烈な孤独感が襲ってきます。どうすることもできません。長い時間を与えられても、本を読むことも映像を見ることも飽きてしまいそうです。
『第1章 「百嫗(ひゃくおうな)」の心境 100歳インタビュー①』
耳が遠くなった。
世間から隔絶された小島で暮らしているような感じがしておられるそうです。
自分は101歳になった。自分がまだ小さかったころの記憶は、100年前ぐらいの出来事であると語られています。今を生きながら、100年前の記憶をたどるのです。
きんさん、ぎんさんの話が出ます。わたしが、30代のころのお話です。1991年(平成3年)にNHKで紹介されました。愛知県名古屋に住むふたごのご長寿の姉妹さんでした。おしゃべりじょうずなおもしろい方たちでした。
以下、佐藤愛子さんについてです。
長生きすればするほど、友だちがどんどんいなくなる。
親きょうだいもいなくなる。
同じ時代をいっしょにすごした相棒たちがいなくなる。同級生はもうひとりもいない。
愛犬も先に逝ってしまった。(いってしまった。天国へ召された)
そんな嘆きがあります。なげき:悲しみ
人と話をすることは好き。だから、今回のインタビューのことも好き。
映画、『九十歳。何がめでたい』を冒頭30分見たけれど、あまり覚えていない。
映画製作のことが少し書いてあります。
(そうなのかと驚くことが書いてありました)
医者嫌い。40代から医者にかかっていなかった。90代までは、病院なんて行ったことがなかった。
40代からなじみの整体に行っていた。それで、十分体調管理ができていた。
今は一日ぼんやり椅子に座って庭をながめている。
『第2章 老いはヤケクソ 100歳インタビュー②』
<みんなヤケクソで老いていっている>
真面目に老いていたらやれきれない気持ちになるそうです。やりきれない:気持ちがおさまらない。辛抱できない。
ヤケクソになれば楽ではあるが、端然(たんぜん)とはしていたい。たんぜん:正しく整っているようす。きちんとしている。規則正しく淡々と暮らしながらその時を待つ(あの世への旅立ち)
世代的に、戦争の話が出ます。戦争体験者の世代です。
戦時中は食べるものがなかった。食べるものの種類にこだわる気持ちはない。
肉は好き。魚は白身がいい。そのほかは何も気にしない。
朝昼兼用の食事をする。娘や孫が用意してくれる。毎回同じものを食べる。こだわりはない。同じものでいい。
新聞は、朝日新聞と産経新聞を読む。本は読まない。インターネットはわからない。(わたし(熊太郎)は、数年前から新聞は読まなくなりました。不自由はありません。新聞はとっています。家族が読んでいます。なんというか、読まなくても、何がどんなふうに書いてあるか想像できるのです。毎年、同じような時期に同じようなニュースが掲載されます。新聞製作の事前準備として、これから先、1年分の事前原稿の下地(したじ)が用意されているのではないかと思うときもありました)
佐藤愛子さんは、携帯電話は持っているが使っていない。家ではいまだに、ダイヤル式の電話を使っている。(わたしのまわりでも、ダイヤル式の加入電話を今も使用している友人や親族がいます)
テレビはつけっぱなしにしてある。見ているようで見ていない。記憶力がなくなり、聞いても記憶が残らない。
お金について:プライドを捨てればお金は稼げる(かせげる)。プライドが捨てられないからお金を稼げない。
父佐藤紅緑(さとう・こうろく)は、75歳で亡くなった。(数え年だと思います。実際は74歳)。兄サトウハチローは、70歳で亡くなった。
結婚は二度したけれど、恵まれなかった。最初の夫は(昭和18年(1943年)結婚。夫は、昭和26年(1951年)病死)、夫は、戦地から帰ってきたが、モルヒネ中毒になっていた。(腸の病気の痛み止めとしてモルヒネ(痛み止め)を使用していた)。
二度目の夫は、借金が理由で偽装離婚をしたが、元夫は、その後、なんと別の女と婚姻届を出した。知識がなかったので、夫の借金を佐藤愛子さんが肩代わりして返済した。のちに、法人の負債の場合、社長の妻に借金返済の義務はないと言われたそうです。されど、そのことを題材にして出した小説、『戦いすんで日が暮れて』が直木賞を受賞して、大ヒットしたそうです。
『第3章 「我慢しない」が信条100歳インタビュー③』
歳をとって、老化によって、目が悪い、耳が聞こえない。
なんだか、どうでもよくなる。
外出はほとんどしない。
女にとって、結婚は、がまんするという意味だそうです。がまんができないなら離婚です。
長生きしたいと思っていなかったのに、長生きをしている。
苦界(くがい):遊女の境遇
お金に対する執着心はない。損得にも興味はない。
父親の教えで、損得を考えなくなった。
父の教えだと、損得にこだわるのは下衆(げす。心が卑しい人(いやしい人)。身分がとても低い人)がすることだそうです。
だまされたっていい。人生なんてたいしたもんじゃない。そんなふうに書いてあります。すごいなあ。
恬淡(てんたん):あっさりした人。名誉や利益に執着しない。
死に方を自分で選ぶなんてぜいたく。戦争で命を落としていった若い人たちのことを思うと申し訳なくなる。
テレビ番組、『徹子の部屋』から出演依頼がたびたびくるけれど断っている。耄碌した姿を見られたくない。耄碌(もうろく):老いぼれた。
101歳の自分に、未来というものはない。
死ぬのは、こわくもないし、嫌という気持ちもない。
『第4章 愛すべき家族と相棒たち』
この部分は過去の手記です。
知っている人たちが自分よりも先に亡くなっていった。
なんともいえない寂しさ(さびしさ)がある。
もう一度会いたい人たちがいる。
でも、もう誰もいない。
「父 佐藤紅緑(さとう・こうろく) 小説家、劇作家、俳人 1949年(昭和24年)74歳没
頑固おやじだったそうです。窮屈なことがキライな自由人だったと読み取れます。ご本人は、だらしがなかった。
コハゼ:足袋(たび)にある金属の留め具(とめぐ)
慨歎(がいたん):気が高ぶるほど嘆いて心配すること。
気韻(きいん):気品の高い趣(おもむき)
冒瀆(ぼうとく):神聖なものや清らかなものを汚すこと。(けがすこと)
佐藤愛子さんは、父の佐藤紅緑さんの血筋を引いて性格が父親によく似ているそうです。
「母 三笠万里子 舞台女優 1972年(昭和47年)78歳没」
夫婦ゲンカが多かったそうです。父は、感情家で、母は、理性的な人間だった。母のくちぐせは、ものごとを大局的に見る。客観性を重視する。
性格は異なるふたりだったが、コンビとしてはいい具合だったようです。
佐藤愛子さんは母親とよくケンカをしたが、母親を尊敬もしておられます。
「兄 サトウハチロー 詩人、作詞家、作家 1973年(昭和48年)70歳没
わたしは、中学生のころ、作詞された歌詞や母親を思う詩などから、サトウハチローさんは心優しい人で人格者だと思っていましたが、その後、現実のことが書いてある書物などを読んで、本当は自分が思っていたイメージとはぜんぜん違う人だということがわかりショックを受けました。
こちらの本では、『不良セガレ』と書いてあります。
同様に、詩集、『一握の砂(いちあくのすな)』を出された石川啄木さんも、のちに、けっこういいかげんな人だったことを知り、おとなになってから残念な気持ちになりました。
芸術家のみなさんたちは、屈折した心理をおもちです。言っていることとやっていることが正反対だったりもするのです。なんだか、じょうずに人をだました人がお金持ちになるような気がするのです。受け手である自分は賢くならねば(かしこくならねば)だまされてしまうと警戒するのです。
作者と作品は別物と考えたほうがいい。作品は、作品として世に出た瞬間に作者の手元を離れて、受け手の解釈で理解されるのです。
佐藤愛子さんは、平穏無事な家庭環境で育った人ではありません。
また、平穏無事な人生を送られた人でもありません。
むしろ、攻撃的な人生でした。荒波の中を突き進んできた人です。
サトウハチローさんは、佐藤愛子さんよりも20歳も年上の兄です。(異母兄)
佐藤愛子さんには4人の兄がいた。
4人とも不良だった。長兄のサトウハチローさんが、一番の大不良だった。
されど、不良に寛大な世の中だった。(戦前の頃)
青春とは無軌道なもの。いけないとわかっていてもやる。やってしまうのが青春だ。無軌道は一過性のもので、青春を通過して人はおとなになる。厳しい対応だけでは、若い者の気持ちは育たないというような意味合いの文章が書いてあります。
放恣(ほうし):勝手気ままで節度がないこと
大切なことは、『大きく理解する心』
鵠沼(くげぬま):神奈川県藤沢市南部の海岸中央部
「乳母(うば):ばあや」
佐藤愛子さんが6歳ぐらいのとき世話になっていたばあやのことが書いてあります。
佐藤愛子さんは、実母よりもばあやが好きだったそうです。
ばあやのお乳を飲んで育ったそうです。
(なんだか、太宰治さんと似ています。太宰治さんも自分の子守りをしてくれた越野タケさんを慕っておられました)
佐藤愛子さんは、ばあやから、『……この世にはイヤでもどうしてもせんならんことがおますんや』ということを学んでいます。
やりたいことはやって、やりたくないことはやらないのは、こどもです。やりたくなくても、やらねばならないことはやるのがおとなです。
「夫 田畑麦彦 小説家、劇作家、俳人 2008年(平成20年)80歳没」
二人目のご主人です。事業の失敗で偽装離婚後、佐藤愛子さんの知らぬ間に、ほかの女性と入籍されています。
シームレス:継ぎ目がない衣類
正鵠(せいこく):物事の一番大切なポイント
読んでいて思うのは、佐藤愛子さんの歴史であり、日本文学界の歴史です。
借金の額は、3000万円ぐらい。(1967年頃。昭和42年頃)(ちょっと記述内容が変化していくのですが、このあとにある138ページと142ページには、2億円と書いてあります。現代の金額に置き換えてあるのだろうか)
「師:吉田一穂(よしだ・いっすい 男性) 詩人、評論家、童話作家 1973年(昭和48年)74歳没」
佐藤愛子さんが出会えて良かった人のおひとりです。
吉田さんのおかげで、自分は挫折せず、希望を失うことなく今まで生きてくることができたそうです。
吉田さんは、単純な人だった。美しいものは、美しいといい、美しくないものは、美しくないと言う人だった。
いつも自分を力づけてくれる人だった。むずかしいところもあったけれど、心の優しい人だったそうです。
「師:臼井栄子(うすい・えいこ) 整体指導者 2005年(平成17年)91歳没」
苦しいことから逃げようとするとますます苦しくなる。逃げないで、苦しいことの中に居座るとらくになる」ということを教えてくださったそうです。
佐藤愛子さんの恩人です。
(読みながら思うのは、もうみなさん亡くなっているということです。しみじみくるものがあります。自分を助けてくれる人がいないと人は生きられません)
「遠藤周作 作家 1996年(平成8年)73歳没」
いたずら好きな人だったそうです。人を笑わせることが好きな人だったそうです。
読みながら思うのは、なんというか、人はみなそれぞれ個性的なのです。画一的にこの人は、こういう人という評価なり、分析なりはしにくいのです。評価をしてもしょうがないという気持ちにもなります。もう、みなさん、この世の人ではありません。今生きている人たちも、いずれこの世の人ではなくなります。
遠藤周作さんがやった、佐藤愛子さんの娘さんの結婚式での祝辞がとてもおもしろい。笑いました。
「小説を書く人間はみな、おかしな人であります」(たしかに。この本を読んでいると納得します)
「川上宗薫(かわかみ・そうくん 本名の読みは、「むねしげ」さんだそうです 1985年(昭和60年)61歳没)
この部分の記述は長かった。それだけ、佐藤愛子さんに思い入れがある方です。
まだ、わたしが高校生ぐらいだった頃の川上宗薫さんは、男女のからみである情事を文章でねちっこく表現するポルノのようなエロい文章を週刊誌などに書いておられました。あまり好感をもたれるような人物ではなかったような印象が自分にあります。
されど、人間というのはわからないものです。川上宗薫さんは佐藤愛子さんの心の支えになっておられます。お互いに男女の恋愛関係はなく、親友、(愛子さんから見て)自分の弟という位置づけだったそうです。加えて、城山三郎さん(小説家。2007年(平成19年)79歳没)が、川上宗薫さんに、きみはいい小説を書いていたのに、残念だみたいなことを話されています。
癌で亡くなりましたが、半世紀前ぐらいは、癌の宣告は、死の宣告であり、当時の川上宗薫さんには癌の告知がなされていません。本人への病名は、食道潰瘍(しょくどうかいよう)です。
いろいろ、濃厚な話が書いてあります。
鎧袖一触(がいしゅういっしょく):鎧(よろい)の袖(そで)で、ちょっと触れただけで、敵をやっつけること。
人間のいいかげんさ、人間の不思議さ、そんな話が書いてあります。
おざなり:いいかげん
女遊びを続けていた川上宗薫さんは、仲間内ではとても好かれていた人間だったそうです。
とにかくおもしろい人だった。(そんな人も、今はもうこの世にいません)
「北杜夫(きた・もりお) 作家、精神科医 2011年(平成23年) 84歳没」
変人だったそうです。(わたしは高校生のころ、この方の本をよく読みました。『楡家の人々(にれけのひとびと』が面白おかしく楽しかった)
精神科医なのに、ご自身が躁うつ病で、ご家族がたいへんな迷惑被害にあわれました。
端倪(たんげい)すべからざる:物事の成り行きを予想できないこと
衒い(てらい):自分の能力を言葉にちらつかせること
同人誌:同じ志(こころざし)の人たちがお金を出しあってつくる本
佐藤愛子さんにとっては、賢い兄が、「遠藤周作さん。同じ年生まれですが、遠藤さんのほうが生まれ月が早い」で、愚かな(おろかな)弟が、「川上宗薫さん。1歳年下」と「北杜夫(きた・もりお)さん。4歳年下」さんだそうです。
エンゼン(艶然):美しい女性がにっこりと笑う
嗟嘆(さたん):感心してほめること
「中山あい子 詩人、作詞家、作家 2000年(平成12年)78歳没」
大人物だった。(すぐれた偉人)
世の中には、「どうでもいいこと」がたくさんあって、でも、凡人は、「どうでもいいこと」を気にして気楽に生きられないけれど、 中山あい子さんは、何にでも「ガッハッハ」と笑ってこだわらない人だった。
大吾(だいご)の人:迷いを捨て、悟りきった人(さとり:心理を会得する。えとく:理解して自分のものにする)
「人間も死んだらゴミだ」の記述部分がおもしろかった。
邦画、「プラン75」では、75歳になった希望者には、日本政府の施策で、安楽死と丁重な弔い(とむらい)が保証されるのですが、実は、ゴミ焼却場で焼かれて終わりなのです。
わたしは抵抗感をもって、その映画を観たのですが、中山あい子さんは、人間、死んだらゴミだから自分は葬式はいらないとして、「献体(解剖して医学や医師、医師見習いの役に立つ)」を申し込んで、そのようになさったのです。物は考えようです。死んだら、本人の魂は、借り物の体には宿っていないのです。中山あい子さんは、大人物です。
『第5章 物書きの境地』
佐藤愛子さんが小説家になったいきさつについて、時代を追って記述されています。それなりのご苦労が合って、長年の執筆継続があって、ようやく作家として独り立ちされています。
最初のご主人との間にこどもさんがふたり。(夫死亡後、夫の実家が引き取った)
二度目のご主人との間にこどもさんがひとりおられます。
いろいろたいへんなことを体験されています。なんだか、今春始まったNHK朝ドラ、『あんぱん』に出てくるこどもさんの母親みたいです。(実母の方は、やなせたかしさんと弟を親戚に渡して、ご自分は再婚されています)
佐藤愛子さんのことです。
我儘者(わがままもの)です。
世間の常識からはずれた言動をします。(父親の佐藤紅緑さんと似ているそうです)
「小説を書く人間はみなおかしい」という理屈から、若い頃の佐藤愛子さんは、自分がやれる職業は、小説家しかないと断定します。
生きるよすが:よりどころ、方法、頼り
「男に扶養されて暮らす生活」をつまらない人生だと考える。
曙光(しょこう):夜明けに差してくる太陽の光
吉川英治:小説家。1962年(昭和37年)70歳没
だいじなことは、人から何を言われても書き続けること。
能力的に、自分は文章を書くことで生計を立てることしかできないと思い込んでおられました。
書き始めて20年目、1969年(昭和44年)にようやく、作品、『戦いすんで日が暮れて』で、直木賞を受賞されています。
『九十歳。何がめでたい 小学館』
本は読みました。映画は先日動画配信サービスで観ました。そのうち感想をアップします。
エッセイを映画化してあります。
『九十八歳。戦いやまず日は暮れず 小学館』
読んだことがあります。エッセイ集です。
気楽に読める本です。
著者が転倒したシーンの記述には臨場感があります。(読者がその場にいる感じ)
助けを呼んで、来てくれる人がいるうち(家)はいい。ひとり暮らしや複数で暮らしていてもひとりのような生活の人もいます。
人の寿命は人それぞれです。本を読みながら、残された時間をどのように過ごそうかと考える読書でした。
インタビューの章が3章、そのほか2章(親族、友人、関係者のこと、そして作品のこと、過去の手記)、合計5章のレイアウト(配置)です。
著者は101歳になられたそうです。長生きです。執筆はもう能力的に無理だそうです。
インタビューです。よくおしゃべりされたそうです。
人に相手してもらうことが嬉しそうだったそうです。
わたしが高校生ぐらいのころに、佐藤愛子さんと遠藤周作さんと北杜夫(きた・もりお)さんの三人さんが対談されたテレビ番組を観たような記憶があります。仲良し三人組に見えました。たしか、『すばらしき仲間』というタイトルの対談番組でした。
遠藤周作さん(1996年(平成8年)73歳没)、北杜夫さん(2011年(平成23年)84歳没)です。
佐藤愛子さんは、1923年(大正12年)生まれ現在101歳です。本には、『百嫗(ひゃくおうな)』と書いてあります。嫗(おうな):歳をとった女性
佐藤愛子さんのお兄さんであるサトウハチローさんの歌はこどものころからよく聴きました。(1973年(昭和48年)70歳没)
自分が若い頃に読んでいた本の作者さんは、もう五木寛之さんぐらいが存命なぐらいです。(1932年(昭和7年)生まれ92歳)。
同じ時代を過ごした人たちが、ひとりふたりと姿を消していく。(亡くなっていく)
けっこうなプレッシャーがあります。(精神的な圧力)
わたしのまわりでも、たくさんの人たちがいなくなりました。
いろいろと思うところはあります。
きれいごとばかりではありません。
お互いにケンカするような、それなりの対立もありました。
されど、対立した者たち同士、どちらもすでにこの世にはおられません。
あの対立はなんだったのだろうかとふりかえることがあります。
最後はみんな消えてなくなるのなら対立などしなければいいのに……
この本のタイトルについて考えました。『老いはヤケクソ』というタイトルです。老いて、新しいことをやることもなし。やりたくても、思うように自分の心身が動いてくれないということはあります。
ゆえに、こちらの本のタイトル、『老いはヤケクソ』なのか。
人間死ぬのもたいへんです。なかなか死ねません。お迎えが来るまで、生きるのです。生きているのではなく、まだ死んでいないだけだという状態が続きます。
ときおり、高齢者施設で働いている方のブログを読むのですが、入所者のみなさんの頭の中が壊れています。若い頃はきっと、バリバリと仕事をしたり、家事をしたりされた、しっかり者だった人たちもおられると思います。でも今は、ご本人の言動がおかしいのです。
不謹慎かもしれませんが、(ふきんしん:無礼(ぶれい)、失礼(しつれい))長命な人のめんどうをみている子や孫はふと思うのです。『どうしてまだ生きているのだろう……(もう、(たいていは)彼女と同時代に生きていた人たちはこの世からいなくなったのに)』
長生きするとはどういうことなのだろうかという疑問をもちながら、この本を読むと何かわかるという手がかりがあるかもしれないという気持ちで読み始めるのです。
『「はじめ」に代えて 杉山桃子(佐藤愛子さんの孫)』
認知機能の衰えがあるものの、今回の本づくりのインタビューでは、ご本人は、うれしそうだったそうです。
『目次を見ながら考えたこと』
「映画は創作のストーリー」(どういう意味だろう)
「我慢しない」が信条(佐藤愛子さんは、我慢することを強いられた(しいられた)世代です。戦争体験者です)
「本当に強いのはお金やモノに執着しない人」(執着する人は多い)
『100歳インタビューについて 山田泰生(やまだ・やすお。新聞記者)』
歳をとることは、もはや「ヤケクソ」だそうです。
自分なりに素直に考えると、自分よりも先に配偶者が亡くなったらかなりショックです。
こどもたちが自分より先に亡くなったら、そんなばかなという気持ちになります。
友人たちが亡くなると、ああ、あいつも逝った(いった)かと思います。
もう自分たちの時代は終わりを告げたとあきらめもつきます。
されど、それでもまだ自分が生きていたら、猛烈な孤独感が襲ってきます。どうすることもできません。長い時間を与えられても、本を読むことも映像を見ることも飽きてしまいそうです。
『第1章 「百嫗(ひゃくおうな)」の心境 100歳インタビュー①』
耳が遠くなった。
世間から隔絶された小島で暮らしているような感じがしておられるそうです。
自分は101歳になった。自分がまだ小さかったころの記憶は、100年前ぐらいの出来事であると語られています。今を生きながら、100年前の記憶をたどるのです。
きんさん、ぎんさんの話が出ます。わたしが、30代のころのお話です。1991年(平成3年)にNHKで紹介されました。愛知県名古屋に住むふたごのご長寿の姉妹さんでした。おしゃべりじょうずなおもしろい方たちでした。
以下、佐藤愛子さんについてです。
長生きすればするほど、友だちがどんどんいなくなる。
親きょうだいもいなくなる。
同じ時代をいっしょにすごした相棒たちがいなくなる。同級生はもうひとりもいない。
愛犬も先に逝ってしまった。(いってしまった。天国へ召された)
そんな嘆きがあります。なげき:悲しみ
人と話をすることは好き。だから、今回のインタビューのことも好き。
映画、『九十歳。何がめでたい』を冒頭30分見たけれど、あまり覚えていない。
映画製作のことが少し書いてあります。
(そうなのかと驚くことが書いてありました)
医者嫌い。40代から医者にかかっていなかった。90代までは、病院なんて行ったことがなかった。
40代からなじみの整体に行っていた。それで、十分体調管理ができていた。
今は一日ぼんやり椅子に座って庭をながめている。
『第2章 老いはヤケクソ 100歳インタビュー②』
<みんなヤケクソで老いていっている>
真面目に老いていたらやれきれない気持ちになるそうです。やりきれない:気持ちがおさまらない。辛抱できない。
ヤケクソになれば楽ではあるが、端然(たんぜん)とはしていたい。たんぜん:正しく整っているようす。きちんとしている。規則正しく淡々と暮らしながらその時を待つ(あの世への旅立ち)
世代的に、戦争の話が出ます。戦争体験者の世代です。
戦時中は食べるものがなかった。食べるものの種類にこだわる気持ちはない。
肉は好き。魚は白身がいい。そのほかは何も気にしない。
朝昼兼用の食事をする。娘や孫が用意してくれる。毎回同じものを食べる。こだわりはない。同じものでいい。
新聞は、朝日新聞と産経新聞を読む。本は読まない。インターネットはわからない。(わたし(熊太郎)は、数年前から新聞は読まなくなりました。不自由はありません。新聞はとっています。家族が読んでいます。なんというか、読まなくても、何がどんなふうに書いてあるか想像できるのです。毎年、同じような時期に同じようなニュースが掲載されます。新聞製作の事前準備として、これから先、1年分の事前原稿の下地(したじ)が用意されているのではないかと思うときもありました)
佐藤愛子さんは、携帯電話は持っているが使っていない。家ではいまだに、ダイヤル式の電話を使っている。(わたしのまわりでも、ダイヤル式の加入電話を今も使用している友人や親族がいます)
テレビはつけっぱなしにしてある。見ているようで見ていない。記憶力がなくなり、聞いても記憶が残らない。
お金について:プライドを捨てればお金は稼げる(かせげる)。プライドが捨てられないからお金を稼げない。
父佐藤紅緑(さとう・こうろく)は、75歳で亡くなった。(数え年だと思います。実際は74歳)。兄サトウハチローは、70歳で亡くなった。
結婚は二度したけれど、恵まれなかった。最初の夫は(昭和18年(1943年)結婚。夫は、昭和26年(1951年)病死)、夫は、戦地から帰ってきたが、モルヒネ中毒になっていた。(腸の病気の痛み止めとしてモルヒネ(痛み止め)を使用していた)。
二度目の夫は、借金が理由で偽装離婚をしたが、元夫は、その後、なんと別の女と婚姻届を出した。知識がなかったので、夫の借金を佐藤愛子さんが肩代わりして返済した。のちに、法人の負債の場合、社長の妻に借金返済の義務はないと言われたそうです。されど、そのことを題材にして出した小説、『戦いすんで日が暮れて』が直木賞を受賞して、大ヒットしたそうです。
『第3章 「我慢しない」が信条100歳インタビュー③』
歳をとって、老化によって、目が悪い、耳が聞こえない。
なんだか、どうでもよくなる。
外出はほとんどしない。
女にとって、結婚は、がまんするという意味だそうです。がまんができないなら離婚です。
長生きしたいと思っていなかったのに、長生きをしている。
苦界(くがい):遊女の境遇
お金に対する執着心はない。損得にも興味はない。
父親の教えで、損得を考えなくなった。
父の教えだと、損得にこだわるのは下衆(げす。心が卑しい人(いやしい人)。身分がとても低い人)がすることだそうです。
だまされたっていい。人生なんてたいしたもんじゃない。そんなふうに書いてあります。すごいなあ。
恬淡(てんたん):あっさりした人。名誉や利益に執着しない。
死に方を自分で選ぶなんてぜいたく。戦争で命を落としていった若い人たちのことを思うと申し訳なくなる。
テレビ番組、『徹子の部屋』から出演依頼がたびたびくるけれど断っている。耄碌した姿を見られたくない。耄碌(もうろく):老いぼれた。
101歳の自分に、未来というものはない。
死ぬのは、こわくもないし、嫌という気持ちもない。
『第4章 愛すべき家族と相棒たち』
この部分は過去の手記です。
知っている人たちが自分よりも先に亡くなっていった。
なんともいえない寂しさ(さびしさ)がある。
もう一度会いたい人たちがいる。
でも、もう誰もいない。
「父 佐藤紅緑(さとう・こうろく) 小説家、劇作家、俳人 1949年(昭和24年)74歳没
頑固おやじだったそうです。窮屈なことがキライな自由人だったと読み取れます。ご本人は、だらしがなかった。
コハゼ:足袋(たび)にある金属の留め具(とめぐ)
慨歎(がいたん):気が高ぶるほど嘆いて心配すること。
気韻(きいん):気品の高い趣(おもむき)
冒瀆(ぼうとく):神聖なものや清らかなものを汚すこと。(けがすこと)
佐藤愛子さんは、父の佐藤紅緑さんの血筋を引いて性格が父親によく似ているそうです。
「母 三笠万里子 舞台女優 1972年(昭和47年)78歳没」
夫婦ゲンカが多かったそうです。父は、感情家で、母は、理性的な人間だった。母のくちぐせは、ものごとを大局的に見る。客観性を重視する。
性格は異なるふたりだったが、コンビとしてはいい具合だったようです。
佐藤愛子さんは母親とよくケンカをしたが、母親を尊敬もしておられます。
「兄 サトウハチロー 詩人、作詞家、作家 1973年(昭和48年)70歳没
わたしは、中学生のころ、作詞された歌詞や母親を思う詩などから、サトウハチローさんは心優しい人で人格者だと思っていましたが、その後、現実のことが書いてある書物などを読んで、本当は自分が思っていたイメージとはぜんぜん違う人だということがわかりショックを受けました。
こちらの本では、『不良セガレ』と書いてあります。
同様に、詩集、『一握の砂(いちあくのすな)』を出された石川啄木さんも、のちに、けっこういいかげんな人だったことを知り、おとなになってから残念な気持ちになりました。
芸術家のみなさんたちは、屈折した心理をおもちです。言っていることとやっていることが正反対だったりもするのです。なんだか、じょうずに人をだました人がお金持ちになるような気がするのです。受け手である自分は賢くならねば(かしこくならねば)だまされてしまうと警戒するのです。
作者と作品は別物と考えたほうがいい。作品は、作品として世に出た瞬間に作者の手元を離れて、受け手の解釈で理解されるのです。
佐藤愛子さんは、平穏無事な家庭環境で育った人ではありません。
また、平穏無事な人生を送られた人でもありません。
むしろ、攻撃的な人生でした。荒波の中を突き進んできた人です。
サトウハチローさんは、佐藤愛子さんよりも20歳も年上の兄です。(異母兄)
佐藤愛子さんには4人の兄がいた。
4人とも不良だった。長兄のサトウハチローさんが、一番の大不良だった。
されど、不良に寛大な世の中だった。(戦前の頃)
青春とは無軌道なもの。いけないとわかっていてもやる。やってしまうのが青春だ。無軌道は一過性のもので、青春を通過して人はおとなになる。厳しい対応だけでは、若い者の気持ちは育たないというような意味合いの文章が書いてあります。
放恣(ほうし):勝手気ままで節度がないこと
大切なことは、『大きく理解する心』
鵠沼(くげぬま):神奈川県藤沢市南部の海岸中央部
「乳母(うば):ばあや」
佐藤愛子さんが6歳ぐらいのとき世話になっていたばあやのことが書いてあります。
佐藤愛子さんは、実母よりもばあやが好きだったそうです。
ばあやのお乳を飲んで育ったそうです。
(なんだか、太宰治さんと似ています。太宰治さんも自分の子守りをしてくれた越野タケさんを慕っておられました)
佐藤愛子さんは、ばあやから、『……この世にはイヤでもどうしてもせんならんことがおますんや』ということを学んでいます。
やりたいことはやって、やりたくないことはやらないのは、こどもです。やりたくなくても、やらねばならないことはやるのがおとなです。
「夫 田畑麦彦 小説家、劇作家、俳人 2008年(平成20年)80歳没」
二人目のご主人です。事業の失敗で偽装離婚後、佐藤愛子さんの知らぬ間に、ほかの女性と入籍されています。
シームレス:継ぎ目がない衣類
正鵠(せいこく):物事の一番大切なポイント
読んでいて思うのは、佐藤愛子さんの歴史であり、日本文学界の歴史です。
借金の額は、3000万円ぐらい。(1967年頃。昭和42年頃)(ちょっと記述内容が変化していくのですが、このあとにある138ページと142ページには、2億円と書いてあります。現代の金額に置き換えてあるのだろうか)
「師:吉田一穂(よしだ・いっすい 男性) 詩人、評論家、童話作家 1973年(昭和48年)74歳没」
佐藤愛子さんが出会えて良かった人のおひとりです。
吉田さんのおかげで、自分は挫折せず、希望を失うことなく今まで生きてくることができたそうです。
吉田さんは、単純な人だった。美しいものは、美しいといい、美しくないものは、美しくないと言う人だった。
いつも自分を力づけてくれる人だった。むずかしいところもあったけれど、心の優しい人だったそうです。
「師:臼井栄子(うすい・えいこ) 整体指導者 2005年(平成17年)91歳没」
苦しいことから逃げようとするとますます苦しくなる。逃げないで、苦しいことの中に居座るとらくになる」ということを教えてくださったそうです。
佐藤愛子さんの恩人です。
(読みながら思うのは、もうみなさん亡くなっているということです。しみじみくるものがあります。自分を助けてくれる人がいないと人は生きられません)
「遠藤周作 作家 1996年(平成8年)73歳没」
いたずら好きな人だったそうです。人を笑わせることが好きな人だったそうです。
読みながら思うのは、なんというか、人はみなそれぞれ個性的なのです。画一的にこの人は、こういう人という評価なり、分析なりはしにくいのです。評価をしてもしょうがないという気持ちにもなります。もう、みなさん、この世の人ではありません。今生きている人たちも、いずれこの世の人ではなくなります。
遠藤周作さんがやった、佐藤愛子さんの娘さんの結婚式での祝辞がとてもおもしろい。笑いました。
「小説を書く人間はみな、おかしな人であります」(たしかに。この本を読んでいると納得します)
「川上宗薫(かわかみ・そうくん 本名の読みは、「むねしげ」さんだそうです 1985年(昭和60年)61歳没)
この部分の記述は長かった。それだけ、佐藤愛子さんに思い入れがある方です。
まだ、わたしが高校生ぐらいだった頃の川上宗薫さんは、男女のからみである情事を文章でねちっこく表現するポルノのようなエロい文章を週刊誌などに書いておられました。あまり好感をもたれるような人物ではなかったような印象が自分にあります。
されど、人間というのはわからないものです。川上宗薫さんは佐藤愛子さんの心の支えになっておられます。お互いに男女の恋愛関係はなく、親友、(愛子さんから見て)自分の弟という位置づけだったそうです。加えて、城山三郎さん(小説家。2007年(平成19年)79歳没)が、川上宗薫さんに、きみはいい小説を書いていたのに、残念だみたいなことを話されています。
癌で亡くなりましたが、半世紀前ぐらいは、癌の宣告は、死の宣告であり、当時の川上宗薫さんには癌の告知がなされていません。本人への病名は、食道潰瘍(しょくどうかいよう)です。
いろいろ、濃厚な話が書いてあります。
鎧袖一触(がいしゅういっしょく):鎧(よろい)の袖(そで)で、ちょっと触れただけで、敵をやっつけること。
人間のいいかげんさ、人間の不思議さ、そんな話が書いてあります。
おざなり:いいかげん
女遊びを続けていた川上宗薫さんは、仲間内ではとても好かれていた人間だったそうです。
とにかくおもしろい人だった。(そんな人も、今はもうこの世にいません)
「北杜夫(きた・もりお) 作家、精神科医 2011年(平成23年) 84歳没」
変人だったそうです。(わたしは高校生のころ、この方の本をよく読みました。『楡家の人々(にれけのひとびと』が面白おかしく楽しかった)
精神科医なのに、ご自身が躁うつ病で、ご家族がたいへんな迷惑被害にあわれました。
端倪(たんげい)すべからざる:物事の成り行きを予想できないこと
衒い(てらい):自分の能力を言葉にちらつかせること
同人誌:同じ志(こころざし)の人たちがお金を出しあってつくる本
佐藤愛子さんにとっては、賢い兄が、「遠藤周作さん。同じ年生まれですが、遠藤さんのほうが生まれ月が早い」で、愚かな(おろかな)弟が、「川上宗薫さん。1歳年下」と「北杜夫(きた・もりお)さん。4歳年下」さんだそうです。
エンゼン(艶然):美しい女性がにっこりと笑う
嗟嘆(さたん):感心してほめること
「中山あい子 詩人、作詞家、作家 2000年(平成12年)78歳没」
大人物だった。(すぐれた偉人)
世の中には、「どうでもいいこと」がたくさんあって、でも、凡人は、「どうでもいいこと」を気にして気楽に生きられないけれど、 中山あい子さんは、何にでも「ガッハッハ」と笑ってこだわらない人だった。
大吾(だいご)の人:迷いを捨て、悟りきった人(さとり:心理を会得する。えとく:理解して自分のものにする)
「人間も死んだらゴミだ」の記述部分がおもしろかった。
邦画、「プラン75」では、75歳になった希望者には、日本政府の施策で、安楽死と丁重な弔い(とむらい)が保証されるのですが、実は、ゴミ焼却場で焼かれて終わりなのです。
わたしは抵抗感をもって、その映画を観たのですが、中山あい子さんは、人間、死んだらゴミだから自分は葬式はいらないとして、「献体(解剖して医学や医師、医師見習いの役に立つ)」を申し込んで、そのようになさったのです。物は考えようです。死んだら、本人の魂は、借り物の体には宿っていないのです。中山あい子さんは、大人物です。
『第5章 物書きの境地』
佐藤愛子さんが小説家になったいきさつについて、時代を追って記述されています。それなりのご苦労が合って、長年の執筆継続があって、ようやく作家として独り立ちされています。
最初のご主人との間にこどもさんがふたり。(夫死亡後、夫の実家が引き取った)
二度目のご主人との間にこどもさんがひとりおられます。
いろいろたいへんなことを体験されています。なんだか、今春始まったNHK朝ドラ、『あんぱん』に出てくるこどもさんの母親みたいです。(実母の方は、やなせたかしさんと弟を親戚に渡して、ご自分は再婚されています)
佐藤愛子さんのことです。
我儘者(わがままもの)です。
世間の常識からはずれた言動をします。(父親の佐藤紅緑さんと似ているそうです)
「小説を書く人間はみなおかしい」という理屈から、若い頃の佐藤愛子さんは、自分がやれる職業は、小説家しかないと断定します。
生きるよすが:よりどころ、方法、頼り
「男に扶養されて暮らす生活」をつまらない人生だと考える。
曙光(しょこう):夜明けに差してくる太陽の光
吉川英治:小説家。1962年(昭和37年)70歳没
だいじなことは、人から何を言われても書き続けること。
能力的に、自分は文章を書くことで生計を立てることしかできないと思い込んでおられました。
書き始めて20年目、1969年(昭和44年)にようやく、作品、『戦いすんで日が暮れて』で、直木賞を受賞されています。
『九十歳。何がめでたい 小学館』
本は読みました。映画は先日動画配信サービスで観ました。そのうち感想をアップします。
エッセイを映画化してあります。
『九十八歳。戦いやまず日は暮れず 小学館』
読んだことがあります。エッセイ集です。
気楽に読める本です。
著者が転倒したシーンの記述には臨場感があります。(読者がその場にいる感じ)
助けを呼んで、来てくれる人がいるうち(家)はいい。ひとり暮らしや複数で暮らしていてもひとりのような生活の人もいます。
人の寿命は人それぞれです。本を読みながら、残された時間をどのように過ごそうかと考える読書でした。
2025年04月17日
ガソリンが高い
ガソリンが高い
最初は野菜類だった。野菜類の値段がばかに高くなった。
次に米がなくなった。
ようやく米がスーパーの棚に出てきたと思ったら、米の値段が高くなった。
米の値段はなかなか下がらない。
あれは、2月下旬のことだった。
車のガソリンを入れるために、いつものガソリンスタンドに行ったら車がいっぱいの大混雑だったので、翌日、少し離れたところにある別のガソリンスタンドへ行った。不思議とそこのスタンドは、すいていた。
値段を見てびっくりした。1リッター183円だった。
長い間生きてきたが、これまでで一番高い値段だ。
思い出すに、自分が二十代だった昭和50年代に、1リッター175円あたりの価格でガソリンを入れた記憶がある。あのときはなにかの原因で不景気な瞬間があった。
ああ、今回の183円で、わが人生における、ガソリン高値の記録更新だ。
車について、最近はあまり距離を乗らなくなったし、基本的に電動モーターで動くハイブリッド車なので、ガソリンを入れる回数もそれほど多くはない。入れても10リッター前後だ。
車が密集するいつものガソリンスタンドに行くことが苦痛だったので、すいていたそのガソリンスタンドでガソリンを入れた。12リッターぐらい入れた。2200円ぐらいだった。南海トラフ地震がいつくるかわからないので、ガソリンは、なるべくこまめに満タンにしておくように心がけている。トイレットペーパーの予備も確保してある。大地震がきてまっさきに困るのがトイレだ。非常用トイレセットも用意してある。当然、ペットボトルの水も備蓄してある。でも、大地震は来てほしくないというのが本音だ。もし大地震が起きたら、大混乱になると思う。とくに、電子マネーのたぐいは使えなくなるのではないかと心配はしている。
先週、テレビで食べ物を素材にしたドラマを見ていた。(NHK火曜ドラマ10、『しあわせは食べて寝て待て』、薬膳(やくぜん)が素材です)
みかんの皮を乾燥させたものを食材で使用していた。
ふと、思った。
((みかんを食べるシーズンを過ぎたが、今シーズン、自分は)みかんを食べなかった)
愛妻に確認した。自分は、今シーズン、みかんを食べなかったと思うと。
わたしも食べなかったという答えが返ってきた。
どうしてだろう? と問うと、
『高かったから』と、返答があった。そうか。そういえば、ばかにみかんが高かった。
ひとり暮らしをしていた若い頃、秋が来て、そういえば、自分は、今年の夏、スイカを食べなかったと気づいたことがある。
もしかしたら、今年の夏スイカを食べなかったのは、日本中で、自分だけではなかろうかと思ったことがある。
そして今回は、みかんのシーズンにみかんを食べなかった家族は、日本中でうちだけではないだろうかと思った。
最初は野菜類だった。野菜類の値段がばかに高くなった。
次に米がなくなった。
ようやく米がスーパーの棚に出てきたと思ったら、米の値段が高くなった。
米の値段はなかなか下がらない。
あれは、2月下旬のことだった。
車のガソリンを入れるために、いつものガソリンスタンドに行ったら車がいっぱいの大混雑だったので、翌日、少し離れたところにある別のガソリンスタンドへ行った。不思議とそこのスタンドは、すいていた。
値段を見てびっくりした。1リッター183円だった。
長い間生きてきたが、これまでで一番高い値段だ。
思い出すに、自分が二十代だった昭和50年代に、1リッター175円あたりの価格でガソリンを入れた記憶がある。あのときはなにかの原因で不景気な瞬間があった。
ああ、今回の183円で、わが人生における、ガソリン高値の記録更新だ。
車について、最近はあまり距離を乗らなくなったし、基本的に電動モーターで動くハイブリッド車なので、ガソリンを入れる回数もそれほど多くはない。入れても10リッター前後だ。
車が密集するいつものガソリンスタンドに行くことが苦痛だったので、すいていたそのガソリンスタンドでガソリンを入れた。12リッターぐらい入れた。2200円ぐらいだった。南海トラフ地震がいつくるかわからないので、ガソリンは、なるべくこまめに満タンにしておくように心がけている。トイレットペーパーの予備も確保してある。大地震がきてまっさきに困るのがトイレだ。非常用トイレセットも用意してある。当然、ペットボトルの水も備蓄してある。でも、大地震は来てほしくないというのが本音だ。もし大地震が起きたら、大混乱になると思う。とくに、電子マネーのたぐいは使えなくなるのではないかと心配はしている。
先週、テレビで食べ物を素材にしたドラマを見ていた。(NHK火曜ドラマ10、『しあわせは食べて寝て待て』、薬膳(やくぜん)が素材です)
みかんの皮を乾燥させたものを食材で使用していた。
ふと、思った。
((みかんを食べるシーズンを過ぎたが、今シーズン、自分は)みかんを食べなかった)
愛妻に確認した。自分は、今シーズン、みかんを食べなかったと思うと。
わたしも食べなかったという答えが返ってきた。
どうしてだろう? と問うと、
『高かったから』と、返答があった。そうか。そういえば、ばかにみかんが高かった。
ひとり暮らしをしていた若い頃、秋が来て、そういえば、自分は、今年の夏、スイカを食べなかったと気づいたことがある。
もしかしたら、今年の夏スイカを食べなかったのは、日本中で、自分だけではなかろうかと思ったことがある。
そして今回は、みかんのシーズンにみかんを食べなかった家族は、日本中でうちだけではないだろうかと思った。
2025年04月16日
観劇 『屋根の上のバイオリン弾き』
観劇 『屋根の上のバイオリン弾き』 愛知県芸術劇場(名古屋栄にあります)
原題:Fiddler on the Roof (Fiddlerは、ラテン語でバイオリン弾きです)
ラテン語:イタリア半島中西部で生まれた言語で古代ローマの拡大とともにヨーロッパに広まった。西ローマ帝国が476年滅亡。東ローマ帝国が1453年滅亡
台本:ジョセフ・スタイン 時代は1905年(日本では明治38年。日露戦争で日本が勝利したときです) 劇中の場所は、『アナテフカ』というところで、観劇していて、現在のウクライナのどこかに思えました。
俳優:
テヴィエ(市村正親 いちむら・まさちか。5人娘のおやじさん。帝政ロシア領に住むユダヤ人で牛乳屋を営んでいる)
ゴールデ(鳳蘭 おおとり・らん。テヴィエの妻)
ツァイテル(長女 美弥るりか みや・るりか)
モーテル・カムゾイル(ツァイテルの彼氏 上口耕平 うえぐち・こうへい)
ホーデル(次女 唯ふうか ゆづき・ふうか)
パーチック(ホーデルの彼氏 内藤大希 ないとう・たいき)
チャヴァ(三女 大森未来衣 おおもり・みらい)
フョートカ(三女の彼氏 神田恭平 かんだ・きょうへい)
さらに、四女シュプリンツェ(宮島里奈)、五女ビルケ(東菊乃)がいますが、外見が高校生か中学生ぐらいの女優さんに見えました。劇中、当人たちの恋愛話はありませんでした。
ラザール・ウォルフ(肉屋。お金持ち。今井清隆)
屋根の上のバイオリン弾きの意味:冒頭付近でテヴィエ(市村正親さん)から説明があります。屋根の上で不安定な体勢でバイオリンを弾くことと、ユダヤ人の不安定な暮らしぶりを重ねてあります。
バイオリン弾き役の俳優さんは、劇中、たいてい、屋根の上でバイオリンを弾いていますが、劇中の会話には入ってきません。観ていて、バイオリン弾きは、『妖精』のようなものだと感じました。
現在の社会情勢として、ウクライナとロシアが戦争状態で、イスラエルのユダヤ人がパレスチナガザ地区のパレスチナ人を攻撃していて、劇中の会話の中に、現在のウクライナの首都、『キーウ』という地名も出てきて、観るほうはちょっと複雑な気持ちになります。
されど、意識を変えてみると、わたしたち世代のもうひとつ上の日本人世代と似通った(にかよった)状況があることに気づきます。物語の素材は、結婚の話です。
劇中では、長女、次女、三女の結婚話で、すったもんだの大騒ぎがあるのですが、わたしの親や叔父・伯母の世代が体験した結婚話の状態と内容が同じです。
今でこそ、結婚は両性の合意で成立しますが、昔は、個人+個人ではなく、家+家でした。見合い結婚が多かった。跡取り目的で、養子の話も多かった。
異性である相手のことを良く知らないまま、親が決めた相手と結婚していました。そして、どちらかといえば、女性のほうが、離婚はなるべくしないようがまんしていました。
結婚においては、まずは、収入を得て、生活していくことが第一目標でした。そんな時代がありました。基本は男尊女卑の社会が、当時の秩序でした。
こちらの劇中では、娘たちの結婚相手を親たちが段取りするのですが、娘たちは親たちの意向に従わないので、娘たちの結婚をめぐって、すったもんだの争いが起きます。親たちが決めたお金目当ての結婚相手などを、娘たちは拒否するのです。
娘たちの父親である主役のテヴィエは、最初、頑固者(がんこもの)に見えるのですが、娘たちから強く主張されるとたいてい引き下がるのです。テヴィエはいい人です。
とくに今回の観劇に関する写真はありません。
思い出すままに、感想をぽつりぽつりとこれからここに落としてみます。
あらすじを知らないまま観劇しました。
一家の苦労話だろうと予想しながら観始めました。
舞台装置がとてもきれいです。美しい。
ステージに登場してきた人たちは、お人形が動いているようでした。きれいなお人形のような役者さんたちです。
仲人(なこうど)とか、司祭とか、しきたり(伝統)とか、ああ、結婚の話が始まったと思いました。
そして、お金の話です。
肉屋のおやじが、牛乳屋の(主役のテヴィエ、市村正親)長女と結婚する話で始まります。肉屋のおやじの妻は死んでいて、再婚です。長女は何も知りません。長女のいないところで、結婚の約束が成立してしまいました。肉屋のおやじは、長女の親であるテヴィエよりも年上です。それでもかまわないのです。なぜなら、肉屋はお金持ちだからです。男にお金があることが大事なのです。されど、長女は当然反発します。
そんな感じで、次女、三女の結婚話が素材になって、すったもんだの争いが起きる劇です。
お金持ち、貧乏、お金か愛情か、ドラマでは、よくある素材です。
安息日(あんそくび):劇中でよく出てきた言葉です。日曜日のことだろうか。調べました。休息・礼拝のための日。テヴィエたちはユダヤ教なので、金曜日の日没から土曜日の日没だそうです。
舞台を観ていて、『タイミングの良さ』に感心しました。
家のセットがあって、人が家の中にある別の部屋に入っていくと、同時に、家の外から別の人が入ってきます。ものすごくきちんとしたタイミングで驚きました。そのほかのことについても、ピシッピシッと動きがきちんと決まっていて、稽古(けいこ)の成果だと感心しました。
演劇のテーマの根底には、『平和』があると感じました。
全体的に、ロシア人に迫害のような対応を受けているユダヤ人の情景があります。
ユダヤ人にとっての、『人間と神の賛歌』がありました。偉大なものを賞賛(しょうさん。ほめたたえる)のです。
舞台は、ときおり、お祭りのようです。歌があって、ダンスがあって、音楽が鳴り響きます。
すごい!と声が何度か出そうになりました。大迫力です。にぎやかで、観ているこちらも楽しい気分になれました。
結婚相手のことで、娘たちから文句を言われて、板挟みになる父親のテヴィエ(市村正親)ですが、がんこそうに見えても、譲る時は譲るという判断をする、いいおやじさんです。
『約束』にこだわる内容でした。
宗教がかなりからんでくるのですが、あまり気にしないようにして観劇しました。
信仰深い人たちの物語です。
若い役者さんたちの歌声に伸びがあって、聴いていて気持ちがいい。
恋愛の成就について応援したくなります。
テヴィエ(市村正親)の動作や言葉にユーモアがあって大笑いできました。
市村正親さんは、最初なんとなくとっつきにくい人かなあと感じましたが、ときおりのしぐさが、志村けんさんみたいで笑いました。おもしろい。76歳の方ですがお元気です。
なんというか、時代背景として、人の気持ちのよりどころが、神しかない時代です。法律とか、思想とか、道徳とか、そういうものはまだぼんやりしていて、宗教で集団が管理されている時代だと受け取りました。宗教で、集団の、『秩序』が保たれているのです。劇中では、『しきたり(伝統)』と表現されていました。
歌劇は大迫力で、ときに、オペラのようだと思いました。(オペラを観たことはありませんが)
最終的には、ユダヤ人たちは、ロシア人たちに住んでいた土地を追い出されてしまいます。
エルサレムへ行く人もいましたが、大半のユダヤ人は、アメリカ合衆国への移住を目指しました。
最後のあたりで交わされた(かわされた)言葉が、『シャローム』という言葉でした。意味は、『平和』です。
最後は尻すぼみするような雰囲気で静かに幕切れとなってしまってあっけなかった。まあ、そういう終わり方もあるのでしょう。以前名古屋伏見にある御園座(みそのざ)で観た、山崎育三郎さんのミュージカル、『トッツィー』もそんな幕切れでした。
流れていた曲で、第1幕の最後に流れた、『陽は昇り又沈む』は聴いたことがある曲です。いい感じの曲です。
オーケストラのみなさんは、舞台の右奥の部屋(あるいはスペース(区域))におられて、ときおり、その場所が見えるように舞台装置が動きました。それもまた、座席から観ていていい感じでした。
観客は、わたしたちのような年金生活者の夫婦が多かった。年配の男女です。
ラストのカーテンコールでは、2000人ぐらいいた観客が総立ちのようになって、大きな拍手が続いて、何度も幕が上がったり下がったりして、出演者のみなさんがたが、せいぞろいでステージの前の方へ出てきて何度も頭を下げておられました。壮観でした。
幕間休憩中(30分間ぐらい)のトイレが大混雑でした。男性客が意外に多く、男性用トイレも行列でしたが、男はそれなりにスムーズに前へ進んでいました。
女性用は、1階のトイレだけではなくて、2階、3階、4階、5階と上のほうが、たぶん利用者が少なくて、穴場のような気がしました。
原題:Fiddler on the Roof (Fiddlerは、ラテン語でバイオリン弾きです)
ラテン語:イタリア半島中西部で生まれた言語で古代ローマの拡大とともにヨーロッパに広まった。西ローマ帝国が476年滅亡。東ローマ帝国が1453年滅亡
台本:ジョセフ・スタイン 時代は1905年(日本では明治38年。日露戦争で日本が勝利したときです) 劇中の場所は、『アナテフカ』というところで、観劇していて、現在のウクライナのどこかに思えました。
俳優:
テヴィエ(市村正親 いちむら・まさちか。5人娘のおやじさん。帝政ロシア領に住むユダヤ人で牛乳屋を営んでいる)
ゴールデ(鳳蘭 おおとり・らん。テヴィエの妻)
ツァイテル(長女 美弥るりか みや・るりか)
モーテル・カムゾイル(ツァイテルの彼氏 上口耕平 うえぐち・こうへい)
ホーデル(次女 唯ふうか ゆづき・ふうか)
パーチック(ホーデルの彼氏 内藤大希 ないとう・たいき)
チャヴァ(三女 大森未来衣 おおもり・みらい)
フョートカ(三女の彼氏 神田恭平 かんだ・きょうへい)
さらに、四女シュプリンツェ(宮島里奈)、五女ビルケ(東菊乃)がいますが、外見が高校生か中学生ぐらいの女優さんに見えました。劇中、当人たちの恋愛話はありませんでした。
ラザール・ウォルフ(肉屋。お金持ち。今井清隆)
屋根の上のバイオリン弾きの意味:冒頭付近でテヴィエ(市村正親さん)から説明があります。屋根の上で不安定な体勢でバイオリンを弾くことと、ユダヤ人の不安定な暮らしぶりを重ねてあります。
バイオリン弾き役の俳優さんは、劇中、たいてい、屋根の上でバイオリンを弾いていますが、劇中の会話には入ってきません。観ていて、バイオリン弾きは、『妖精』のようなものだと感じました。
現在の社会情勢として、ウクライナとロシアが戦争状態で、イスラエルのユダヤ人がパレスチナガザ地区のパレスチナ人を攻撃していて、劇中の会話の中に、現在のウクライナの首都、『キーウ』という地名も出てきて、観るほうはちょっと複雑な気持ちになります。
されど、意識を変えてみると、わたしたち世代のもうひとつ上の日本人世代と似通った(にかよった)状況があることに気づきます。物語の素材は、結婚の話です。
劇中では、長女、次女、三女の結婚話で、すったもんだの大騒ぎがあるのですが、わたしの親や叔父・伯母の世代が体験した結婚話の状態と内容が同じです。
今でこそ、結婚は両性の合意で成立しますが、昔は、個人+個人ではなく、家+家でした。見合い結婚が多かった。跡取り目的で、養子の話も多かった。
異性である相手のことを良く知らないまま、親が決めた相手と結婚していました。そして、どちらかといえば、女性のほうが、離婚はなるべくしないようがまんしていました。
結婚においては、まずは、収入を得て、生活していくことが第一目標でした。そんな時代がありました。基本は男尊女卑の社会が、当時の秩序でした。
こちらの劇中では、娘たちの結婚相手を親たちが段取りするのですが、娘たちは親たちの意向に従わないので、娘たちの結婚をめぐって、すったもんだの争いが起きます。親たちが決めたお金目当ての結婚相手などを、娘たちは拒否するのです。
娘たちの父親である主役のテヴィエは、最初、頑固者(がんこもの)に見えるのですが、娘たちから強く主張されるとたいてい引き下がるのです。テヴィエはいい人です。
とくに今回の観劇に関する写真はありません。
思い出すままに、感想をぽつりぽつりとこれからここに落としてみます。
あらすじを知らないまま観劇しました。
一家の苦労話だろうと予想しながら観始めました。
舞台装置がとてもきれいです。美しい。
ステージに登場してきた人たちは、お人形が動いているようでした。きれいなお人形のような役者さんたちです。
仲人(なこうど)とか、司祭とか、しきたり(伝統)とか、ああ、結婚の話が始まったと思いました。
そして、お金の話です。
肉屋のおやじが、牛乳屋の(主役のテヴィエ、市村正親)長女と結婚する話で始まります。肉屋のおやじの妻は死んでいて、再婚です。長女は何も知りません。長女のいないところで、結婚の約束が成立してしまいました。肉屋のおやじは、長女の親であるテヴィエよりも年上です。それでもかまわないのです。なぜなら、肉屋はお金持ちだからです。男にお金があることが大事なのです。されど、長女は当然反発します。
そんな感じで、次女、三女の結婚話が素材になって、すったもんだの争いが起きる劇です。
お金持ち、貧乏、お金か愛情か、ドラマでは、よくある素材です。
安息日(あんそくび):劇中でよく出てきた言葉です。日曜日のことだろうか。調べました。休息・礼拝のための日。テヴィエたちはユダヤ教なので、金曜日の日没から土曜日の日没だそうです。
舞台を観ていて、『タイミングの良さ』に感心しました。
家のセットがあって、人が家の中にある別の部屋に入っていくと、同時に、家の外から別の人が入ってきます。ものすごくきちんとしたタイミングで驚きました。そのほかのことについても、ピシッピシッと動きがきちんと決まっていて、稽古(けいこ)の成果だと感心しました。
演劇のテーマの根底には、『平和』があると感じました。
全体的に、ロシア人に迫害のような対応を受けているユダヤ人の情景があります。
ユダヤ人にとっての、『人間と神の賛歌』がありました。偉大なものを賞賛(しょうさん。ほめたたえる)のです。
舞台は、ときおり、お祭りのようです。歌があって、ダンスがあって、音楽が鳴り響きます。
すごい!と声が何度か出そうになりました。大迫力です。にぎやかで、観ているこちらも楽しい気分になれました。
結婚相手のことで、娘たちから文句を言われて、板挟みになる父親のテヴィエ(市村正親)ですが、がんこそうに見えても、譲る時は譲るという判断をする、いいおやじさんです。
『約束』にこだわる内容でした。
宗教がかなりからんでくるのですが、あまり気にしないようにして観劇しました。
信仰深い人たちの物語です。
若い役者さんたちの歌声に伸びがあって、聴いていて気持ちがいい。
恋愛の成就について応援したくなります。
テヴィエ(市村正親)の動作や言葉にユーモアがあって大笑いできました。
市村正親さんは、最初なんとなくとっつきにくい人かなあと感じましたが、ときおりのしぐさが、志村けんさんみたいで笑いました。おもしろい。76歳の方ですがお元気です。
なんというか、時代背景として、人の気持ちのよりどころが、神しかない時代です。法律とか、思想とか、道徳とか、そういうものはまだぼんやりしていて、宗教で集団が管理されている時代だと受け取りました。宗教で、集団の、『秩序』が保たれているのです。劇中では、『しきたり(伝統)』と表現されていました。
歌劇は大迫力で、ときに、オペラのようだと思いました。(オペラを観たことはありませんが)
最終的には、ユダヤ人たちは、ロシア人たちに住んでいた土地を追い出されてしまいます。
エルサレムへ行く人もいましたが、大半のユダヤ人は、アメリカ合衆国への移住を目指しました。
最後のあたりで交わされた(かわされた)言葉が、『シャローム』という言葉でした。意味は、『平和』です。
最後は尻すぼみするような雰囲気で静かに幕切れとなってしまってあっけなかった。まあ、そういう終わり方もあるのでしょう。以前名古屋伏見にある御園座(みそのざ)で観た、山崎育三郎さんのミュージカル、『トッツィー』もそんな幕切れでした。
流れていた曲で、第1幕の最後に流れた、『陽は昇り又沈む』は聴いたことがある曲です。いい感じの曲です。
オーケストラのみなさんは、舞台の右奥の部屋(あるいはスペース(区域))におられて、ときおり、その場所が見えるように舞台装置が動きました。それもまた、座席から観ていていい感じでした。
観客は、わたしたちのような年金生活者の夫婦が多かった。年配の男女です。
ラストのカーテンコールでは、2000人ぐらいいた観客が総立ちのようになって、大きな拍手が続いて、何度も幕が上がったり下がったりして、出演者のみなさんがたが、せいぞろいでステージの前の方へ出てきて何度も頭を下げておられました。壮観でした。
幕間休憩中(30分間ぐらい)のトイレが大混雑でした。男性客が意外に多く、男性用トイレも行列でしたが、男はそれなりにスムーズに前へ進んでいました。
女性用は、1階のトイレだけではなくて、2階、3階、4階、5階と上のほうが、たぶん利用者が少なくて、穴場のような気がしました。
2025年04月15日
対岸の家事 TBS火曜ドラマ
対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~ TBS火曜ドラマ 22:00~22:57 動画配信サービス
第1話:専業主婦は絶滅危惧種…!?
第2話:専業主婦は贅沢…? エリートパパとの出会い
原作:『対岸の家事 朱野帰子(あけの・かえるこ) 講談社』
俳優:
多部未華子(専業主婦。村上詩穂。娘が、苺(いちご)2歳半ぐらいに見えます)
一ノ瀬ワタル(村上虎朗むらかみ・とらお 多部未華子さんのだんなさん役。かなり優しい性格です)
江口のりこ(長野礼子。こどもふたりを保育園に預けて働いている。だんなの長野量平(川西賢志郎)は仕事で多忙なようす。実質ひとりで子育てと家庭のきりもり(物事をとりさばく)をしているように見えます。江口のり子さんのイメージからすると、未婚で、こどもなし、子育てママを攻撃するタイプの人物像が似合っているような気がしますが、今回のドラマでは逆の立場にある女性を演じています。気持ちがこもっていてなかなかの好演です。息子が、篤正(あつまさ。4歳か5歳ぐらいに見えます)で、娘が、星香(ほしか。まだ1歳半ぐらいに見えます)
ディーン・フジオカ(中谷達也。妻はアラブ首長国連邦都市型国家であるドバイで働くキャリアウーマン。中谷達也本人は、厚生労働省の職員)。なかなかおもしろいキャラクター設定で、ディーン・フジオカさんの風貌にぴったりです。理論的に物事を運ぼうとします。中谷達也は男子で夫ですが、2年間の育児休業中です。娘は1歳ぐらいの佳恋(かれん)です。
子役さんたちが、なかなか芸達者で感心しました。とくに、第2話の多部未華子さんの娘で、2歳ぐらいに見える苺ちゃんが良かった。苺ちゃんがディーン・フジオカさんに立ち向かっていきます。ディーン・フジオカさんの娘佳恋(かれんちゃん)を守るために、苺ちゃんがディーン・フジオカさんと正面から闘う姿勢を見せてくれました。きっぱりとした態度が良かった。
保育園にこどもを預けて働く女性と専業主婦をしながら子育てをする女性の対比で、『対岸の火事ならぬ、対岸の家事です』。賃貸マンションの隣同士にその女性ファミリー同士が住むことになったのです。
我が家は、共働きの子育てをしたので、つらかった時代を思い出すことになるので、ドラマが始まっても見なかったのですが、わたしが、江口のりこさんのファンで、まあ、ちょととだけでも見てみるかという動機で観始めたところ、内容が、うちの家族にうけたので、継続して見ることにしました。
第1話を見て家族でけっこう話が盛り上がりました。とくに、江口のりこさんが、働きながら保育園通いをする子育て生活に疲れ果てて、感情のない無表情になり、自宅玄関ドアの前で、下のこどもさんを胸に前抱きしながら手に荷物を持ち、ぼそりと、『ゲームオーバー』と力なくつぶやいたシーンで、うちの家族も同じような体験を何度かしたことがあるので、とても共感しました。いいドラマです。
江口のりこさんが演じる長野礼子は、まじめだから、『ゲームオーバー』とため息をつくぐらいに力尽きるのです。手を抜けば続けていけます。ふまじめでもいいのです。これは、ディーン・フジオカさんにもいえます。まじめすぎると、心の平穏を保てないのです。(たもてない)。しかたがないのです。あきらめることで前に進めるときもあります。
江口のりこさんを最初にテレビで観たのは、『鶴瓶のチマタの噺(ちまたのはなし)』という対談番組で、江口のりこさんが鶴瓶さんに、わたしは敵が多いと言われたところで、なんかいい感じの女優さんだなあと感じました。江口さんがまだ売れていない時の貧困話も良かった。師匠は、柄本明さんだそうです。劇団東京乾電池の所属です。
その後、ご本人をじかに見たいと思い、東京渋谷パルコ劇場で、『ワタシタチはモノガタリ』という劇を鑑賞しました。けっこう舞台に近い席だったので、江口のりこさんがよく見えました。江口さんは、テレビで見るのといっしょだなと思いました。最近は、NHK朝ドラ、『あんぱん』で、まるで、アニメ、『アンパンマン』に出てくるバタコさんみたいな位置づけで活躍されています。漫画家やなせたかしさんご夫婦のお話です。
さて、こちらのドラマです。
共働きをしながら子育てをするのは大変です。
我が家が体験したのは、もう40年ぐらい前の遠い昔のことですが、わたしたちよりも上の世代の人たちは、もっと苦労されていました。
当時は、まだ週休二日制ではなかったし、育児休業などの制度はないし、こども向けの手当てなどもありませんでした。
今では聞かなくなりましが、こどもが保育園に、はいれないと、『ベビーホテル』というところに預けて、それなりにトラブルがありました。
今は、保育園がたくさんできて子育て環境がずいぶん良くなりました。喜ばしいことです。教育目的の幼稚園も、福祉目的の保育園のような役割を果たすようになっているようです。
半世紀前ぐらいは、日本には、専業主婦がたくさんいました。子育ては、専業主婦の仕事でした。
こどもを保育園とか学童保育所に預けると、世間の冷たい目が待っていました。こどもがかわいそう…… とか、なんてひどい親なんだ。そんな対応や反応は何度も受けました。イヤな思いを何度も体験しました。
ところが、長い年月が流れて、時代が180度変わりました。
こちらのドラマの冒頭では、『専業主婦=絶滅危惧種』と、昔とは逆で、働かずに家にいる専業主婦について、バカにするように紹介されています。
いろいろなことを含めて、まずは、生活していくためには、お金がいります。こどもに関して言えば、大学の費用はかなりかかります。100万円単位でかかります。できれば、奨学金という大きな借金は背負いたくない。大学生がアルバイトに追われて勉強ができなければ本末転倒です。
もうひとつは、こどもは母親だけが育てるのではなく、両親と親族一同、そして、地域社会で育てていくものです。ちびっこのうちから人にもまれていたほうが、さきざき精神力の強い人間として集団の中で生きていけます。
とりあえず、ここに書くのはそれだけにしておきます。
ふりかえってみれば、親として、『若い』からやれたということはあります。体力もスピードもありました。
こどもがちびっこの期間、保育園とか、幼稚園とか、たいへんですが、その期間はあっという間に過ぎて終わってしまいます。
親として、こどもには、とりあえず、食べさせる。それから、こどもはすぐ病気になるので、病院へ連れて行く。
それだけやれれば、合格点です。とにかく、こどもが生きてくれていればいいのです。
なにかしら、『あじさい』にこだわりがあるようなドラマにみえました。
第2話では、父子家庭みたいな状態でディーン・フジオカさんが登場します。ドラマでは、子育てをしているだれしもが、『孤独』です。一日生活していても、おとなの話し相手がいません。
子育てにおいて、ディーン・フジオカさんは、こどもに攻撃的です。
わたしは、先日ラジオでお昼の人生相談を聞いていてびっくりしました。こどものころから親から暴力の虐待を受けてきて成人したという人の相談が、連続してありました。そのうちのおひとりは、父親に暴力で仕返しをしたいと強く訴えておられました。
お気の毒です。
わたしが思うに、こどもに暴力をふるう親は、自分自身も、こどものころに、親から暴力を振るわれていたと思うのです。暴力の連鎖です。
子育てというものは、自分が育てられたようにしか、自分のこどもを育てられないという一面(いちめん)があります。
厚生労働省職員で、2年間の育児休業中のディーン・フジオカさんが、つぶやきます。
『働いているほうが楽だった』
たしかに、職場には、上下関係とか、仕事をするための根拠とかルールに基づく、『秩序』があります。そりゃ、働いているほうが楽です。
子育てはただひたすら、こどもを生かすことに集中です。気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねです。
ちびっこの事故は、あっという間に起こります。防ぐことはたいへんだし、事故が起きた時の対応もあらかじめ考えておかねばなりません。生きるか死ぬかの話です。いっぽう仕事は、業種にもよりますが、損か得かの話で済みます。人の生き死にまでいくことは、たいていありません。
第1話:専業主婦は絶滅危惧種…!?
第2話:専業主婦は贅沢…? エリートパパとの出会い
原作:『対岸の家事 朱野帰子(あけの・かえるこ) 講談社』
俳優:
多部未華子(専業主婦。村上詩穂。娘が、苺(いちご)2歳半ぐらいに見えます)
一ノ瀬ワタル(村上虎朗むらかみ・とらお 多部未華子さんのだんなさん役。かなり優しい性格です)
江口のりこ(長野礼子。こどもふたりを保育園に預けて働いている。だんなの長野量平(川西賢志郎)は仕事で多忙なようす。実質ひとりで子育てと家庭のきりもり(物事をとりさばく)をしているように見えます。江口のり子さんのイメージからすると、未婚で、こどもなし、子育てママを攻撃するタイプの人物像が似合っているような気がしますが、今回のドラマでは逆の立場にある女性を演じています。気持ちがこもっていてなかなかの好演です。息子が、篤正(あつまさ。4歳か5歳ぐらいに見えます)で、娘が、星香(ほしか。まだ1歳半ぐらいに見えます)
ディーン・フジオカ(中谷達也。妻はアラブ首長国連邦都市型国家であるドバイで働くキャリアウーマン。中谷達也本人は、厚生労働省の職員)。なかなかおもしろいキャラクター設定で、ディーン・フジオカさんの風貌にぴったりです。理論的に物事を運ぼうとします。中谷達也は男子で夫ですが、2年間の育児休業中です。娘は1歳ぐらいの佳恋(かれん)です。
子役さんたちが、なかなか芸達者で感心しました。とくに、第2話の多部未華子さんの娘で、2歳ぐらいに見える苺ちゃんが良かった。苺ちゃんがディーン・フジオカさんに立ち向かっていきます。ディーン・フジオカさんの娘佳恋(かれんちゃん)を守るために、苺ちゃんがディーン・フジオカさんと正面から闘う姿勢を見せてくれました。きっぱりとした態度が良かった。
保育園にこどもを預けて働く女性と専業主婦をしながら子育てをする女性の対比で、『対岸の火事ならぬ、対岸の家事です』。賃貸マンションの隣同士にその女性ファミリー同士が住むことになったのです。
我が家は、共働きの子育てをしたので、つらかった時代を思い出すことになるので、ドラマが始まっても見なかったのですが、わたしが、江口のりこさんのファンで、まあ、ちょととだけでも見てみるかという動機で観始めたところ、内容が、うちの家族にうけたので、継続して見ることにしました。
第1話を見て家族でけっこう話が盛り上がりました。とくに、江口のりこさんが、働きながら保育園通いをする子育て生活に疲れ果てて、感情のない無表情になり、自宅玄関ドアの前で、下のこどもさんを胸に前抱きしながら手に荷物を持ち、ぼそりと、『ゲームオーバー』と力なくつぶやいたシーンで、うちの家族も同じような体験を何度かしたことがあるので、とても共感しました。いいドラマです。
江口のりこさんが演じる長野礼子は、まじめだから、『ゲームオーバー』とため息をつくぐらいに力尽きるのです。手を抜けば続けていけます。ふまじめでもいいのです。これは、ディーン・フジオカさんにもいえます。まじめすぎると、心の平穏を保てないのです。(たもてない)。しかたがないのです。あきらめることで前に進めるときもあります。
江口のりこさんを最初にテレビで観たのは、『鶴瓶のチマタの噺(ちまたのはなし)』という対談番組で、江口のりこさんが鶴瓶さんに、わたしは敵が多いと言われたところで、なんかいい感じの女優さんだなあと感じました。江口さんがまだ売れていない時の貧困話も良かった。師匠は、柄本明さんだそうです。劇団東京乾電池の所属です。
その後、ご本人をじかに見たいと思い、東京渋谷パルコ劇場で、『ワタシタチはモノガタリ』という劇を鑑賞しました。けっこう舞台に近い席だったので、江口のりこさんがよく見えました。江口さんは、テレビで見るのといっしょだなと思いました。最近は、NHK朝ドラ、『あんぱん』で、まるで、アニメ、『アンパンマン』に出てくるバタコさんみたいな位置づけで活躍されています。漫画家やなせたかしさんご夫婦のお話です。
さて、こちらのドラマです。
共働きをしながら子育てをするのは大変です。
我が家が体験したのは、もう40年ぐらい前の遠い昔のことですが、わたしたちよりも上の世代の人たちは、もっと苦労されていました。
当時は、まだ週休二日制ではなかったし、育児休業などの制度はないし、こども向けの手当てなどもありませんでした。
今では聞かなくなりましが、こどもが保育園に、はいれないと、『ベビーホテル』というところに預けて、それなりにトラブルがありました。
今は、保育園がたくさんできて子育て環境がずいぶん良くなりました。喜ばしいことです。教育目的の幼稚園も、福祉目的の保育園のような役割を果たすようになっているようです。
半世紀前ぐらいは、日本には、専業主婦がたくさんいました。子育ては、専業主婦の仕事でした。
こどもを保育園とか学童保育所に預けると、世間の冷たい目が待っていました。こどもがかわいそう…… とか、なんてひどい親なんだ。そんな対応や反応は何度も受けました。イヤな思いを何度も体験しました。
ところが、長い年月が流れて、時代が180度変わりました。
こちらのドラマの冒頭では、『専業主婦=絶滅危惧種』と、昔とは逆で、働かずに家にいる専業主婦について、バカにするように紹介されています。
いろいろなことを含めて、まずは、生活していくためには、お金がいります。こどもに関して言えば、大学の費用はかなりかかります。100万円単位でかかります。できれば、奨学金という大きな借金は背負いたくない。大学生がアルバイトに追われて勉強ができなければ本末転倒です。
もうひとつは、こどもは母親だけが育てるのではなく、両親と親族一同、そして、地域社会で育てていくものです。ちびっこのうちから人にもまれていたほうが、さきざき精神力の強い人間として集団の中で生きていけます。
とりあえず、ここに書くのはそれだけにしておきます。
ふりかえってみれば、親として、『若い』からやれたということはあります。体力もスピードもありました。
こどもがちびっこの期間、保育園とか、幼稚園とか、たいへんですが、その期間はあっという間に過ぎて終わってしまいます。
親として、こどもには、とりあえず、食べさせる。それから、こどもはすぐ病気になるので、病院へ連れて行く。
それだけやれれば、合格点です。とにかく、こどもが生きてくれていればいいのです。
なにかしら、『あじさい』にこだわりがあるようなドラマにみえました。
第2話では、父子家庭みたいな状態でディーン・フジオカさんが登場します。ドラマでは、子育てをしているだれしもが、『孤独』です。一日生活していても、おとなの話し相手がいません。
子育てにおいて、ディーン・フジオカさんは、こどもに攻撃的です。
わたしは、先日ラジオでお昼の人生相談を聞いていてびっくりしました。こどものころから親から暴力の虐待を受けてきて成人したという人の相談が、連続してありました。そのうちのおひとりは、父親に暴力で仕返しをしたいと強く訴えておられました。
お気の毒です。
わたしが思うに、こどもに暴力をふるう親は、自分自身も、こどものころに、親から暴力を振るわれていたと思うのです。暴力の連鎖です。
子育てというものは、自分が育てられたようにしか、自分のこどもを育てられないという一面(いちめん)があります。
厚生労働省職員で、2年間の育児休業中のディーン・フジオカさんが、つぶやきます。
『働いているほうが楽だった』
たしかに、職場には、上下関係とか、仕事をするための根拠とかルールに基づく、『秩序』があります。そりゃ、働いているほうが楽です。
子育てはただひたすら、こどもを生かすことに集中です。気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねです。
ちびっこの事故は、あっという間に起こります。防ぐことはたいへんだし、事故が起きた時の対応もあらかじめ考えておかねばなりません。生きるか死ぬかの話です。いっぽう仕事は、業種にもよりますが、損か得かの話で済みます。人の生き死にまでいくことは、たいていありません。